『史記』項羽本紀を読んでみよう:その32

その31(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180921/1537455882)の続き。





漢王之出滎陽、南走宛・葉、得九江王布、行收兵、復入保成皋。
漢之四年、項王進兵圍成皋。漢王逃、獨與滕公出成皋北門、渡河走脩武、從張耳・韓信軍。諸將稍稍得出成皋、從漢王。楚遂拔成皋、欲西、漢使兵距之鞏、令其不得西。
(『史記』巻七、項羽本紀)


劉邦は滎陽を出て一旦南陽の方まで逃れ、あの英布と合流してまた戻ってきた。



今度は滎陽から少し西にある成皋を拠点としたが、そこを項羽が攻めるとまた抜け出し、韓信らの軍に合流。




一気に関中まで攻め寄せようとする項羽とまともにぶつからないようにしつつ抵抗し、項羽の西上を阻む劉邦





ここだけで見ると劉邦は逃げ足が速いだけで防戦一方の凡将に思えるが、実のところこの時期には韓信らは既に魏・趙を平定して今度は斉へ向かおうとしていたし、楚方面は英布の離反が起こっていた。



この視点で見ると、項羽劉邦を追いかけているうちにどんどん周囲を落とされ、気が付いたら不利な戦況になっているという状況である。戦略シミュレーションゲームのあまり気の利かないCOM軍レベルに思えてくる。




実際にはそこまで単純な話ではないだろうが、劉邦は自分が耐えつつ項羽包囲網を作り出していた事にはなるのだろう。