読書

 ちょっと前に半分近く読んでストップしていたのを、ついつい読み終えてしまう。

バブル文化論―“ポスト戦後”としての一九八〇年代

バブル文化論―“ポスト戦後”としての一九八〇年代

 著者とほぼ同世代で80年代後半から90年代初頭にかけて、「バブル文化」にかなり染まってしまっていた僕としては、そのあたりの時代についてのツボをついた記述に「そうそう」とか「へー、そうだったんだ」とか反応してしまう。とくにファッション関係。J・M・ウェストン→リーガル→ハルタとか、ポロやフレッドペリーのポロシャツに、501やシピー、リベルトとか(シピーとか、リベルトって今はどうなってるんだろうか)。
 こういうブランドたちの名前を雑誌で見て、追い求める80年代後半的センスでは、たしかにレノマとかエレッセとかクレージュとかには、あまりオシャレなイメージはなかったわけで。 
 そんな僕には、70年代後半から80年代前半にかけての感覚というものは、なかなかわからない。70年代末ごろのディスコかパーティーか何かの写真が掲載されているのを見て、意外と(?)(自分の思い描く)80年代風に見えることに驚いたり、とか。
 しかし、著者によれば、70年代と80年代とは連続していて、むしろ80年代と90年代が断絶しているということだから、そのように見えるのはもっともなのかもしれない。ただし、他方で著者は、84年〜86年に戦後/ポスト戦後の「断絶期」があるとも言う(6頁)。結局、「80年代」という枠でくくるのか、そうではないのか、そして各章における個別具体的なトピックを把握する構図について、わかるようなわからないような読後感は残った。
 なお、とくにアイドルやおたくの評価について、後の時代(現在)の視点が過去の書き換えを行っている、という点を強調している点は興味深かった。もっとも、僕自身の感覚では、当時も「伊代か明菜か」ではなくて、「聖子か明菜か」だったのではないか、と思うのだが(いや、「とっぽい系」の中では「伊代か明菜か」だったのかもしれないが、そこまで松本伊代の影響力が大きかったとは…)。