単なる思いつき

(劉)伯升於是招新市・平林兵、與其帥王鳳・陳牧西撃長聚。
【注】
平林、地名、在今隨州隨縣東北。
(『後漢書』紀第一上、光武帝紀上)

光武帝の兄劉伯升らの挙兵に際して、「平林」の王鳳・陳牧らと連携した。




帝王紀曰「舂陵戴侯熊渠生蒼梧太守利、利生子張、納平林何氏女、生更始。」
(『後漢書』列伝第一、劉玄伝注)

平林人陳牧・廖湛復聚衆千餘人、號平林兵、以應之。
(『後漢書』列伝第一、劉玄伝)


この「平林」は実は『漢書』地理志、『後漢書』郡国志には名前が見えない、つまり県としては登録されていないのだが、その一方で劉玄の母の実家や陳牧らの出身としてその名が出てきている。





このように出てくるのは大抵は県名なので、少なくともある時期は「平林」が県名だった時期があったのではないだろうか?*1
*2



ことによると、王莽が各地の地名を山ほど変更した中に「平林」もあって、前後の時代は別の名前の県名であった、などという可能性もあったりするのだろうか?

*1:もちろん、県より下の郷などの名前である可能性もある。

*2:それ以前に、単に私が見落としているだけの可能性もある。