静かな日々


2008 | 06 | 07 | 08 | 09 |

2008年09月22日 遭遇の事

会社からの帰り道、駅でばったりとタカハシさんに会った。

妙に厚着をしていた。急に涼しくなったから、おそらく電車冷房対策だろうと思う。

先月は、ビアガーデンで奢ってもらったので、もし今から時間があったらどこかで夕飯がてら飲みませんかと誘ってみた。

タカハシさんは、少し思案していたが、どこか上の空な様子で頷いた。

駅から少し歩いて、おいしい焼き鳥を出す店に入った。

店は珍しく空いていて、四人がけのテーブル席に通された。


最近仕事上のあれこれで煮詰まっていて困るというような話をしているので、毎日忙しいのかと聞いてみた。タカハシさんは少し笑って、僕ほどではないですよなどと言う。

どこか上の空だったのは、疲れが溜まっているせいだったのだろう。

違う仕事をしているのだから、比べようもないと返すと、静かになってしまった。

何か悪いことを言ったかなと思っていると、肩とか背中とか、凝りませんかと言われる。


確かに仕事柄、肩や背中は凝る。

けれど、早朝と夕方、時には夜になってしまうこともあるが、リンと散歩をするようになってからは随分楽になったと思う。

タカハシさんは、自分の背中の辺りを指さして、ここのところが妙に凝るんですと言う。隣の椅子に移動して少し触らせてもらったら、確かに凝っている。

指先に力を入れて押してみると、ごりごりと固い。なんだか辛そうなので、そのままマッサージをしていたら、タカハシさんに笑われてしまった。

会社員にしておくには惜しい腕前だと言われて、一瞬何のことかと思ったら、マッサージのことだった。


いつものように、話題は本のことになりしばらく盛り上がる。あまり遅くならないうちにと散会する。

帰り際に、飛べそうなくらい背中が軽くなったと言いながらにこにことしている。

少し元気が出たようなので良かったと思う。

2008年08月29日 蜻蛉の事

昼間はまだ真夏のように暑いが、朝晩はだいぶ涼しくなってきた。

リンと散歩に行く時間帯は、だいたい涼しいので、とても快適だ。

夕方、散歩に出掛けた時、川の脇を通ったら蜻蛉がたくさん飛んでいたので驚いた。

見上げると、随分と空高くまで、飛んでいる。

僕が立ち止まったので、リンも立ち止まって、僕の方を見る。

見上げた時に、リンも蜻蛉に気がついたらしく、嬉しそうに尻尾を振って小さな声で一度吠えた。

しばらく眺めていたら、藪蚊に喰われたので、あわてて退散する。


家に帰って庭を眺めていたら、庭木の一本にツクツクボウシがとまって鳴いている。

陽が傾くにつれ、コオロギなどの秋の虫も鳴き始める。


風が通るのが気持ちいいので、家中の窓を開け放って夕食をとった。

居間の風鈴が鳴ると、リンとサカエダさんが耳を澄ましているので、つけていたテレビを消した。

風の音と、虫の音。それから近所の家の音が微かに聞こえてくる。

夏と秋の境目は、どことなく寂しいような気がしていたが、思いの外賑やかだ。

2008年08月23日 くしゃみの事

夕方近く、タカハシさんから連絡があって、飲みに行きませんかと誘われた。

秋の気配も微かに漂い始めたので、行く夏を惜しみつつ、ビアガーデンに行こうということになった。

僕が好きそうな、いい所があると案内してもらったのは、信濃町駅を降りてすぐの、森に囲まれた場所にあるビアガーデンだ。

木立は影になり、夜の空を背景にしてさながら絵のように見える。時折吹く風に、さらさらと葉擦れの音がする。それでいて、人の楽しげな熱気が満ちていた。確かに僕の好きな雰囲気だ。

