『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その15

その14の続き。


鉅鹿男子馬適求等謀舉燕趙兵以誅莽、大司空士王丹發覺以聞。莽遣三公大夫逮治黨與、連及郡國豪傑數千人、皆誅死。封丹為輔國侯。
自莽為不順時令、百姓怨恨、莽猶安之、又下書曰「惟設此壹切之法以來、常安六郷巨邑之都、枹鼓稀鳴、盜賊衰少、百姓安土、歳以有年、此乃立權之力也。今胡虜未滅誅、蠻僰未絶焚、江湖海澤麻沸、盜賊未盡破殄、又興奉宗廟社稷之大作、民衆動搖。今復壹切行此令、盡二年止之、以全元元、救愚姦。」
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)


鉅鹿の男性の馬適求らが燕・趙の兵を率いて王莽を誅殺しようと計画したが、大司空士の王丹がそれに気付いて報告した。王莽は三公の大夫を派遣してその一味を捕えさせ、郡国の大物数千人に嫌疑が及び、皆誅殺された。王莽は王丹を輔国侯に封建した。



王莽は命令が時宜に合わず民が恨みを抱いていると知ったが、それでも民を安んじようと思ってまた命令を下した。「期限付きの戒厳令を制定して以来、常安(長安)や周辺の六郷などの首都圏は戦の太鼓の音もめったに聞かず、群盗は減少し、民は自分の土地に安住でき、農作物は豊作である。これらはみな戒厳令のお蔭である。今、反抗的な異民族はまだ誅滅されず、南方の異民族も絶滅せず、長江、洞庭湖、海や沢は麻のごとく乱れ沸騰してるかのようであり、群盗たちもまだ全て破ってはおらず、またその上に宗廟・社稷の大土木作業があり、民は動揺している。今また戒厳令を施行し、二年後にやめることとする。これによって民を守り、愚かな悪人たちを救うのである。」



「国民のために」を謳い文句に体制が強化され制限が厳しくなるという、時代を問わない黄金パターン。



王莽が打ち出した施策が恨みを買い反乱を生み、それを抑えるためにもっと不評な施策が打ち出される最悪のスパイラルに突入していると言って良さそうだ。