エレファント・ソング

 新作上映にあたってグザビエ・ドラン作品の回顧上映があり「マイ・マザー」をはじめいくつかの作品を見直す機会があり、一方いくつかを見逃したのだけれど、見直して、あら、「マイ・マザー」ってグザビエ・ドランの作品だったのと今さら気づかされる一方、これがいちばん面白くない?ドランの撮る映画にはある種のタイプというか構造的な同一性のようなものがあり(基本はいびつな三角形です)、いつも同じだったのねと思わずにはいられなくなった。また、そこから考えるとグザビエ・ドランって同性愛者としか考えられない、と思ったらやはりそうだった。もちろん、このこと自体は彼の作品の評価を左右するものではない。むしろ、その前に述べたように彼の自我というか自己愛が欲求するの同じパターンがいくつかの映画作品のなかで繰り返されていることに気づいてうんざりした。その点、この作品は、ドランの監督作品ではない。さて、どんな代物か。決して退屈な作品ではない。でも、ストーリーの構造からして彼好みだろうなとう思わせるところがあるだけではなく、彼がやりたがったという役自体が自己愛感にあふれていて、それをさらに自己愛感たっぷりなドランが演じると、たとえ演技としてはうまいとしても、映画全体ではそれが浮いているというか、オマエやり過ぎだよと言いたくなってしまう。もっと、違ったドランを見てみたい。

マイ・マザー [DVD]

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立川談春独演会

 仕事で遅れていったので残念ながら米朝師匠の思い出を聞くことができなかったけど、それをマクラにやったのが「山号寺号」に「巌流島」。で、「井戸の茶碗」。多分、2回目だと思うけど、談春の場合屑屋の組合でというような話は飛ばしてしまうし、もともとは嫁御にしてはというのは大家が言い出すことではなかったかと記憶するが、これは他の誰かを聞いた時に確かめよう。いずれにせよ、談志を死あるいは、30周年を期に談春はいささか芸風を変えてしまった。あのリズミックで心地よい見事な語り口を犠牲にしてでも、屑屋に理屈をごねさせ千代田に説教をさせてしまう。でも、それもまた好きだったりするんだよね。というわけで、この先、談春がどうなるかはやはり目が話せない。
 

赤めだか

赤めだか