jerry fish

会社に退職願を提出し受理された。
これで、6月末一杯を以て自分がこの職を退くことがオーサライズされたことになる。
 
仮に人生が60年だと仮定して、実に1/5程度をこの会社で過ごしたことになる。感慨がないわけがない。ただ、このタイミングで自分の中のモヤモヤとした気持ちを書いてしまうことには、幾許かの躊躇を覚える。マリッジブルーではないが、この不安定な心持ちをそのままピン留めしてしまうと、何となくこれから後の人生に悪い影響を与えるような気がしてならないのだ。
 
6月3日、自分は退職願を提出した。
それでいいじゃん。
 

6月4日の夜、同時期に退任する専務と飲みに行き、しみじみと色々な話をした。不思議とお互いに仕事の話は持ち出さず、退職することの感慨も持ち出さず、たまに冗談を織り交ぜつつも、わりと真面目に社会問題を語り合った。たぶん、お互いにシャイなのだと思う。
ここだけの話だが、自分はこの専務のことを人間として結構尊敬している。
 
ずいぶん酔っぱらった専務がこんなことを言った。
「これからは、自分の生きた証を少しずつ少しずつ消していくんです」
 
実際のところ、この発言の意図する本当の意味がなんなのか、まだ36歳の自分にはよくわからないが、言いたいことは何となくわかるような気もする。それはとりもなおさず今、職場に通っている自分が、日々実践していることだったりするからだ。
 
自分のタスクリストが1つずつ減っていくに従って、自分がこの会社に存在した証拠が少しずつ減っていくような感覚を覚える。それは何も哀しい感覚ばかりではない。自分の仕事は、当人が好む好まざるに依らず、新たに誰かの新しい仕事になっていく。
 
最初に述べたように、その気持ちを明確に示すつもりは今はないが、敢えて言えば『春望』よりは『星のラブレター』に近いかなあ、とぼんやり考えている。
そんなことをぼんやり考えている平成22年6月7日(月)17:05の自分は、もう仕事をする気にもなれず、クラゲのようにフワフワとオフィスを漂っている。