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2010/05/07/Fri

[][][]だれが映画を壊すのか?:『RAILWAYS』Twitter試写会の問題点

●Twitter試写会の問題点はなにか?

 松竹が配給し、5月29日に公開される『RAILWAYS』という映画がある。『ALWAYS 三丁目の夕日』を制作したプロダクション・ROBOTが創った作品だ。しかし、この作品の宣伝で、かなりまずいことが行われようとしている。それが「リアルツイッター試写会」だ。

 これは、一般から募集された60人が、スクリーンで映画を観ながら、携帯電話からTwitterでつぶやくという試写会だ。募集の条件が「フォロアー50人以上」であることから、それなりの波及効果を狙っているものだと推察できる。

 この宣伝に対して、既に疑問を呈しているひとは多くいる。代表的なものを以下にふたつ紹介しておく。

・「映画監督入江悠 日記 - Twitterをしながら映画を観ること。【RAILWAYSの試写会】」

http://blog.livedoor.jp/norainufilm/archives/51664322.html

・柴尾英令さん発「Togetter - まとめ『史上初ツイッターしながら試写会への反応』」

http://togetter.com/li/17723

 これらを踏まえつつ、今回の試写会がはらむ問題点をまとめ、それを分析していく。この試写会の論点は、以下のふたつにまとめられる。



1:宣伝効果はあるのか?

2:映画館でケータイを使うことは良いことなのか?



 今回、大きな問題視をされているのは、もちろん2のほうだが、業界的には1についての分析もなされる必要がある。

 以下、この2点についてそれぞれ分析していく。


●Twitter試写会の宣伝効果はあるのか?

 宣伝側が、Twitterの流行に乗ろうとしていることは、容易に見て取れる。実際、「ツイッター」という単語を使うだけで、そのあたりの映画媒体は記事を作ってくれる。そうすれば『RAILWAYS』という作品名の露出も増える。

 こうした宣伝は、映画会社の宣伝部署が直接行うわけではない(いま宣伝を自社だけでやっているのは東宝くらいだ)。専門の宣伝会社が請け負い、大規模公開の作品はTV・ネット・紙媒体とそれぞれ個別の会社に委託されるケースがほとんどだ。『RAILWAYS』は、4月28日時点で全国199スクリーンでの大規模公開が予定されているので、ネット系の宣伝会社によるアイディアだと思われる。

 配給会社にとって、宣伝の実績を測る尺度は「露出数」になり、それを「成果」として評価する。よって、宣伝会社はとにかく露出を増やそうとする。

 宣伝効果というものは数値化しにくく、しようとする努力も映画業界ではほとんどなされない。興行成績が良くても悪くても、そこで宣伝がどの程度機能していたかは、さほど検証されない。それゆえ、もっとも重要な尺度とされるのが「露出数」になる。決して露出の「質」ではない。

 これは、他業種でマーケティングをやられている方が訊くと、驚くような話かもしれない。しかし、残念ながら日本の映画マーケティングはその程度だ。それは、外国映画の宣伝を見てもわかるだろう。最近ヒットしにくくなっている外国映画では、注目されている芸能人を試写に呼び、彼らの知名度でマスコミを集めて映画にも注目を向けようとする。

 しかし、それにどれほどの効果があるのか? 効果がゼロだとは言わないが、宣伝効果の測定をちゃんとやっているとは思えない。

 現在の映画宣伝には、まずこうした映画(配給)会社と宣伝会社の関係があり、Twitter試写会は、こうしたなかから編み出された策だと考えられる。

 ネットを使った宣伝は、映画に限らずこの10年以上ずっと注目されている。CMで「続きはウェブで」というコピーが注目されたのは、もうずいぶん前に感じられる。映画でも、「ブロガー試写会」、「mixi試写会」、「ネット試写会(パソコンモニタを通じて、パスワード制で映画を観る)」といったものが行われてきた。また、影響力が強いとされるYahoo!映画では、いまもむかしも映画作品の関係者が高得点をつける工作がさまざまな作品で噂されている(おそらくそれは行われている)。

 Twitter試写会は、こうしたネット宣伝のひとつだ。奇しくも、現在フジテレビの木曜22時のドラマ『素直になれなくて』がTwitterを題材にしていることもあり、社会的な注目度も非常に高まっている。

