『三国志』にいないようでいる人物

禮記三十卷。魏祕書監孫炎注。
(『隋書』巻三十二、経籍志一、礼)

三国魏の儒者に孫炎という人物がおり、秘書監まで至った、と記されている。




しかし、このような人物の名は『三国志』を検索しても出てこない。







時樂安孫叔然、受學鄭玄之門、人稱東州大儒。徴為祕書監、不就。(王)肅集聖證論以譏短玄、叔然駮而釋之、及作周易・春秋例、毛詩・禮記・春秋三傳・國語・爾雅諸注、又注書十餘篇。
【注】
臣松之案、叔然與晉武帝同名、故稱其字。
(『三国志』巻十三、王粛伝)

と思ったらちゃんと書いてあるのだった。



孫炎はその名が晋の武帝司馬炎と同じであるため、「避諱」が行われて『三国志』(司馬炎が皇帝の時代に著されている)においては字を用いて「孫叔然」と記されているのだ。