メザニン号漂流記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-08-14

セシウム松と五山送り火 - 勘違いされた弔いのトポス


大文字焼き、いうたらあかん。大文字五山送り火っていうんやで。」


と、こともあろうに私に忠告してくれたのは前に勤めていた会社の上司。京都人ではなく、神戸出身で明石のマンションに住み、ゆったり暮していた人でした。



さて間もなくお盆。この時期、関テレ他、民放のアナウンサーは緊張しつつ原稿を読まなければなりません。「大文字焼き」といってはいけない。「大文字五山送り火」と正しく噛まないように発音しなくては!!


例年たいてい若手アナウンサーあたりに任されるこのどうでもいいニュース。京都の夏の風物詩。「五山送り火」。今年はどうも「どうでもいい」話題ではないようですけど。


京都人は「大文字焼き」という言い方を軽蔑するとされています。だから京阪神のテレビ局アナウンサーも言い慣れない「大文字送り火」ときちんと発声しなければならない。


でもね。京都人同士の会話で「大文字送り火」とか「五山送り火」なんてほとんど聞いたことないですよ。せいぜい「大文字」あるいは女の子との会話なら「大文字さん」。そもそも面倒でしょう。「ござんおくりび」なんて言うの。


まあ、それはともかく。



おそらく日本を代表する叡智だった二人の巨匠の会話を次に引用してみます。



小林秀雄: 今日は大文字の山焼きがある日だそうですね。ここの家からも見えると言ってました。


岡 潔: 私はああいう人為的なものには、あまり興味がありません。小林さん、山はやっぱり焼かない方がいいですよ。


小林: ごもっともです。(以下略)



両者の対談集『人間の建設』はこんな会話から始まります。


人間の建設 (新潮文庫)

人間の建設 (新潮文庫)



もちろん、酸いも甘いも噛み締め噛み砕いてきた巨匠たちが、対決する場の、その始まりに発せられた言葉ですから、額面通り受け取ることはできません。軽いジャブの応酬に似たやりとりとみて良いでしょう。対談が行われた場所と時季を、冒頭、軽く明らかにしておこうという意図のあらわれにすぎないかもしれません。


しかし、文章として残ることを前提とした発言だし、両者のチェックが必ずや入った対話文でもあるわけです。それなりに重みはある。


小林秀雄が「大文字の山焼き」というとき、それはおそらく二通り解釈できる。一つは、そもそも「五山送り火」なんていうまどろっこしい言い方がこの対談がなされた当時、つまり昭和40年頃、さほど気にされていなかったという推測。もう一つは、正しくは「五山送り火」というにもかかわらず、あえて「山焼き」として蔑称したという推測。


どちらにしても、「五山送り火」を頑に守る生粋の京都人とやら、あるいは、それに感化された関西人、さらに影響された他地域の「物知りたち」の出ばなを挫く。なにしろ小林秀雄の一言、ですから。


さらに「五山送り火」派にとってやっかいなのは、本邦数学界の巨人、岡潔大先生による「山はやっぱり焼かない方がいい」という一言。なお、この方、京大出身の人です。


そもそもこの「五山送り火」という伝統は、源氏物語の昔から実施されてきたものではありません。せいぜい江戸時代に史実をさかのぼることができる程度の習俗。おそらく清少納言あたりが大の字や舟形に禿げた山を見たら「すさまじきもの」と分類したかもしれない。とぎれることなく連綿と続いたものでもなくて、戦時中はとりやめになっていたこともあるとか。ミレニアムの都を誇る風物では、そもそも、ないのです。止めたきゃいつでもやめられる程度の行事、というのが私の解釈。


さて、被災地・陸前高田の倒木を送り火の松明にしようとして悶着がおきた「大文字・セシウム松」の一件。


私からみれば、この騒動、岩手の人も変だし、京都の人もおかしい。


陸前高田の松を供養のために用いるとするならば、その対象はまさにその土地で亡くなられた方々であり、その土地そのもので輝くべきものです。なんでわざわざ京都の寺々の宗徒たちが地域保存している一習俗にもちこむ必要があるのか。縁もゆかりも無い京都で使うと考える前に、せめて岩手県内の盂蘭盆会の中で使うプライオリティを検討しないのか。


他方、それを「セシウム」を理由に拒絶した一部の京都人や、そもそも企画に乗った人たちもおかしい。あなたたちのところで供養している人たちは陸奥の人たちですか?  そういう心根などもちようもない人たちがなにをいまさらと滑稽感が漂います。放射能云々の前に、話がもちかけられた段階で、「考えときます」とやんわり断っておくのが上品な都人としての筋でしょう。


セシウムが出たとか出ないとかの問題ではなく、もともと、誰が誰を、どこで、何を用いて追悼するのか。目的と手段をきちんとわきまえていれば、こんなバカバカしい盆踊りめいたやりとりをしなくても良かったのです。一連の騒動を受けて、特定の宗教行事と本来関わってはいけない京都市長が全国に向かって謝るというのも狂気の沙汰です。みっともない。


死者を弔うトポス。それはどこでも良いというものでは本来、ないはずです。たしかに京都の「山焼き」は全国的に有名な習俗ですが、そこで「陸前高田の弔い火」をあげてもらう意義は、せいぜいマスメディアが煽動する「つながろう日本」という恥ずかしいテーマの自己満足的裏打ちにすぎません。


さらにいっちゃえば、岡潔大先生に私は賛成。


もう、山は焼かない方がいいですよ。


D

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