 実際、『素直になれなくて』の放映時には、Twitterのタイムラインには、このドラマのつぶやきが溢れる。このドラマを賞賛するものはわずかで、ほとんどはツッコミ的なつぶやきだ。いろいろところに住む面識のないひとたちが、同時にドラマを観て即時的な感覚を共有していく。いわゆる「実況」の面白みは、ここにある。

 これは、『素直になれなくて』だけで行われていることではない。さまざまなテレビ番組やラジオ番組で、やられてきたことだ。また、Twitterに限らず、2ちゃんねるには「実況ch」があり、各テレビ局やスポーツ中継の「実況≒つぶやき」が日々おこなわれている(mixiでも行われている)。これはかなりむかしからのことだ。

 『素直になれなくて』の新規性は、Twitterを題材にしてTwitterユーザーの興味を惹きつけたことくらいだ。もちろん世間に広く認知させた効果はあったが、放送(テレビ・ラジオ)とTwitter(ネット)の親和性は、ずいぶん前から見られたものだ。

 しかし、今回のTwitter試写会は、放送ではなく映画だ。観るのは、たったの60人。テレビに比べると極端に少ない。しかも、その60人が発したつぶやきは、映画を観ない圧倒的多数のひとの目にも入る。

 そこでは、ふたつの問題が生じる。ひとつが、ネタバレまでもつぶやかれるという問題。もうひとつが、圧倒的多数の映画を観ていないひとには、そのつぶやきがストレスに感じられるという問題だ。

 テレビやラジオの場合だと、実況が盛り上がった結果、それに興味を持ってチャンネルを替えるひともいる。しかし、映画試写の場合は、その場にいないのだから物理的に観ることはできない。そこに大きな効果が望めるはずもない。逆に、ネガティブな効果のほうが大きいかもしれない。

 そもそも、Twitterの情報伝播力に期待するのであれば、上映中の携帯使用などは不要だ。この試写は、フォロワー50人以上を集めることから、作品の伝播力に期待していると思われるが、それならば上映中にtweetする必要はいっさいない。上映後に感想コメントを特定のハッシュタグをつけてつぶやいてもらえばいいだけだ。

 そうしたことを踏まえて考えると、宣伝としてこの試写会の効果は極めて低いと考えられる。



炎上マーケティングの可能性

 しかし、さらにもうひとつの効果がこの宣伝に内包されている可能性がある。それは「炎上マーケティング」だ。

 炎上マーケティングとは、バッシングされることによって、対象への興味喚起と認知を広める手法だ。これは、過度なバッシングが広がるときに、必ず対象を擁護・支持する意見も出てくることを担保とする。ときには、圧倒的なバッシング派を一部の支持派がクリティカルに反駁することによって、一気に終息させたり、または形成を逆転することもある。そこまで行かなくとも「賛否両論」というかたちになり、注目を集める。

 今回のTwitter試写会は、炎上マーケティングを狙ったものかどうかはわからない。しかし、募集告知にあるこの一文は見逃せない。

昨今ツイッターを駆使した映画のイベントが広く行われておりますが、今回のイベントでは映画の世界ではタブーとされてきた上映中の携帯の使用を許可した

新作映画史上初の「上映中にツイッターでつぶやける」

試写会イベントです。

(太字部分――引用者)

 「タブー」という表現から、映画上映中の携帯使用が良くないとされていることについて、宣伝側がそれなりに認識していることはうかがえる。

 それゆえ、これは意図的な炎上マーケティングの可能性もある。炎上マーケティングであれば、私のこの文章もまんまも釣られたということだ(だからリンクは貼らない)。

 しかし、炎上マーケティングで、当初からバッシングを目的としているものは多くない。そのほとんどは、たまたま炎上したときに、それを上手く転用した事例だ。映画でも、「炎上マーケティング」的な出来事は、過去にあった。

 記憶に新しいところで言えば、『靖国 YASUKUNI』(2008年/→レビュー/配給:ナインエンタテインメント)や『バトル・ロワイアル』(2000年/配給:東映)がそうだ。この2本は、政治団体(右翼)や国会議員が作品に疑問を投げかけ、その是非が大きな波紋を呼んだ。もちろん、それらは配給・宣伝側が意図するところではなかった。しかし、宣伝側はしたたかに作品の宣伝に繋げた。結果、この両者は大きく報道され、強力な宣伝効果を発揮した。興行的にもこの2本は、大ヒットと言っていい結果を出した。

 では、意図的な炎上マーケティングをやっているところはあるのか?

