おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

お面 その1   (20世紀少年 第243回)

 第8案の153ページ、ボーナス・トラックに送りこまれたコイズミは、ミンミンゼミの鳴き声が降り注ぐ暑い夏の街角で、どこかケンヂのお母ちゃんと似ている女性と摺れ違ったあと、制服のスカートの裾を引っ張られて驚く。相手は、忍者ハットリくんのお面をつけた小学生くらいの少年だった。

 いよいよ、物語にバーチャル・アトラクション(以下、勝手に省略して「VA」)が登場して、過去と現在が交錯し、事実と嘘が錯綜し始めて、読む者の頭を混乱させ始める。元ハードSFのファンとしては、なんとかこのVAの仕組みを言葉で解説しようと、あれこれ考えてきたのだが、とうとうよく分からないまま、この場面に来てしまった。これから個々のVAシーンにおいて、理解を進めるべく頑張る。


 今日から3回にわたり、このコイズミを誘った少年は誰かという疑問について考えたい。すでに出ている結論から言ってしまうと、私には分からない。だが、誰がどのお面をかぶっているのかという問題は、けっこう重要な事柄ではないかという予感がするので、まず今の段階で整理できるだけしてみようと思う。

 ”ともだち”の具体的な活動の発端は、第18巻の第10話、「聞いてはいけないもの」に描かれている。1980年、この年に21歳ごろの「ハットリ」が、売れない興行師の万丈目を尋ねて来る。この「ハットリ」が、フクベエ少年の成長(退化か?)した姿であることには誰も異論あるまい。


 この時にハットリが万丈目に見せているのが、3種類のお面であった。すなわち「忍者ハットリくん」のお面と、「ナショナルキッド」のお面、この二つはお祭りの屋台で売っている子供向けのプラスティック製のお面だろう。残りの一つは、頭部全体を隠す、プロレスでは覆面と呼ばれるマスクで、顔の真ん中に例の”ともだち”マークが描かれている(これまで、”ともだち”マスクと便宜的に呼んでいたもの。以後、同じです)。

 ハットリが「僕は、これがいいと思うんだ。」と言いながら選んでいるのは、忍者ハットリくんのお面。それはそうだ。忍者ハットリ君のお面は、フクベエこと服部の代名詞みたいなものだ。これまでの経緯からしてそうだし、さらに追加で論証されるだろう。ところが、すぐその後で、万丈目自らウィンチで”ともだち”を釣上げて客を驚かせているシーンでは、お面はハットリくんのものではなくて、”ともだち”マスクのほうである。妙なことだと思う。


 第12巻の最後にフクベエが死に、万博の開会式で復活した”ともだち”は、誰か別の者が摺り替わった。この点については、これから多くの場面で検証していくが、おそらく間違いあるまいと信じているので、そのように仮説を立てておく。

 だが、やっかいなことに、摺り替わった別の者は、フクベエが生きている間は、まったく”ともだち”を演じていなかったかというと、どうやらそうではなさそうだ。これもまた後に出てくることなので詳しくここでは論じないが、チョーさんメモも、長髪の優男の殺し屋による発言も、フクベエの死以前の”ともだち”複数説を示唆している。


 お面の話に戻ると、このフクベエ死後の”ともだち”、すなわち第13巻以降に登場するほうは、私の記憶する限り、”ともだち”マスクしか付けていない。目や耳や口がふさがってさぞかし不便だろうに、彼はひたすら、これだけを使っている。なぜか。他の2種を使いたくない事情があるのか。

 では逆にフクベエ生前の、複数いると考えられる”ともだち”はどうか。ナショナルキッドはいない。出てきたのは、忍者ハットリくんのお面、”ともだち”マスク、そして、どうみても素顔のままだろうという姿の3種。

 素顔については、かつてすでに話題にしたが、第1巻では結構、素顔をさらしているシーンが多い。”ともだち”が涙を流して観衆を驚かせている場面まである。これは素顔でなければ無理だな。彼は意外と顔を見せている。ただし、どこの誰かを決して知られたくないだけのようだ。フクベエの顔を知らなければ、高須と敷島博士の娘は、雨の夜、あんなに驚くはずがない。


 忍者ハットリくんのお面姿の”ともだち”は、まず第一に、フクベエ本人として登場する(あるいは、どうみても同じ顔の男というのも含めて)。2015年の元日夜に理科室で射殺されてオッチョが死亡確認したものと、2000年の血の大みそかに、ケンヂの目の前でお面を脱いでみせた男である。

 また、フクベエ本人か否かに拘わらず、カンナの父と名乗ったという意味においては1997年の”ともだち”コンサートでケンヂと初対面を果たした”ともだち”も、フクベエかその代役であるし、血の大みそかのデパートの屋上で、フクベエと揉み合って見せたリモコン男も、いわばフクベエの代理人みたいなものだろう。


 以上より、かなり大雑把な整理になるが、忍者ハットリくんのお面をかぶった”ともだち”はフクベエ(または、その意図的な偽物)であり、他方、”ともだち”マスクをかぶったほうが、フクベエではないほうの”ともだち”と考えてみてはどうか。これで、少なくとも矛盾がないのであれば、私としては、さっぱりして気分が良い。

 もっとも、第13巻で出てくるフクベエの遺体は、”ともだち”マスクを付けているが、そうしないと後任者の「引継」が上手くいかないので、本人の意向は確認しようもないまま、作戦上こうなったとしておこう。さて、次に考えたいのは、子供のころのお面についてである。


(この稿おわり)



南千住の富士見坂より、夕暮れの富士山を望む。
(2012年1月7日撮影)