Naming(その3)

続きの続きの続きなのだ。
 
二人目の子供を授かった時も、性懲りもなく娘の名前だけを考えていた。アホみたいだが、1人目で犯した失敗を忘れていなかったにもかかわらず、またもや「次は娘」という確信を抱いていたのです。相当娘が欲しかったんだろうな、アホだな。
 
そんなわけで、とにかく娘の名前しか考えていなかったのだけれども、ご存じの方もいるとおり、幸運なことにこの目論見については出産後慌てふためくことにはならなかった。
 
がしかし、である。前回とは全く別の問題がそこには待ちうけていた。
息子が産まれたときに思いついていた「次の子の名前」。もう時効だから白状してしまうが、二葉(ふたば)という名前だった。1つの樹に、2つの葉。おー、連作じゃん、綺麗じゃん。そう自画自賛していた。妊娠が分かった直後、妻にその名前を宣言した。妻も気に入ってくれた。まだ形すらはっきりしないお腹の中の子どもに向けて、夫婦揃って「二葉ちゃん、二葉ちゃん」と話しかけていた。
 
そして、
 
 
産まれる直前になって、妻がその名前に飽きたorz
 
今から思えば、飽きたも何もないのだけど、マタニティーブルーになっている妻にそんな理屈が通じるわけもなく、もうどう説得しても何を言ってなだめてもまったく聞く耳を持たない。あれだけ気に入っていた名前なのに、嫌だ、ぜったい嫌だの一点張り。
 
なくなくその名前はお蔵入りとなり、次の名前を考える間もなく、妊娠9カ月目で当然の早産、その直後から娘は入院、バタバタとあわただしく過ぎる毎日のなかで、娘の名前を考える間もなく、出生届の提出期限が直前まで迫っていた。
 
娘の名前がついていないことに、実は結構焦りを感じていた。人工保育機に横たわり、あり得ない数値の脈拍数を叩きだしている娘。その時、夫婦ともに口には出さなかったが、「もしかすると、名前を一度も呼ばないままに、この子は死んでしまうかもしれない」という可能性をひしひしと感じていたのだ。
 
「名前はナツミにしようと思うんだ、やっぱり」
妻を病院に置き自宅に帰った日の夜、僕は妻に言った。
 
「やっぱり、そうなっちゃうかな」
などと妻は言って、そこでしばらくぶりに笑い合った。
 
 
その名前の由来は、息子の名前を付けるきっかけとなったもう一つの出来事にさかのぼる。
名前がなかなか決まらず、やはり妻を病院に残した夜中の自宅で、やはりうんうん悩んでいた時、本棚に並ぶ一冊の本が目に留った。それは妻が買ってきた漫画で、僕はそれを読んだこともないし、それからもこれからも読む気なんでさらさらないのだけれども、なぜか作者の名前だけが心に残ったのだ。
 
その漫画の作者は、樹なつみという。
 
そういえば、あの時も冗談で話したっけ。
次が女の子だったら断然ナツミだな、と。
 
そんなわけで、極限状態の中あたかも冗談のように名付けられた娘、菜摘は、その後幸いにも天国に召されることもなく、無慈悲な運命の手に摘み取られることもなく、かなりゆったりではあるが、問題も抱えているが、彼女なりに元気に楽しく人生を謳歌している。まあ、名付けはグズグズになってしまったけど、コンセプトも曖昧になってしまったけど、いろいろと抱えているけど、楽しそうに生きているからいいじゃん、と娘の名前について考えるたびに思ったりする。意地で自然をイメージする名前にはしてやったしね。
 
だから、2人目の子供の名付けを終えた僕が思うのはこんなことだ。

その子の人生に責任を持つ覚悟さえあれば、その名前を肯定し続ける覚悟さえあれば、どんな名前を付けたっていいのだ。

 
こんな僕が最近考えているのは、もしかしたら将来作るかもしれないけど、たぶん作らない会社の名前。
会社も自分の子供みたいなものだけれども、こっちはどうせなら思い切りふざけた名前をつけてやりたい。地域に根差し、人の繋がりを大切にしていく会社には、なぜか外来語をひらがなで書いた会社が多い。
 

というわけで、僕が会社を興すことになったら、こんな名前になるだろうと無責任に考えている。今はね。

あるでんて

やわくはないぜ。