 あるとすれば、いまもむかしもそれを「ジャーナリズム」の大義のもとにやっているマスコミくらいだと言っていい。たとえば、酒鬼薔薇の実名・顔写真掲載した『FOCUS』などがそうだ。テレビがない時代には映画館でニュースが流されていたり、コピーメディア表現であることを踏まえると、映画はマスコミでありマスメディアでもある。『靖国』や『バトル・ロワイアル』が、炎上マーケティング的な策を取れたのも、こうした文脈があるからだろう。

 しかし、今回のケースが意図的な炎上マーケティングだとするならば、そこで宣伝側が理解できていないのは、そのリスクの大きさだ。『靖国』などのように、たまたま右翼と呼ぶには乏しい青年や正義感に萌える国会議員がスタンドプレーをしてしまうのとは意味が異なる。

 ネット炎上は、ほとんどが燃えつくすまで流れは変わらない。形勢が逆転することはレアケースだ。ほとんどの炎上は、対象の謝罪によってはじめて鎮火する。

 ネットでは、ひとつの流れが(たいていは極端なパターンで)極大化するケースがしばし指摘されてきた。ネット分析のテクニカルタームで、これを「サイバー・カスケード」という。この概念は、アメリカの憲法学者、キャシャ・サンスティーンが『インターネットは民主主義の敵か』で提唱したもので、ネット研究の世界ではとてもよく知られている。

 今回のTwitter試写会を企画したひとが、こうしたことをどれほど理解しているかはわからない。いや、知らないのだろうと思う。なぜなら、そのリターンの小ささを考えれば、それは恐ろしくハイリスクな戦略でしかないからだ。

 さて、「論点1:宣伝としての効果はあるのか?」についてまとめると、私の意見は以下のようになる

 この試写をイベントとして映画媒体がとりあげる露出効果はあるかもしれないが、Twitterによる宣伝効果は弱く、逆にネガティブ効果を引き起こす可能性の方が高い。それが意図的な炎上マーケティングだったとすれば、とてもハイリスク・ローリターンである



●携帯パカパカさん遭遇率→約70%

 さて、二つ目の論点は「映画館でケータイを使うことは良いことなのか?」ということだ。これが本題だ。

 冒頭でリンクを貼った、『SR サイタマノラッパー』の入江監督と、ゲーム『レナス 古代機械の記憶』のクリエイター・柴尾さんも、ここを問題視している。もちろんお二方とも、携帯使用に問題があるとする立場であり、私も同様だ。今回は試写という特例だったとしても、映画会社がそれを認めることは映画にとって良いことなのか、という問題意識である。

 現在、映画館で上映中に携帯電話を開く人はとても多い。携帯が普及し始めたのは95年あたりからだが、その後携帯メールが一般化し、さらにシネコンで段差のあるスタジアム・シーティングも普及したことで、携帯電話の光は非常に目立つものとなった。

 いまは、かなりの割合(体感的には7割)で上映中に携帯電話を開くひとに遭遇する。さらに驚くべきことに、マスコミ試写で遭遇することも多い。そういうひとたちに、世代・性別で特徴は見られない。若い人でも中年でも老人でも、男性でも女性でも、パカパカ開くひと(以下、パカパカさん)は、周囲のことなどお構いなしに携帯を開く。

 この場合、パカパカさんは上映中の携帯電話の光が、他のひとたちにとって迷惑であると、まったく想像してないと思われる。たとえば、昨年末に行ったあるマスコミ試写では、3席隣の中年男性が、10分おきに携帯電話を開いていた。映画の後半になると、数分間じっと開いたままメールか何かを読んでいる。そして、彼の隣や後ろの席のひとは、それを注意することがなく、上映終了後までなにも状況は改善されなかった。3席隣の私は、けっこう距離があるために、注意するにも声を少し大きくしなければならず、それは被害を拡大させる可能性もある。ジレンマ的な状況になるわけだ。

 もちろん、バイブレーターを消し忘れ、上映中に電話がかかってきて携帯が震え、電源を消すために光らしてしまうひともいる。つい先日、渋谷・シネマライズ2Fで『プレシャス』を観たときにも遭遇した。そのひとは、極力携帯が光らないように手で遮るなどして消した。こういう場合は、忘れていたのだからしょうがないかなとは思う。

 問題なのは、無自覚に上映中に携帯電話を繰り返し開いたり、開っぱなしでメールやサイトをチェックするようなひとである。

 では、このパカパカさんは具体的になにが問題なのか?

