ありのままに見る世界
ありのままに見れば良いと思う。
なのに、難しく考えてしまう。勘繰ってしまう。
時には、自分が置かれた環境に、存在しそうなルールや枠組みに習ってしまう。
また時には、格好をつけてしまう。賢さ、物分りの良さを気取ってしまう。
本当は必要無いはずの感情が、知らない所で生まれてくる。
本当は目的に沿わない価値観が、知らない所で生まれてくる。
そうなると、もはやありのままには見られない。
色々、ありのままに見れない癖みたいなものがついていて、それが生き方を難しくしているように思う。
けれど、ありのままに見る目を取り戻してくれるのが、自分にとっては写真なのだと思う。
だから、写真は自分の生き方にとっても、大切な物なのだと思う。
大切だと思う事をする場
生きる意味を考えると、その時々で割と答えが違うのですが
今の答えは「自分が大切だと思う事をする」のが生きる意味なのだろうと思います。
大切な事は、仕事としてやることかもしれないし、
家族と共に過ごす時間の中にある事かもしれないし、
お金を儲ける事かもしれないし、お金は必要ないことかもしれないし、
人知れずやることかもしれないし、地球規模でやることかもしれない。
他人がどう思っても、自分が大切だと思っていることをしていることが、
本人の生きる意味だと思います。
それをする場とそして与えられたのが、社会なのかなって思うのです。
「何が大切なのか?」時々、自分に問いかけたいです。
少しでも答えの様なものがみつかれば、安心するものですね。
希望の光は、心の中に
絶望して、気力を失う時、不安にのまれる時、何も信用できなくな時。
それを打開する行動すら取れない時があります。
そんな時、希望の光は、やはり自分の心の中にあるように思います。
新聞を読んだり、本を読んだり、料理をしたり、洗濯物を畳んだり、散歩をしたり、人と話しながら、ゆっくり自分の心を探っていくと「あぁ、これかも」というものが見えてきたりします。
落ち込んでいる時はそんな元気も無いかも知れないし、なかなか見つからなくてやる気を失くす事もあるけれど、絶対に何かあるのだと思います。
動けなくなってしまった自分を動かす希望が。
ここ、2ヶ月は色々な事があって、沈んだ心のまま過ごす時間が多かったですが、
自分の心に希望の光があるように思いました。
自分で落ち込んで、自分で希望を作ってって、おめでたい話ですね(笑