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2011-11-07

ピーター・トゥーヒー 『退屈』 (2011 青土社)

トゥーヒー(Peter Toohey)はオーストラリアの大学を出た後、現在はカナダの大学でギリシア・ローマの古典を教えている人。英連邦的な文化圏を背骨にしながらも、古代ギリシアから最新の脳科学まで多彩なジャンルや人物をとりあげて「退屈」の正体に迫ろうという一冊。でもその文体にペダンティックな饒舌さはほとんどなく、情報量も適度。


博覧強記ぶりを誇示することもなく、読みやすく仕上げられています。考えてみれば、そう配慮せざるをえなかったのでしょう。「退屈がテーマの退屈な本」となったら目も当てられない。おかげさまで3,4時間ほど退屈から逃れることができました。


■ ピーター・トゥーヒー著(篠儀直子訳) 『退屈  息もつかせぬその歴史』

  (2011 青土社)


退屈 息もつかせぬその歴史

退屈 息もつかせぬその歴史


「なにかおもしろいこと、ない?」


これが口癖のようになっている人にときどき出会います。そんな独り言のような質問に、私は「おもしろいことは山ほどありますよ。おしえてあげましょうか?」と反応してあげる。しかし、たいてい、問うていた当人は、せっかく教えてあげても上の空か、あるいは、ウザそうに「もう、どうでもいいよ。」となり、会話は終了してしまう。


本当に「退屈」している人は、本書でもしばしば登場する、ゴンチャロフが『オブローモフ』で描いた主人公のように、面白いもの、それ自体にすでに関心を無くしていることが多いようです。


私も他人のことは言えません。『退屈』という本を読んだ理由は、まぎれも無く「退屈」だったからです。もっといえば、こうして本の感想雑文を書いていること自体、退屈からの逃亡にほかなりません。


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「退屈」は重い探求主題のようにも扱えるし、日常的な余暇の過ごし方あれこれ、などと軽く話題にすることもできます。トゥーヒーは前者、すなわち重量級の退屈として「実存の退屈」を定義。毎日のように感じる生活上の退屈を「単純な退屈」として一旦区別します。


「実存の退屈」は、古代キリスト教の隠者、エヴァグリオスの『八つの悪しき考えについて』に書かれた「真昼の悪魔」(修道士たちを悩ませる悪魔としての「退屈」)としてみられるように、4世紀から問題にされてきたもの。ハイデガーが探求し、サルトルの『嘔吐』までつながる哲学史上のやっかいな問題。信仰心を試す魔物、世界に存在している価値がわからなくなるような「無意味さ」のことです。


トゥーヒーはこの「実存の退屈」を一通り考察するものの、必要以上に深入りはしません。意外とあっさり始末してしまいます。つまり、これは日常的な「単純な退屈」のような感情そのものではなく、時々の知識人たちが生み出してきた「概念」であるとして処理する。それは小説や戯曲の中では悲劇的な結末、つまり自殺や殺人となって表現されるけれども、現実的には、さほど害はない。ロカンタンを生み出したサルトルや、『異邦人』のカミュも、結局、退屈で死にはしなかった。


著者がむしろ本書で解き明かそうとしている「退屈」は「単純な退屈」。その両義的で矛盾にみちた性質です。


ベルナルド・ベルトルッチが監督し「暗殺の森」として映画化されたアルベルト・モラヴィアの小説『孤独な青年』を例に出しながら、トゥーヒーは次の通り、「単純な退屈」の正体をまとめています。



おそらく退屈は、心の健康にとって危険であるかもしれない状況、つまり興奮や怒り、鬱を促進するかもしれない状況から人を守ってくれる、初期警告システムとして働いているのかもしれない。おそらく退屈が増大するのは、逃げ出すことが最大の関心となるような、反復的で予測可能な経験、または囚われの状況においてであるだろう。いわばきわめて退屈な状況であるわけだが、この状況で長時間過ごせば、この感情につきものである苛立ちや落ち着きのない気分はエスカレートし、極端な興奮や怒り、鬱のなすがままとなってしまうかもしれない。驚くべきことだが、退屈は ー ありうるかぎり不快な退屈は ー マルチェロ・クレリチ(『孤独な青年』の主人公)が逃れられなかったような、はるかに有害な可能性のある状況から離れるよう警告してくれる、有益な感情だと思われるのだ。(p.121)



