晴れの日の雷

郭況、光武皇后之弟也。累金數億、家僮四百餘人、以黄金爲器、工冶之聲震於都鄙。時人謂、郭氏之室、不雨而雷、言其鑄鍛之聲盛也。庭中起高閣、厝衡石於其上、以稱量珠玉也、閣下有蔵金窟、列武士以衛之。錯雜寶以飾臺榭、懸明珠於四垂、晝視之如星、夜望之如月。里語曰、洛陽多錢郭氏室、夜日晝星富無匹。其寵者以玉器盛食、故東京謂郭氏爲瓊廚金穴。況小心畏慎、雖居富勢、閉門優遊、未曽干世事、爲一時之智也。
(王嘉『拾遺記』)

後漢光武帝の最初の皇后である郭氏の家はとんでもない金持ちであった。



何でも、四百人もの僮僕を抱え、黄金や玉で食器を作り、屋敷は宝物や夜も光る珠で飾り、私的に営んでいる冶金の音が町中にも田舎にも響き渡ったため、「郭氏の家は雨も降らないのに雷の音がする」と言われていたのだとか。




良く言われることなので言うまでもないかもしれないが、ここまでの財力と武力(冶金ということはこの家は軍需産業で栄えたということだろうし、僮僕は自家製の武器を持たせれば兵士にできる)を独力で抑えていたからこそ、光武帝も初期はこの家と厚く結んだということだろうか。