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tamuraの日々の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006年07月08日

[]あっというまに

戻ってきました。福岡から。

行きの新幹線は3時間半くらい。でも、もともと西日本出身だし、あまり気になりませんでした。広島にも寄っていきたかったのですが、まあそれは仕方ないですね。同郷の佐藤俊樹さんの『桜が創った日本』(岩波新書)(の「あとがき」)を読んで以来、西日本の山林の風景に、以前にも増して安心感を抱くようになっている自分がいます。

 政治思想学会では、5〜6年ぶりにO先生にお会いすることができ、本当によかったです。一方的に書いたものを送りつけるたびに頂く励ましの言葉に、どれだけ勇気づけられたかわかりませんから。

 帰りの飛行機は30分遅れました。どうも福岡とは相性が悪いようです(苦笑)。それにしても、新幹線との競合区間で、飛行機に分があるといえるのかどうか、あらためて微妙だなと思うワタクシでした。

 ともあれ、帰ってくると、なんだか頭がだいぶすっきりした気分。来週のことを思うと、早くもめげてしまいそうですが、やっぱり行ってよかったなと思います。

[]読書

共和主義の法理論―公私分離から審議的デモクラシーへ

共和主義の法理論―公私分離から審議的デモクラシーへ

 前から読んでいたのを、新幹線で読み終える。

 「法」と「政治」の相互関係を理論化しようとする意欲作。著者は、リベラリズムの「公私分離」を問題視し、「私的なもの」と「公的なもの」との「結びつき」を主張し、その方策としてマイケルマンとハーバーマスから再構成した「審議―参加型共和主義」の意義を主張する。問題関心が重なるところも多く、大変興味深く読んだ。

 『正義の論理』や『リベラリズムとは何か』における最近の盛山和夫さんのリベラリズム/正義論における「政治」の位置づけについての指摘とも相俟って、今後、リベラリズム/正義論と「政治」との関係という問題が(C・ムフなどの指摘後)あらためて注目されるようになるのかな、などとも思う。政治学者としては、興味深いところ。

 そういうわけで、全体としてとても興味深い本だったのだが、あえてする僕の疑問は、次の二つ。

 第一は、著者はリベラリズムの「公私分離」を批判するあまり、「審議―参加型共和主義」における「公私の結びつき」の側面を強調しすぎているのではないか、というもの。確かに、ハーバーマスがその討議モデルにおいて「私的な」ものをアプリオリに排除しなくなったとはいえ、「公私の結びつき」の面を強調しすぎると、今度はいわゆる「集団理論」「多元主義論」的な政治観との区別がつきにくくなるように思われる。ハーバーマスが、「妥当性」にこだわっているのは、やはり公私の区別をつけようとしているからではないだろうか。

 第二は、人々がどうして審議に参加すると言えるのか、という点についての考察も必要ではないか、というもの。人々が政治的審議に参加することで、法の「生成」「公共的正統化」が達成されるのは確かであろう。ところで、この議論では、あくまで「人々が参加する」ことが前提である。しかし、実際には、人々はそれほど簡単には参加しないように思われる。いくら「自己統治」が大切だと言っても、だからといって人々は、常に「私的な」問題を審議するとは限らない。だとしたら、今日の共和主義論は、「ミーファースト」な人々が、どのようにして、どのような場合に審議に参加するのか、という点についての考察を含む必要があるのではないだろうか。

 

[]学会

 というわけで、福岡日帰り出張に行ってきます。できれば、もう5〜6年お会いしていないO先生にお会いできるといいのですが、時間もあまりないし、どうでしょうね。

 妻も仕事なので、子ども二人は久々に土曜の学童保育と保育園です。

 おみやげはやっぱり「博多通りもん」ですかね。定番(?)だけど。