毎夏、森のビアガーデンとして開店しているそうなのだが、近場でばかり飲んでいるので知らなかった。


早速ジョッキを一杯ずつ注文し、乾杯する。

タカハシさんは一息に杯を空ける。

それをなんとなく眺めていたら、空のジョッキを置いたタカハシさんが、不思議そうな顔で小さく首を傾げる。

相変わらずの飲みっぷりですねと言うと、にこにこと笑い返された。

本当においしそうに飲むので、一緒に飲んでいると酒がおいしくなる。

僕もジョッキを半分ほど空けて、そういえば先日会った時にはヨネヤが一緒に居たのを思い出し、彼の話をする。他愛のない話だったが、タカハシさんは、いちいち頷いたり感心したり笑ったりしながら聞いている。


僕は、昔埋められてしまった庭の池を掘り返してみたことや、仰向いて寝る飼い犬のリンのこと、風鈴を土産に買ってきてくれたのに、次に来た時にはそのことをすっかり忘れていたキスミの話、それからモチヅキの作った洋菓子についてなど、とりとめもなく話した。

タカハシさんは時折相槌を打ちながら黙って聞いていたのだが、僕が一息ついた時にふと、いつもと逆ですね。と言った。

そういえば普段は主にタカハシさんが話し、僕はちょうど今日タカハシさんのように相槌を打ちながら興味深く耳を傾ける、というのが常だった。


話を聞いている間にタカハシさんはジョッキを四杯空にしていた。

僕はといえば、話すのに夢中で、ようやく一杯目がなくなるかという程度だった。すっかり温くなっている。

僕がもう一杯を注文すると、タカハシさんも一緒に注文する。

最近読んだ本に話題が移り、二人で運ばれてきたジョッキを飲み干したあたりで、ふいに風が変わった。

湿った冷たい風に雲行きが怪しくなってくる。

タカハシさんが見上げた空から視線を戻し、そろそろ帰りますかと言った直後にくしゃみをした。


その瞬間、タカハシさんの鼻から何かが飛び出して、空になった枝豆の皿の上に落ちるのが見えた。

とくに深い意味もなく目で追うと、今目の前にいるタカハシさんとまったく同じ格好の、頭の上から足の先までそっくり同じな、それはとても小さいタカハシさんだった。

非常に小さいタカハシさんは、僕と目が合うと、人差し指を一本立てて唇に当て、ぴょんと皿から跳ね、テーブルの下に見えなくなった。ほんの一瞬のことだ。

今日タカハシさんが無口だったのはあれのせいだったのだろうかとぼんやり思う。

酒には強い方だと思うのだが、もしかして酔っているのだろうか。


タカハシさんは何事もなかったように、鼻の下をこすると、ぼんやりしている僕に、雨が降らないうちに帰りましょうと言って、さっと伝票を掴んで立ち上がってしまう。

僕がもたもたしているうちに、タカハシさんは会計をすませてしまった。

買ったばかりの本を持っているので、雨は極力避けたいのだろう。

早足で駅に戻り、ちょうどホームに停車した電車に乗り込んだ。

飲み代の半額を払おうとすると、つけいる隙もないほど丁重に断られてしまう。なんとも困ったことだ。

次は僕が払うと心に決め、タカハシさんにもそう告げると、ちょうど乗り換えの駅だった。


家に帰り着いた頃合いを見計らっていたように雨が降り始める。

タカハシさんは濡れずに帰れただろうかと思う。

玄関に走ってきたリンが小さく吠える。

リンが吠えるのは珍しいので、どうしたのかと声を掛けてみる。どうやら鞄が気になるらしい。

何か変わったものでも入っていたかと開けてみると、文庫本の陰から小さなタカハシさんが出てきた。

小さなタカハシさんは人差し指を立てて唇に当てると、真面目な面持ちのまま鞄から飛び出し、そのまま見えなくなった。

リンも一緒に見ていたはずだったが、それきり平気そうな顔になってのんびりと尻尾を揺らしていた。

