春天 (第113回)
俳句の季語に、春天と書いて「しゅんてん」と読むものがございます。春一番ときくと強風を思い浮かべますが、春天となると、何ともうららかな感じがいたします。虚子も春が好きだったようで、春の空をよんだ句が多い。
雨晴れておほどかなるや春の空 虚子
他方、わが「はてな」の「Hatena Keyword」には、かくのごときキーワードが収録されている。
競馬のGIレースである春の天皇賞。「春の天気」のことではない。
何故この後半、こんなに力が入っているのかよくわからないが、ともあれ、こちらは「はるてん」と読む。古い競馬ファンは、すくなくとも私が若いころからすでに春と秋に開催される天皇賞のことを、限りない親しみをこめて、「はるてん」「あきてん」と呼ぶ。
その歴史は古く、また、格調の高いものである。今やJRAという洒落た名乗りになっている日本中央競馬会のウェブ・サイトでご覧いただくのが良い。
http://www.jra.go.jp/keiba/thisweek/2017/0430_1/race.html
春天は4歳馬(かつての数え五歳馬)以上で競われる大人のレースであり、本年は4月30日の京都競馬場にて、北島三郎がオーナーの一番人気、キタサンブラックに武豊が乗り、ディープインパクトのレコードを破って二年連続の勝ち馬になるという豪勢なレースになった。
さて。しばらく子規の話題と、陸軍の話が続いたので、5月といえば日本海海戦だから海軍に移ろう。もっとも、この大海戦の本番を話題にするのは、まだまだ先の楽しみにとっておきたいので、今年は周辺のエピソードに致します。
上記JRAのサイトにあるとおり、春天の起源は1905年(明治三十八年)の5月6日に遡る。この年の5月上旬というと、奉天に勝っているが、まだ対馬沖には勝っていない時期なのだが、すでに国民的高揚は競馬場にも波及している。
この5月、バルチック艦隊がベトナムのカムラン湾やヴァン・フォン湾でウロウロしていた様子が、「坂の上の雲」文庫本第七巻「東へ」および「艦影」の章に出てくる。ベトナムはロシアの友好国だったフランスの支配下だったから、ここなら安全で便利ということで停泊地に選んだ。
それにしても、一か月も開戦直前にベトナムでのんびりしていたのは、「浮かぶアイロン」ネボガトフ艦隊を待っていたからだ。これが予想以上に、バルチック艦隊の接近を遅らせ、連合艦隊の参謀らをノイローゼ気味にした一因となる。
ネボガトフがロジェストウェンスキーに合流したのが5月9日、春天の前身レースが横浜で発足した直後だ。カムラン湾を出たのが5月14日、その後、艦隊は行方不明になるが、奥浜牛が宮古島にたどりつき、えらいものを見たと報告したのが5月26日の記録として残っている。その翌日に両軍は遭遇した。
かつてこのブログで、ロシア艦隊も、もう少し待てば梅雨入りして、どさくさに紛れウラジオに着いたのではないかと書いた。これは静岡生まれで東京暮らしの私の不明によるもので、対馬近海では早い年は5月に梅雨入りするらしい。ロシア側の記録に、5月25日は雨だったとある。
海戦の当日、周辺海域で霧が立ち込めていたのも、「浪高し」だったのも、その兆しだったのだろうか。けっして「天気晴朗」ではなかったので、秋山真之は、この霧はきっと晴れますと予言せざるを得なくなった。大きな船が見える程度には晴れたのだから、これも天祐の一部だったのだ。
(おわり)
春といえば、山菜の天ぷらの季節でもある。
(2017年4月23日撮影)
.