不老不死

墨子年八十有二、乃歎曰「世事已可知矣、榮位非可長保、將委流俗以從赤松遊耳」乃謝遣門人、入山精思至道、想像神仙。
於是夜常聞左右山輭有誦書聲者。墨子臥後、又有人來以衣覆。墨子乃伺之、忽有一人、乃起問之曰「君豈山岳之靈氣乎?將度世之神仙乎?願且少留、誨以道教」神人曰「子有至徳好道、故來相候、子欲何求?」墨子曰「願得長生、與天地相畢耳」於是神人授以素書、朱英丸方、道靈教戒、五行變化、凡二十五巻。告墨子曰「子既有仙分縁、又聰明、得此便成、不必須師」墨子拜受合作、遂得其効。乃撰集其要、以為五行記五巻、乃得地仙、隠居以避戰國。
至漢武帝時、遺使者楊遼、束帛加璧以聘墨子墨子不出、視其顏色、常如五六十歳人。周游五嶽、不止一處也。
(葛洪『神仙伝』、墨子


晋の葛洪作とされている『神仙伝』においては、かの墨子も仙人になって天地が滅びるまで生き続けることを望み、そして実際に仙人になって漢の武帝の時代においてもなお健在であった、とされている。





この話自体はまあ後世のでっち上げの類だとは思うが(というか現代の常識でいえば普通にありえない話であるが)、墨子が漢代以降もこの世に存在し続けてうろうろしていた、というのはなかなか面白い話と言えるかもしれない。



例えば漢の武帝の時代の物語とか三国時代の物語に墨子本人を出してもおかしくないということなのだから。





それと、これはまあ単なる想像になるが、あの魯の夢想家は死後にそっくりさんを影武者に立てようとしていたことが記録されているので、墨子も同じようにそっくりさんが墨子として跡を継ぐというのを繰り返していて、それが墨子不老不死伝説の端緒になった、みたいなことがあったりしたのかもしれない、などとちょっと思った。