『史記』項羽本紀を読んでみよう:その8

その7(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180822/1534864695)の続き。





項梁起東阿、西比至定陶、再破秦軍、項羽等又斬李由、益輕秦、有驕色。
宋義乃諫項梁曰「戰勝而將驕卒惰者敗。今卒少惰矣、秦兵日益、臣為君畏之。」項梁弗聽。乃使宋義使於齊。道遇齊使者高陵君顯、曰「公將見武信君乎?」曰「然。」曰「臣論武信君軍必敗。公徐行即免死、疾行則及禍。」
秦果悉起兵益章邯、撃楚軍、大破之定陶、項梁死。
沛公・項羽去外黄攻陳留、陳留堅守不能下。
沛公・項羽相與謀曰「今項梁軍破、士卒恐。」乃與呂臣軍倶引兵而東。呂臣軍彭城東、項羽軍彭城西、沛公軍碭。
(『史記』巻七、項羽本紀)


項梁死す。



章邯が凄いと同時に、項梁自身にも驕りがあったと指摘されている。




残されたのは項羽と劉邦。この時の彼らは協力して秦に対する防御態勢を取る。




呂臣というのは陳勝を殺した荘賈を討った人物。おそらくは陳勝の残党を率いていたのではないだろうか。





そして宋義が評価を上げる。宋義が斉への使者になっている事はちょっと覚えておいていい。