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2010/04/27/Tue

[]『第9地区』監督:ニール・ブロンカンプ(2009年)

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 アカデミー賞作品賞にノミネートされたSF映画。細部に甘い点はあるが、演出で引き込んでいく傑作。

 舞台は南アフリカ。1982年、ヨハネスブルグの上空に巨大な宇宙船が現れ、なかにはエビ(prawn)のかたちをしたエイリアンがたくさんいた。南アフリカ政府は、難民として彼らを「第9地区」に受け入れた。それから20数年後、第9地区はスラム化し、政府機関・MNUは、エイリアンたちを第10地区に移住させようとする。MNUエイリアン対策課でこの移住プロジェクトのリーダーとなったヴィカス(シャールト・コプリー)も、率先して彼らを家を訪問する。しかし、そこで彼は謎の液体を浴びてしまい、身体に異変が生じてしまう。

 映画は、ドキュメンタリー形式で始まる。カメラは、移住政策の中心人物であるヴィカスを追う。ヴィカスは、陽気というよりもお調子者な感じで、エイリアンを強制移住させることを躊躇わない。彼は一軒一軒エイリアンの仮設住宅を訪ね、相手が理解しているのかどうかはおかまいなしに書類にサインさせようとする。それらの言動から、職務を優先する典型的な小役人タイプなのがわかる。またヴィカスの妻はMNU幹部の娘であり、彼は義父から強いプレッシャーを受けてもいる。

▼▼▼▼ネタバレあり▼▼▼▼

 そんな彼の身体が、エイリアンに侵食されていく。変態する彼の身体を政府が貴重な検体として見なしていることを知り、ヴィカスは抵抗する。物語の後半は、ヴィカスがエイリアンのクリストファー(ジェイソン・コープ)とともに、人間に歯向かっていく話となる。

 アイディアとして奇抜なのは、やはりエイリアンを難民として扱うところだ。そこでエイリアンは、完全な「未知なる存在」ではない。エビによく似た外見であることはだれもが知り、キャットフードやゴムを好むことなどもわかってくる。そこでのエイリアンは、「『未知なる存在』としての既知なる存在=異者」として、差別的に受け入れている。「第9地区」とは、この被差別者が隔離された被差別地域である。

 もちろんこれは、旧来の人種差別のメタファーとして機能する。舞台が南アフリカなのも偶然ではない。脚本も手がけた南アフリカ出身の監督は、アパルトヘイトを意識したという。

 理解できなかった異者の持つ独自の社会や文化を、その立場となって理解していく――こうした点では、やはり『アバター』と似たテーマだと言える。それはまた、リチャード・マシスンの古典SF小説『地球最後の男』("I am Legend!")*1や、それをもととした藤子・F・不二雄の短編マンガ『流血鬼』にも通ずるテーマである。つまり、他者(異者)理解の物語だ。SFとしては、実はけっこう古典的だといえる。もちろん、それがいまの時代に提示されることは、なにかしら示唆的だが。

 ただテーマよりも、この映画は演出によって面白くなった作品だ。映画はドキュメンタリー形式で始まるが、それはエイリアンという存在を非常に生々しく描写するということである。これはやはりとても斬新だ。

 ヴィカスの行動も、前半はドキュメンタリーとしてほぼハンディのキャメラで追われる。そして、中盤から後半にかけては、圧倒的にアクション映画としての魅力だ。変異しつつあるヴィカスは、エイリアンたちの銃を操縦可能となり、人間を跡形もなくぶっ飛ばす。とくにクリストファーとともにMNUに侵入するくだりは、抜群に面白い。さらには、エイリアンの持つロボットも操縦し、人間たちと戦いを繰り広げる。この白熱したバトルはとても見ごたえがある。

 物語に粗がないわけではない。たとえば、クリストファーが宇宙船を直すことができて、人間ともコミュニケーションする能力があるならば、それ以前に交渉して宇宙船まで連れて行ってもらえばいいはずだ。人間も、あの宇宙船がどこかに行ってくれるなら、それは願ったり叶ったりのはずだろう。まぁ、そいうチャンスがなかったのかもしれないが、ヴィカスが浴びる液体なども含めて説明が不足している箇所がいくつかある。

