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tamuraの日々の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011年10月15日

[][][]メモ

ジュヌヴィエーヴ・フジ・ジョンソン(舩橋晴俊・西谷内博美監訳)『核廃棄物と熟議民主主義』(新泉社、2011年)から、本の主題ではないけれど、ロールズ、ガットマン/トンプソン的な熟議民主主義と、チェンバース、ドライゼク、ヤングらの審議民主主義(discursive democracy)との違いを述べたところ(の一部を)ちょっとメモ。

審議(discursive)理論家も熟議理論家も、文化、民族、ジェンダー、そして階級にかかわる相違が相互尊重性の実現を困難なものにする可能性を認識し、さらに影響を受けるかもしれない人々を包摂することを保証する手段について考えを進めている。しかしながら、審議の視点から見ると私たちは、包摂という至上命令をより注意深く定義している構図を目にするのである。その構図が明らかにしているのは、熟議のルールにおいて『反則』とされるのは、非常識なあるいは非科学的なかたちの立論ではなく、むしろ熟考や説得、そして暫定的に正当化された合意といった諸目的を阻むような強制的な力なのだ、ということである。」(159頁)


 この本は、現在だけではなく将来の人々にも深刻な影響を及ぼしかねない政策形成問題(この場合は核廃棄物処理問題)について、その政策に影響を受けるできるだけ多くの人々の関わる熟議民主主義を行うことの重要性を説いている。

 現時点だと、具体的な争点(核廃棄物処理)への関心から読まれることが多いだろうけれども、この本は、政治理論が具体的な問題にアプローチする時の一つのやり方を示しているという点でも興味深いと思う。

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