小学生のコピペ病と言うまえに

http://www.j-cast.com/2008/07/20023519.html

小学生が読書感想文の宿題に、ネットに掲載されている感想文をコピペして提出しいるというニュースを見て、
宿題を他人の力を借りてはいけないことは当然だが、読書感想文という宿題にはあまりいい思い出がないということを思い出した。


オレが学生だったころ、夏休み、冬休みの宿題のたびに読書感想文なるものを提出させられてきた。
今思えば、毎年毎年よくもまぁあんなに書いたものだと思う。
しかし、いつまでたっても自分の文章力なんて向上していなかった。いったいあの「読書感想文」なる宿題で得られたものはなんだったのか?
答えは簡単だった。
オレは読書感想文で評価されていなかった。
正しいとも、悪いとも、100点とも、0点とすら評価されていない。ただ「書いただけ」の感想文だった。
先生達は「なんとか賞」とか貰えてるヤツらの感想文は真剣に読んでいたのかもしれないが、オレの低等な文章な読んでもないのだろう。
もし、こんな宿題が今でも続いているのであれば、今の子供達が「感想文なんてコピペで済ませてよくね?」と考えてもしょうがないのではないか。
コピペ病に至った経緯は、ネットがどうこうとかいうまえに、他に原因があるのではないかと思う。
子供とは、頑張りを評価されないことには非常に敏感だよ。

あなたの人生に「かおりちゃん」と「花沢さん」が現れたとき、誰を選べばいいのか。

あなたが「磯野カツオ」だったら 「かおりちゃん」と「花沢さん」の どちらを選び... - Yahoo!知恵袋

いや、本当にどうでもいいことなんだけどさ。
まー、でもあれかな。個人的な経験から妄想すると、こういう展開が考えられる。

  • チョイス:かおりちゃん

恋愛も結婚もかおりちゃんの理想に振り回され、とても疲れてしまいそう。
たとえ結婚できたとしても、その後の人生はかおりちゃんが決めるに違いない。
そんな時に思い出す「花沢さん」という女性の存在。彼女と歩めば、きっとこんな人生にはならなかったに違いない。
本当にこのままでいいのか?と自問自答しながら、毎日悶々と生きていくに違いない。

  • チョイス:花沢さん

不動産業をやってきた父の姿を見ている花沢さんは、自分のことを支えてくれる。
ただし、彼女は一人娘。彼女のお父さんから自分に期待されるプレッシャーは決して小さくは無い。
そんな時に思い出す「かおりちゃん」という女性の存在。彼女と歩めば、きっとこんな人生にはならなかったに違いない。
本当にこのままでいいのか?と自問自答しながら、毎日悶々と生きていくに違いない。

  • 結論

選ぼうと思った時点で負けだと思います。(経験から言うと。)
ちなみに、僕はここで早川さんを選んでしまいました。おかげで2倍です。

子供の安全管理とアクティブタグの関係について

「雑種路線でいこう」の子供の安全より補助金と露出が大事な自治体や学校って何という記事を読んだ。話のポイントは、「子供の登下校管理にアクティブタグが使うのは無駄だ」という意見と、「アクティブタグを使った安全管理は補助金を受けるネタにしやすく、メディア露出のネタにもなるからと安易に判断している学校には呆れる」といった批判のようである。ただ、この理論には少し疑問を感じるところがあるので記事を起こした。
「子供の登下校管理にアクティブタグが使うのは無駄だ」ということについては、アクティブタグより良い方法があるのだからアクティブタグを使うのは無駄だと指摘されている。しかし、これはそう簡単な話ではないはずだ。
私個人の話になるが、今から3年程前に仕事でアクティブタグを使った商売を模索をしていたことがあった。その中で、「小学生の登下校管理」というテーマについても、当時のビジネスについてリサーチもしていた。結局、自分の手で仕事にすることはなかったんだけど。

これは、その時にリサーチしたことで、どこかの小学校で登下校監視のシステムを構築しようとした話。

子供の登下校監視とは、「子供が自宅を出てから無事に学校に到着したのか」、「子供が学校を出発して無事に帰宅できたのか」を管理することが目的となる。そのためには、校門を通過したことを管理することが一番重要になってくる。そこで、建物・敷地内に入る入出者を管理することを考えたときに、「鍵となるカードを個人に持たせて、ゲートを通る時に検出させる方法」が簡単に検討できるのだけど、それができない理由があった。それは『小学校だから』ということである。これが企業の入出者管理であればなんら問題なかったわけだけど、小学校という在り方には相応しくないという学校側からの意見であった。学校なのだから、校門を自然と通り抜けることが重要視されたのだ。その要望に応えるためにはアクティブタグしかなかったのだ。

上記の話も元記事を紛失している今となっては証明しようもないのだけど、少なくとも4,5年前の話である。
他にも、こんな話は珍しくもなんともなくて、「子供の登下校監視」は常に市場に要望されている。特に、地方は過疎化が進んで、民家の立地間隔があまりにも広いがために子供が悲鳴を挙げても防犯ベルを鳴らしたとしても、その音が聞こえる範囲に誰も人が居ないなんてことがある。技術躍進を悠長に待っていられないのが現状である。
それでも今だに「小学校の登下校監視」はビジネスとして広がりを見せることなく、あまり普及もしていない。理由は至極単純な話で、あまりにもコスト高になるからである。たとえそれが、アクティブタグを使おうが、専用の携帯端末を使おうが、既存の携帯電話端末に載せることができるシステムであろうが、小学校という規模ではやっていけないのだ。コストに似合う技術が無いのだから。

ここで、例えばの具体的例としてトラックバック先の記事を引用させてもらうと、

登下校監視だけなら監視カメラ+顔認証で充分だし、下校中の位置監視や誘拐時の対応をしようとすると携帯電話の方がずっと有用で副作用もないのです。まだ子供に携帯を持たせたくなければ、機能を制限するなり携帯電話技術を利用した廉価な位置特定端末をつくればいい訳で。

こんなことが地方の小学校で実現できるのかというと、技術的にもビジネスとしても実現できないだろう。というか、できるならもう誰かがやっている。というか、私がやっていただろう。そんな市場です。
この市場背景を基にして、子供の安全に正しい議論がとか、無駄に税金がとかはなかなか言っていられないのです。

”障害者”は道徳的に非常識が許されるのだろうか

"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか
この問題は、合法的というより道徳としてどうなのかという理が詰められなければ意味がないと思うのよね。
そして、「社会に出るのに不適切な人間は隔離されるべきだ」という発想の是が非ではなく、こう考えざるを得ない現状の問題点を問ううことが本質なのではないかと。


http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070218013048
それにしても↑のはてブを見てると、「知的障害者」と「健常者」の違いなんて紙一重だと思わざるをえない。

Yokoタンの状況は柳沢伯夫厚生労働相が晒されている状況

http://yokosdiary.exblog.jp/
http://yokosdiary.exblog.jp/m2007-01-01/#5399877

ここ最近特に香ばしいYokoタンを見ていて、この構図ってどこかで見たことがあるなーって思ったら
今の話題の「柳沢伯夫厚生労働相の『女性は産む機械』失言騒動の構図に似ているんじゃないか?


『女性は産む機械
それがあの時言おうとしたことを意味していなかったとしても、誰も弁解を聞いてくれない。


はてなを訴えました』
それが無断リンクを辞めさせたいがための嘘だったとしても、誰も弁解を聞いてくれない。



政治家達がやってる囲い込みなんだから、一般人もやってもいいんじゃねーかなーってのは言い過ぎか。