 しかし、そうしたことがほとんど気にならないほどに、演出に力がある。たとえば、感染したヴィカスがMNUから逃げ出し、第9地区に来て、腹をすかしてキャットフードを食べるシーン。心ではキャットフードなど食べたくないのに、なぜか美味しく感じてしまい食べてしまう。彼の苦悩がとても見事に表されたシーンだった。

 気になるのは、ヴィカスがどれほどエイリアンと相互理解できているのかということだ。彼は、一度はクリストファーを殴り、強引に飛行船を飛ばしてしまう。だがその後、クリストファーに危険が迫ると、身を呈して人間と闘う。

 それは果たして反省なのか、彼の良心によるものなのか? 後半の苦悩する姿を考えれば、それが一般的な捉え方だろう。だが、彼の小役人気質を考えると、それはとても功利的な判断にも見える。クリストファーという存在は、ヴィカスにとって最後の頼みの綱だからだ。あるいは、自分を実験材料として売り飛ばそうとしたMNUの元同僚たちに対しての、破れかぶれの反抗にも見えなくはない。もちろん、彼とクリストファーの子供とのコミュニケーションを見ていると、やはりあの行動は彼の良心からだと解釈するのが妥当だ。

 では、ヴィカスが3年後に人間に戻れたとしたら、エイリアンとの共生や融和を提案するだろうか?

 なぜこういうことを考えるのかというと、それは僕が天の邪鬼ということもあるが、もうひとつは『鬼が来た!』のラストが印象的だったからでもある。日常感覚における相互理解があったとしても、それがあの「社会」においてはまったくもって恒久的でないことを突きつけたのが『鬼が来た!』のラストだった。それは、とても悲しくも生々しい人間という生き物の姿であった。義父がMNU幹部である小役人・ヴィカスは、もし人間に戻ったらどのような判断をするのか。

監督:ニール・ブロンカンプ/製作:ピーター・ジャクソン、キャロリン・カニンガム/製作総指揮:ビル・ブロック、ケン・カミンズ/脚本:ニール・ブロンカンプ、テリー・タッチェル/撮影:トレント・オパロック/プロダクションデザイン:フィリップ・アイヴィ/衣装デザイン:ディアナ・シリアーズ/編集:ジュリアン・クラーク/音楽:クリントン・ショーター/音楽監修:ミシェル・ベルシェル/出演:シャールト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ、ジェイソン・コープ、ヴァネッサ・ハイウッド、ナタリー・ボルト、シルヴァン・ストライク、ジョン・サムナー、ウィリアム・アレン・ヤング、グレッグ・メルヴィル=スミス、ニック・ブレイク、ケネス・ンコースィ/制作プロダクション:WingNut Films、QED International、Key Creatives、Wintergreen Productions/日本配給:ワーナー・ブラザーズ、ギャガ/北米配給:トライスター・ピクチャーズ/原題:"District 9"/2010年4月10日公開/111分

第9地区 Blu-ray&DVDセット(初回限定生産)

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[]『シャッター アイランド』監督:マーティン・スコセッシ(2010年)

※英語版トレイラー

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 スコセッシ&ディカプリオコンビの新作。閉鎖空間サスペンス。作品じたいはけっこう面白い。が、「謎解き」を強調する宣伝手法や、上映前に流される「読み解きヒント」など、非常に下劣な宣伝が観賞者をミスリードに誘う。とにかく宣伝が最悪で、結果として作品の品位も落としてしまった。

 時代は1950年代。孤島“シャッターアイランド”の精神病院で、ひとりの女性患者が行方不明となった。保安官のテディ(レオナルド・ディカプリオ)は、相棒のチャック(マーク・ラファロ)とともにこの地に来て聞き込み捜査を始める。テディは放火で妻を亡くしており、その犯人がこの病院にいることを知って行方を捜す。一方で、テディは病院がなにかを隠しているのではないかと嫌疑を抱く。

 前述したように、この作品は最悪の宣伝をしている。意図的に観賞者に「謎解きミステリー」としての観方を促す。それがあの不出来な日本版トレイラー(→リンク)だけならまだしも、本編が始まる前に作品読解のヒントまで入れる。「あなたは、これから騙されますよ」と、強制的に映画の観方を示唆するのだ。

 おそらくこれは、映画を観ても理解できないひとたちの「意味がわからない」といったクチコミを、配給・宣伝サイドが想定し、それを避けるためだと考えられる。だが、それはマーケティング的にどれほど正解だったのか?