2008年08月17日 夏休み最後の日の事

 夏休みらしいといえば夏休みらしい連休だったけれど、気が付くと最後の日だった。

 リンと朝の散歩に行き、戻って来ると座敷では妹がごろごろしている。布団は畳んであるが、起きているとは言い難い。

 そう思って眺めていると、リンが妹に飛びついて、遊んでほしいと要求しているので笑ってしまった。

 いつの間にか、寝室から桃色のボールを持って来ている。

 妹も観念して起き上がり、縁側でリンの相手をしていた。

 犬は色の判断ができないという話だが、家の中では桃色、外では水色のボールと自分で決めた様子だった。

 水色のボールは、やはりいつの間にか、玄関の僕の靴の隣に置いてある。

 匂いで判断しているのだろうか。


 午後は、食材の買い出しに行っただけで、あとは居間で本を読んでいた。

 サカエダさんが一度、僕の手元をのぞきにきただけで、リンは一日妹にくっついていた。

 熱心にボール遊びにつき合ってくれるので嬉しいのだろう。

 夕方、空が見事な夕焼けになり、蜩の音が雨のように降り注ぐ公園まで、妹と一緒にリンを連れて散歩に出掛けた。

 夕飯は、妹のリクエストにより、カレーライス枝豆にした。

 妹に、いつまでいるのかと訊ねると、決めていないという答え。

 大学生夏休みは長いので、まだしばらく居座るつもりだろう。

2008年08月16日 送り火の事

 朝、リンと散歩へ行こうとすると、リンが水色のボールをくわえている。

 昨日、父と遊んでいた桃色のボールの色違いらしい。リンに、ボールふたつももらったのか?と聞いてみるが、しっぽをぱたぱたと振るばかりだった。目が笑っているようにも見えた。

 今日も土手の方まで足をのばして、土手で少しだけボール遊びをする。

 僕が投げると、リンがすかさず取りに行って持って帰ってくる。世間で言うところの「とってこい」という遊びだが、どちらかというと「投げてくれ」のような気もする。

 リンはこの遊びが余程気に入った様子で、普段は大人しいのに、この時ばかりは妙な角度に前足を上げてみたりジグザグに走ってみたりと、随分はしゃぎ回っていた。

 ひとしきりボール遊びをして満足したのか、帰り道では普段通りに戻っていた。

 あとで父に、お礼を言っておこうと思う。


 祖父母が、今日送り火を済ませたら、静岡に帰ると言う。

 夕方、迎え火を焚いたのと同じ場所で、送り火を焚く。

 煙を見送りながら、祖母が、ゆうべ曾祖父の夢を見たと言った。二階で、資料の整理をしたり、本を読んだりしていたのだという。懐かしくて嬉しかったと言って笑っている。

 二階は、二部屋の間を仕切っている襖を開け放つと、一部屋になる。

 妹が、ひいお爺ちゃんの部屋は二階だったの?と聞くと、二階はお弟子さんが来た時に使っていたのだという。今、座敷兼客間にしている部屋が、当時の曾祖父の仕事部屋だったそうだ。

 気がつくと、祖母が僕の方をじっと見ている。どうしたの?と聞くと、お前も遠慮して奥の間に引っ込んでないで座敷で寝起きしてもいいんだよ、と言う。

 広すぎて落ち着かないし、座敷は真っ先に朝になるし、と答えると、祖母は可笑しそうに笑って、実はあんたたちのひいお爺ちゃんも同じ事を言っていたのだと教えてくれた。

 つまり、知らないうちに僕は、曾祖父が寝起きしていた部屋で寝起きしていたらしい。

 ゆうべの二階の物音は、祖母の記憶だったのか、それとも曾祖父だったのか。

 お盆だからそういうことにしておくのもいいかも知れない。

 

 祖父母を、妹と一緒に駅まで見送りに行く。

 今度、静岡にも遊びにおいで、と言われた。



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