 以下、それを考えていく。



●マナーとはなにか

 上映中の携帯電話のパカパカを問題視する際、それを肯定する立場からも否定する立場からも頻繁に論点とされるのが、「マナー違反かどうか」というものだ。

 一般的に、ほとんどの観客にはそれが「マナー違反」だと認識されている。TOHOシネマズをはじめ、マナーCMを出す劇場も少なくない。それゆえ、上映中に携帯パカパカさんに遭遇するのは、多くてもふたりくらいだ(被害者はその20倍以上いるが)。

 しかし、携帯パカパカさん自身は、それが「マナー違反」だと認識していないからこそ、無自覚に携帯を開くのだと考えられる。つまり、「映画の上映中に携帯電話を開いてはならない」という“マナー”は、一部とは言えそれを認識していないひとがいる以上、もはや「常識」ではないのだ。

 そして、この「マナー」という言葉は、日本では「常識」と同義に使われることが多い。その場合は、しばしば「だれもが共有している暗黙のルール」という意味で使われる。

 しかし、現在、日本では「マナー」や「常識」をめぐる論争が、ネットや路上、喫茶店、居酒屋、住宅街等々で起きている。たとえば、Aさんのなんらかの言動が、Bさんに「それはマナー違反です」と意見され、今度はAさんがBさんに「そのマナーのほうがおかしい」と再反論する。めいめいが信ずる「マナー(正論)」がぶつかり合い、どこまで行っても平行線を辿る。そしてそのマナーの妥当性は、詳細に検証されることなく、たいていは数の論理や参加しているゲームプレイヤーの能力によって勝負は決まる。ネットなどでよく見かける、「空気嫁→お前モナー」的な議論のループも、だいたいはこういう展開と結果になる。

 いまの日本では、めいめいがなんとなしに信ずる「マナー」や「常識」が、まったくもって他者に共有されていない現実がままある。そして、それを認識できていないがゆえに、小さな衝突や空回りが生じる社会が続いている。しかも、日本では議論する教育を受けていない者がほとんどのため、それらはたいてい実を結ばずに終息する*1

 しかし、そもそも映画館で携帯を開くことは「マナー問題」なのだろうか?

 「マナー」とは「作法」のことである。たとえば、お茶会やカルタ大会では、参加者は正座をする。歴史的な文脈として、そういうものだからだ。

 そうした伝統的な作法もあれば、一方で非伝統的な作法もある。電車のなかでの携帯電話による通話がそうだ。95年以降の携帯電話普及により、携帯マナーは一時期大きく話題となった。結果的にそれは、電車会社側が「心臓のペースメーカーを狂わす可能性があるので、遠慮しましょう」と表明し、乗客が概ね従うことで落ち着いた。

 しかし、携帯電話使用によって心臓のペースメーカーがおかしくなったという事例は聞いたことがないし、だれもが会話はしないもののメールやページ閲覧、ゲームなどの携帯電話使用をしているのが実状だ。「心臓のペースメーカー」は、周囲を気にせずに携帯で通話するひとたちを抑止するための、詭弁でしかなかった。そのタイミングに携帯メールが普及し、電車内で長い通話をするひとが激減したという流れだ。



●映画館=「壁に投射された光を大勢で観る場」

 さて、映画館での携帯電話使用は、こうしたお茶会や電車でのマナーと同じように考えていいのか?

 結論から言えば、それは違う。

 なぜなら、携帯電話が発する光は、映画を観ている他のひとの観賞を物理的に阻害するからである。それは「マナー違反」といった生やさしい言葉で説明できる行為ではなく、明確な「映画観賞の妨害行為」である。

 映画館で携帯電話を開いたことがあるひとは、「妨害行為」だと聞くと、「大げさな」と思うかもしれない。しかし、決して大げさではない。それには、まず映画館というシステムについての理解が必要だ。

 映画館とは、極めて単純化して言えば、「壁に投射された光を大勢で観る場」だ。僕らが観ている「映画」とは、厳密に言えば光の連続だ。そしてこの光を観るために、あの暗闇が必要とされる。

 たとえば、夜のシーンで画面が暗いとき、われわれがそこで観ているのは厳密には「暗い映像」ではない。「光があまりあたっていないスクリーン」である。暗い映像とは、決して黒い光が投射されているわけではなく、光の遮られた部分、つまり影が多い映像だ。映画とは、この光と影による表現である。映画とは、こうした物理的なシステムによって成立しているものだ。