 その戦略は、映画にふだん親しんでいる観賞者をミスリードに誘う。これは、ブログやYahoo!映画、はたまた2chなどに書き込むような、それなりに熱心な映画ファン=クオリティユーザーを大切にしていないということである。ロジャースの流行理論で言えば、アーリーアダプターがクチコミ伝播の端緒となるが、こういう層を大切にしなかったのだ。

 それよりもこの宣伝が狙ったのは、下品な言い方をすれば「おバカさんの下の世話」だ。しかし、彼らが見なす「おバカさん」は情報のハブにはならないし、公開2週目、3週目を維持するクチコミとして機能しない。そもそも、こうしたタイプの映画が少なくない昨今、彼らは本当に「おバカさん」なのだろうか?

 この映画は、吹き替えを「超吹替え版」と謳う宣伝など、現在客の入りが悪い外国映画に注目を集めようと必死だが、そのマーケティングはどれほど機能しているのか。

 なお個人的には、映画を観てこんなに腹立たしい気持ちになったのは、はじめてかもしれない。映画がつまらないなら時間を無駄にした徒労感に襲われるだけだが、今回は、映画内容とはべつのところで観賞体験が損なわれたことに対して、頭にきた。それは、これまで味わったことのない、腹立たしさである。

▼▼▼▼以下ネタバレあり▼▼▼▼

 ここからは内容について。

 一言で述べると、本作は叙述トリックを使ったサイコサスペンスだ。すべては精神病院の患者である主人公の妄想という話。だからこそ、この作品のポイントは、謎解きなどにはない。この映画が描いているのは、悲しい過去から抜け出せないひとりの男の物語だ。

 このトリックには、気づくひとはかなり早い段階で気づく。僕が気づいたのは、上映開始1時間が経ったあたりだろうか。上映前のアナウンスがなければもっと早く気づき、そして、その上で男の苦悩を描いた作品として観ることができたのだが。

 叙述トリック作品は、『シックス・センス』以降、非常に増えた印象がある。去年公開の『パッセンジャーズ』もそうだし、日本映画でも『アフタースクール』やいま公開している『×××××××××』など、有効に機能している作品が多い。しかし、叙述トリックを考えなしに使っただけであれば、観賞者をひどい徒労感に追いやるだけだ。たとえば、先日まで公開されていた『ランニング・オン・エンプティ』のように。叙述トリックは、その技巧とテーマが上手く結びついてこそ効果を見せる。

 この作品は、原作がそもそも叙述トリックを用いており、それを映像化したものだ。テーマとトリックの結びつきはある程度機能しているが、彼の懊悩を表わす映像(たとえば、前半にある夢で妻と抱き合うシーン)などは、より工夫が必要だったのではないか。深い懊悩によって引き起こされた個人の倒錯を描いた作品なので、あの部分の工夫がより必要だった。もっと言うならば、トリックや妄想の描写を必要とするこの原作は、スコセッシ向きのではなかったようにも思う。

 とは言え、作品自体は悪くない。だからこそ、あの宣伝がひどくもったいない。

監督:マーティン・スコセッシ/製作:ブラッドリー・J・フィッシャー、マイク・メダヴォイ、アーノルド・W・メッサー、マーティン・スコセッシ/製作総指揮:クリス・ブリガム、レータ・カログリディス、デニス・ルヘイン、ジャンニ・ヌナリ、ルイス・フィリップス/原作:デニス・ルヘイン『シャッター・アイランド』(早川書房刊)/脚本:レータ・カログリディス/撮影:ロバート・リチャードソン/プロダクションデザイン:ダンテ・フェレッティ/衣装デザイン:サンディ・パウエル/編集:セルマ・スクーンメイカー/音楽監修:ロビー・ロバートソン/出演:レオナルド・ディカプリオ、マーク・ラファロ、ベン・キングズレーミシェル・ウィリアムズ、エミリー・モーティマー、マックス・フォン・シドーパトリシア・クラークソンジャッキー・アール・ヘイリーイライアス・コティーズテッド・レヴィンジョン・キャロル・リンチ、クリストファー・デナム/制作プロダクション:Phoenix Pictures、Appian Way Productions、Sikelia Productions/日米配給:パラマウント/原題:"Shutter Island"/2010年4月9日公開/138分

*1:これを映画化したウィル・スミス主演『アイ・アム・レジェンド』は、テーマがまったく異なるので注意。