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つまり、「単純な退屈」はこれが「慢性的退屈」になると、概念である「実存の退屈」とは違って、どんどんマイナスオーラを纏った実際の感情にエスカレーションしていく。酒やタバコやセックス、あるいはちょっとした旅行などで一時的に解決しても、その退屈を生み出している状況自体が解決しなければ場合によってはカタストロフに導かれてしまう。極端な例としてでしょうが、トゥーヒーは映画「シャイニング」でジャック・ニコルソンが演じた主人公の「小屋熱」をあげて生々しく説明しています。


一方、退屈は「通風や狭心症のようなもの」ともトゥーヒーは言っていて、「生活習慣を変えないともっとひどいことがおこりますよ」というシグナルとみなせば良い(p.200)。だから単に退屈を悪ときめつけて、退屈自体を治療する必要もない、ということになります。


そもそも「退屈」で死ぬことはない。しかし、慢性的退屈を放置しておけば、それこそ糖尿病等と同じで、命に関わる疾患や自殺、犯罪へとつながってしまう。警告としての価値はあるが、放置して良い「退屈」もない。その解決方法としての「余暇時間」について、トゥーヒーはアリストテレスまで遡って提示します。



〈アリストテレスの言う余暇時間〉(p.208)

・楽しい活動を構成する(物事に遊戯的要素がなければならない)

・それ自体が目的であること(労働の反対)

・他者との関わりを含む(「おしゃべり」でも良い)

・身体と精神の両方の使用をともなわなければならない(神経可塑性の構成要素)



さすがにアリストテレス!! これを実現することは、簡単なようで、実は大変難しい。トゥーヒーも「競争的なスポーツを含め目的に駆られた活動はみな、アリストテレスの図式によれば、労働の変種にすぎない」と釘をさしています。テニスや市民マラソンに参加しても、それはアーレントの言う「労働」だ、と。困りました。


しかも悪いことに、現代社会は、アドルノによって「オン、オフともに商業主義によって動かされている」(p.210)と余計な定義をうけてしまったために、結局余暇にもお金がかかることが自明になっています。自由時間に労働時間の対価としての消費をたくさんしなければならない仕組みが出来上がってしまった。


結局、トゥーヒーはオーストラリア出身らしく、究極の退屈解決策として「サーフィン」なんかが良いのではないかと言っています。これは冗談のひとつでしょう。


しかし、現在の世界、特に日本をみると、意外とこの「慢性的退屈」を解消する仕組みができあがっているのではないかとも思えます。マインクラフトのような非戦闘系オンラインゲームやTwitterは、「楽しい」し「それ自体が目的」だし、「他者とのコミュニケーション」を含みます。ツイートしてもさほど身体は使いませんが、ゲームは感覚的な運動神経の駆使を前提としている。これでアリストテレスの4条件はクリアー。そんなにお金もかからないという点で、アドルノの意地悪な「自由時間=労働時間」という定義からも逃れることができそうです。


良い国ではありませんか。退屈しなくても毎日楽しく生きられるんですから。格差デモなどおこるはずもないのです。


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さて、本書の原書"Boredom: A Lively History"の表紙には、エドワード・ホッパーの「海辺の部屋」が使われています。「退屈」との関係で象徴的に取り上げられている不気味な不安感をよびおこす絵画。種村季弘はホッパーを『魔術的リアリズム』の中で、「意味の欠落した空間の喚起する、街頭や建物のふしぎなノスタルジー」としてその魅力を指摘。ホッパーを素朴に「偉大なアメリカン・シーンの画家」とレッテル付けするだけでは一面的と評していました。20年代ヨーロッパのマジック・リアリズム絵画は、30年代のアメリカにこっそり浸透していたということ。トゥーヒーによれば、その「ノスタルジー」も「退屈」の範疇。おもしろい符合がみられました。


文学、美術、映画、さまざまな領域で「退屈」は、「退屈ではない作品」を生み出してきたともいえます。この国の今の「退屈」はどうやら簡単に解決できてしまっているようなのですが、それって、後で振り返ると、実はずいぶん「退屈な時代」だったということにつながるのかもしれませんね。


Boredom: A Lively History

Boredom: A Lively History

オブローモフ〈上〉 (岩波文庫)

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シャイニング [Blu-ray]

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〈ある意味、退屈に苦しんだ見本のような人。気の毒な建築家アルベルト・シュペーアもとりあげられています。〉

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