 こうした「光を観るための暗闇」で、携帯電話から光を発する行為とは、そこにいるひとの目的を完全に妨害することだと断じることができる。

 こう言うと、やはり「大げさだ」と言うひとがいるかもしれない。「気にしなければいいことだ」と思うかもしれない。ハッキリ言うが、そんなことはない。

 以下、映画館での携帯電話使用におけるふたつの例を挙げよう。

 まず、上映中に突然携帯電話を開き、光が発せられる場合。映画に集中しているひとは、別の場から発せられた光に条件反射的に目を向けてしまう。「気にするな」という意見はこの段階で却下される。条件反射とは、意識や思考、感情とはべつに水準で生じるからこそ、条件反射なのだ。

 このケースは、暗闇で自分が懐中電灯を照らして歩いているとき、突然斜め前で光が点滅したケースを考えればいい。気にするもしないも、必ずそこに我々は目を向ける。映画館で携帯電話を開くというのは、こういうことだ。

 次に、携帯電話を開いたひとが、それを開きぱなしにしたケースではどうか。これは、その光が目に入るほど近くに座っているひとには、物理的にかなりの被害となる。それは、転倒防止用に通路の床から発せられる光が強い映画館(たとえばシネマライズ2F)のことを考えてみればわかるだろう。光が目に入り続けると、スクリーンに映される映像は本来の鮮明さを失う。これと同様に、携帯電話を開き続けるひとは、他の観客の観賞を妨害する。

 携帯電話を映画館で上映中に開く行為とは、このように、他の観客の観賞を物理的に妨害することなのだ。

 これは、「マナー問題」というレベルなのかと言うと、個人的にはその水準を超えるものだと捉えている。前述したように、映画館を使用するサービス受益者は、光を観に行っている。それを阻害する行為とは、迷惑行為というよりも、上映破壊行為である。

 そこで壊されているのは、「映画文化」といった生やさしいものじゃない。「映画館の物理的なシステム=サービス」が破壊されている

 なお、映画館における携帯電話使用は、一部の劇場では物理的に電波を遮断することで抑制されている。

 たとえば、滋賀県の栗東芸術文化会館さきらでは、2000年に携帯電話電波抑止装置が導入されている。これは、演劇や音楽の上演中に着信音が鳴ることを防止するためだ。以降、帝国劇場や国立劇場、東京宝塚劇場、NHKホールなどの劇場でも導入されている(詳しくはこの記事で→リンク)。海外では、2004年にフランスで電波を遮断することが法律で認められるようになった(→記事リンク)。

 じゃあなぜ日本の映画館がこうした技術を導入しないかと言うと、おそらく劇場側の予算の問題と、単に知らないということであろう。映画館の業界団体である全国興行生活衛生同業組合連合会(全興連)あたりが音頭を取って普及に務めればいい話である。

 というわけで、ここで論点2「映画館でケータイを使うことは良いことなのか?」をまとめるとこうなる。

 映画館は「壁に投射された光を大勢で観る場」であり、映画館での携帯使用はそれを物理的に阻害する行為である。「マナー違反」などではなく、「映画鑑賞の妨害行為」である。


●結語

 この『RAILWAYS』のTwitter試写会では、そこに参加するひとたちは、みな携帯電話の使用に同意しているので、この試写会場においては問題は発生しない。だが、入江監督も柴尾さんも危惧している問題は、映画会社が映画館での携帯使用に「お墨付き」を与えてしまうことにある。もちろん宣伝会社や松竹にとって、それは誤解として広まってしまうことを意味している。しかし、誤解であっても広まるものは広まるのだ。

 もちろん配給の松竹が、今後映画館で携帯使用を認めたりすることもないだろう。しかし、ここで限定的とは言え「お墨付き」を与え、そして今後同様の試写会が増え、それによって映画館での携帯使用が広がっていく可能性もある。試写に参加したひとが、「試写でオッケーなのに、なぜ映画館で携帯使用はダメなの?」と思うかもしれない。今回のツイッター試写会が危惧されるのは、映画観賞妨害が一般化していく端緒になるかもしれないからだ。

 こうした考えを持つひとは、決して少なくないだろう。しかし、映画媒体や映画ライター・評論家などにあまり期待はできない。映画媒体は映画会社から出稿を受けているし、宣伝マンと化した御用聞き映画ライターなどは、試写状が来ないことを怖れる。僕がここで書いていることも、非常にリスキーなのかもしれない。火中の栗を拾いに行くようなことで、大したメリットはないと思っている。

