さぁ 出ておいで

昔からひとりきりの時間を大切にして生きてきたと思う。
 
どれだけ深く誰かとコミットしているとしても、誰にとっても一人の時間は大切だし、僕の場合、幾分か他の人よりも必要な時間が長いように感じる。
恐らく、長風呂が好きなのも、トイレに入ったら出てこないのも、喫茶店が好きなのも、長距離通学・通勤を生業にしてきたのも、それと無関係ではない。
会社人をリタイアして、一人で家事をしながら(ろくにしてないけれど)、自宅でポツリポツリと小さなたいしてお金にならない仕事をしていると、いままで如何に自分がひとりの時間を犠牲にしてきたかがわかる。
 
決して時間に余裕があるわけではないが、
経済的な余裕なんてものは無くなってしまったが、
それでもなお自分は自由だ。
 
 
決してお勧めはしないけどね。
 

そんな風に、誰にも属さず、どんなスタンスもとらないままに、気がつけば今年の夏も終わってしまったけれども、それとは別に極めて個人的な夏休みは今もなお続いている。いつかは解決しなければならない問題と、いますぐにでも片付けなければならない仕事と、その狭間にあって留保しつづけている幾つかの事柄と、そんなものをいくつか並べ、僕は何事もなかったかのように今日も縁側で麦茶を飲んでいる。そんなところも、まるで夏休みのようだ。
 
 
縁側で、僕はいろいろなものを待っている。
娘を迎えに行く「時間の到来」だったり、
新しい「スピッツのアルバム」だったり、
洗濯や掃除をするための「やる気」だったり、
新しい知り合いを見つける「チャンス」だったり、
思わぬ誰かからの仕事の「依頼」だったり、いろいろ。
 
ある種のものは旬を逃さぬように大切に扱い、
ある種のものは昔とは少しちがった利き目で切り捨て、
またある種のものは、自分の立場を決めずに夏休み的に留保し、
おそらくタイムアウトになるのを待ちわびている。
 
麦茶を飲みながら見える景色のことは
散歩に出てから考えればいいのだ。
 
さぁ 出ておいで