『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その11

その10の続き。

莽上書言「臣與孔光・王舜・甄豐・甄邯共定策、今願獨條光等功賞、寑置臣莽、勿隨輩列。」
甄邯白太后下詔曰「『無偏無黨、王道蕩蕩。』屬有親者、義不得阿。君有安宗廟之功、不可以骨肉故蔽隠不揚。君其勿辭。」莽復上書讓。
太后詔謁者引莽待殿東箱、莽稱疾不肯入。
太后使尚書令恂詔之曰「君以選故而辭以疾、君任重、不可闕、以時亟起。」莽遂固辭。
太后復使長信太僕閎承制召莽、莽固稱疾。左右白太后、宜勿奪莽意、但條孔光等、莽乃肯起。
太后下詔曰「太傅博山侯光宿衛四世、世為傅相、忠孝仁篤、行義顯著、建議定策、益封萬戸、以光為太師、與四輔之政。車騎將軍安陽侯舜積累仁孝、使迎中山王、折衝萬里、功徳茂著、益封萬戸、以舜為太保。左將軍光祿勳豐宿衛三世、忠信仁篤、使迎中山王、輔導共養、以安宗廟、封豐為廣陽侯、食邑五千戸、以豐為少傅。皆授四輔之職、疇其爵邑、各賜第一區。侍中奉車都尉邯宿衛勤勞、建議定策、封邯為承陽侯、食邑二千四百戸。」
四人既受賞、莽尚未起、羣臣復上言「莽雖克讓、朝所宜章、以時加賞、明重元功、無使百僚元元失望。」
太后乃下詔曰「大司馬新都侯莽三世為三公、典周公之職、建萬世策、功徳為忠臣宗、化流海内、遠人慕義、越裳氏重譯獻白雉。其以召陵・新息二縣戸二萬八千益封莽、復其後嗣、疇其爵邑、封功如蕭相國。以莽為太傅、幹四輔之事、號曰安漢公。以故蕭相國甲第為安漢公第、定著於令、傳之無窮。」
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

王莽は「私めは孔光・王舜・甄豐・甄邯らと共に新帝をお迎えしました。今は孔光らの論功行賞のみを行い、私めについてはその中に入れずにいてもらうことがだけが願いでございます」と上奏した。



甄邯は元后に言って「「王道は広大であり、一方に偏ることはない」という。親戚だからといってへつらってはならない。君には皇帝を擁立し王朝を安んじた功績があるのだから、親戚であることを理由に称揚しないでいることはできない。君は辞退してはならぬ」と命令させたが、王莽はまた辞退した。



元后は謁者に命じて王莽を正殿の控室へ連れてこさせたが、王莽は病気を称して来ようとしなかった。



元后は尚書令(姚)恂に命じて「君は選ばれたのに病気を理由に辞退しているが、君の責任は重大であり、欠けることは許されない。速やかに来るように」と王莽へ命令させたが、王莽はそれでも固辞した。



元后は長信太僕に命じて王莽を元后の命令として連れて来させたが、王莽はやはり固辞した。左右の者たちは王莽の気持ちを尊重し孔光らのみの行賞とすべきと述べたところ、王莽はやっと復帰に同意した。



元后は詔を下した。「太傅・博山侯孔光は四世代にわたって殿中を守り、代々宰相や太傅となり、忠孝や仁義の心が顕著であり、皇帝を立て王朝を安んじる議論に加わった。一万戸を加増し、四輔の一つ太師とする。車騎将軍・安陽侯王舜は仁愛と忠義を何世代も重ね、中山王(平帝)を迎える使者となって何万里の遠くで変を防ぎ、功績と人徳が顕著である。一万戸を加増し、四輔の一つ太保とする。左将軍・光禄勲甄豊は三代にわたって殿中を守り、忠義や仁義の心に篤く、中山王(平帝)を迎える使者となって皇帝を教え導き、漢の宗廟を守った。甄豊を広陽侯に封じ、食邑五千戸を与え、少傅に任命する。みな四輔の職を授け、相続時にも領土を減らさないように定め、それぞれに屋敷を下賜する。侍中・奉車都尉甄邯は身を粉にして殿中を守り、皇帝を迎える計画を建てた。甄邯を承陽侯に封じ、食邑二千四百戸を与える。」




この四人が恩賞を受けてもまだ王莽は復帰していなかったが、臣下たちは「王莽は辞退し続けていますが、朝廷で明らかにすべき功績があり、適切な時期に恩賞を与えて大きな功績のある者を重んじる姿勢を明示し、人々が失望しないようにしなければなりません」と進言した。



元后はそこで「大司馬・新都侯王莽は三代にわたって三公となり、周公旦と同じ職に就いて王朝を永続させる策を定め、忠臣の中でも最も優れた功績と人徳があり、この世全てを教化し、遠く離れた者さえも彼の徳を慕い、越裳氏が通訳を重ねてまで白い雉を献上しに来た。召陵・新息県の二万八千戸を王莽に加増し、彼の後継者に徭役の免除を与え、相続時にも領土を減らさないように定め、相国蕭何と同様にする。また王莽を太傅に任命して四輔の主幹とし、「安漢公」の号を与え、かつての相国蕭何の屋敷を下賜する。これらを律令に定め、代々とこしえに伝えるように定めるものとする」



ついに登場する「安漢公」の号。



つまり、王莽に「周公」と同じような地位と称号を与えよ、ということである。





王莽が徹底的に辞退するのは確かに作為めいているが、孔光のような本来格上の存在もいる以上、王莽だけを特別扱いするにはそれなりの手順を踏まなければいけなかったのだろうし、徹底的に辞退するような人間(と思われる)でなければ支持を集めなられなかった、というのもあるだろう。