 それでも書いたのは、映画という制度を壊して欲しくないからだ。さらに、この作品の混迷する映画宣伝について長々と分析したのも、マーケティングの見地から基礎的な知識を提示することで、より生産的な方向に向かっていって欲しいからだ。

 松竹やROBOTについて、他意はまったくない。それどころか、松竹の広報さんや編成部長さん、ROBOTの元社長さん(この作品の製作総指揮)などには、お話をうかがったこともあるのでちょっと心苦しいが、それでもこのツイッター試写はやはりまずいと言わざるをえない。

 もう既に一般から募集をしているので、いまさら「中止すべきだ」とは言わないし、言ったところで中止できないはずだ。ただ、せめて試写の場では「これは極めて異例のイベントで、ふだん映画館で上映中に携帯を開いてはならない」と参加者に言って欲しい。

 そして、各種の御用聞き映画媒体やライターは、プレスリリースを丸写しにするばかりでなく、こういう事態に対し真摯に向き合うべきだ。マスコミの役割は、こういう事態をチェックし、是正するためにもある。マスコミは「映画の味方」ではあっても、「映画会社の提灯持ち」ではないのだから。

●追記

 その後、この試写会はつぶやきシローを招かれておこなわれた。その模様は以下。

http://www.j-cast.com/mono/2010/05/19066789.html

 この記事によると、関係者は「上映中の携帯電話の使用や『つぶやき』を容認するものではなく、この試写会を通して、観賞マナーについての議論が活発化し、上映中のマナー向上の一助になってほしい」と口頭で説明したそうで、もしこのブログを読んでそう説明していただいたのなら、良かったのではないか。とは言え、その説明は「落書きするな」と壁に落書きするようなものでもある。炎上マーケティングの回収としても、ベターな落としどころだとは思えない。

 また、このニュースが、テレビ朝日と日本テレビで報じられたりもし(おそらく朝の情報番組)、そのときにどれほどこの関係者の言葉が伝わったのかは知らない。いや、おそらくそれは報じられていないだろう。

 また、静岡大学の赤尾晃一先生がこの一件について、映画業界が90年代に劇場の非常口誘導灯を消すためにロビイ活動を行った話が書かれてある。

http://www.akaokoichi.jp/index.php?ID=1768

 たしかに、むかしは非常灯はついていた。劇場によっては、それがとても煩わしく感じられるところもあった。なかには非常灯がついていない劇場もあったので、あれは違法だったということだ。それがいつの間にか、どこの映画館からも上映中の非常灯が消えた。それにはこういう経緯があったのだ。

 なお、この試写会に参加したひとの記事もいくつか挙げられている。



・「コラーゲン食って肌がぷりぷりになるわけねーだろ(笑)」社長のブログ:ハイパーソーシャルメディアクリエイター(笑)が観た「つぶやける試写会」

http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51026543.html



・RAILWAYS(Twitter試写会)映画の感想

http://d.hatena.ne.jp/Tensor/20100517/1274121151


 これらの記事にも書かれているように、このツイッターのつぶやきによる宣伝効果は極めて低い。そして、宣伝側がやりたかったことは、スクリーンの両サイドにモニタを置いたように、どうも「ニコニコ動画」的なことだと思われる。なんにせよ、先に書いたように、このつぶやき自体に効果はあまりない。

 しかし、結局この企画は、出資者のひとつであるテレ朝や、日本テレビでも取り上げられた。タイトルを認知させるためには、その宣伝内容よりも「ツイッター+つぶやきシロー」が先行していたことがわかる。そして、その効果はテレ朝はともかく日本テレビが取り上げたという点で効果があったし、そして一部のネットの映画媒体は問題意識を持たずに、プレスリリース丸写しの記事を作る(『シネマトゥデイ』は取り上げなかったが)。結局、この宣伝にある程度の効果はあったとも言える。

 とは言え、僕をはじめとしてこのツイッター試写会に疑問を投げかけたひとは少なくなく、ネガティブ効果もそれなりにあったはずだ。松竹にとっては企業価値を損ねる行為だったとも言える。メディア露出効果はあったにせよ、マイナス効果の大きさもそれなりにあったと思える。そしてまた、そんなリスクがある宣伝を、今後追従するところも現れないだろう、とも思う。

*1ネット右翼に代表される多様性フォビアや不安型ナショナリズムなども、こうしたコンティンジェントな現実のなかで、不安や苛立ちの解消を目的とする極端な立場表明である。