おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

商店街の喫茶店 (20世紀少年 第633回)

 第19集の第9話には、「後ろの正面」という題名が付けられている。遊び歌「かごめかごめ」の歌詞の一節である。幼いころ幼稚園や小学校で、ずいぶんやらされた。前章「見ぃーつけた」の由来であるかくれんぼや、だるまさんがころんだや、ハンカチ落としには、まだしも子供なりの工夫の余地がある。

 しかし、かごめかごめには頭の使い用がない。せいぜいわざと鬼の後ろに立ちそうなお調子者の名前でも選ぶかという程度である。あれは級友の名前を覚えさせ、手をつながせて仲良くさせようという教育的指導の匂いがする。しかも歌詞が不審である。夜明けの晩とか、鶴と亀が滑ったとか、何も考えずに歌っていたが、シュールにも程がある。そもそも、かごめとは何か。


 まさかカモメの誤植ではあるまいし、某上場企業とも関係あるまい。ウェブで捜すともっともらしい説が幾つも並んでいるが気に入らない。もっともらしさでは、引けを取るわけにはいかないのが小欄である。金田一春彦の名著「ことばの歳時記」によると、古代のやまとことばで、鳥のことを「メ」と読んだらしい。今もスズメ、ツバメ、カモメと身近な鳥さんの名に残っている。

 ちなみに、頭に付いている「すず」や「つば」はその鳥の鳴き声であろうというのが、金田一探偵の推理だ。彼が正しければ「かごめ」はまさしく、カゴの中の鳥であろう。ともあれ、かごめかごめもかくれんぼも、高度経済成長からバブル景気に至る社会経済の激変の過程で、殆ど街角から消え去ったのではないか。トキやアホウドリのように、自然環境の一部は運が良いと復旧できるが、社会変動は主役の人類の頭が固いので、元に戻るのは至難の技です。


 第9話には誰かの後ろの正面に忍び寄る者共が出てくるが、ろくなことをしない。その被害者の一人、諸星さんが回想場面に久々のご登場だ。1994年の出来事が描かれている。向かい合わせで座っているキリコは酒屋の番があるから、この喫茶店「カフェ ドミノ」も遠藤酒店のある商店街から、それほど遠くではあるまい。

 この場面はずっと昔に話題にしました。この間の話、考えてくれたかなと諸星さんは尋ねている。プロポーズしたのだ。しかし物悲しげな表情を浮かべたキリコが無言のままなのを見て、諸星さんは「僕らの将来の話は置いといて」と話をそらした。今度のテーマは一緒に医療の業界で働こうという趣旨のようだ。


 キリコは資格がないし、私学の授業料も払えないと返事が冴えない。この「資格」が何なのか私にはいまだに分からない。カンナは鳴浜町の病院廃屋でキリコがこの年、1994年の6月に細菌学でレジデント研修を修了したのを確認している。その後、キリコは日本に戻り酒屋の看板娘になったはずで、どのような資格を彼女が求めていたのかは不明です。

 ともあれ、あっさり引き下がる諸星さんではなく、「人間は、なりたいものになれるんだ。今からでも遅くない。あなたの志を眠らせてはいけない。そのためなら、僕はいくらでも力になろうと思う。」と熱く語った。諸星さんは、自分のうしろの正面に、システム・エンジニアの西岡がいて、”ともだち”のために無断で会話を録音していることを知る由もない。



(この稿おわり)




なぜか御札がたくさん下がっている街路樹  (2013年2月17日、益子にて撮影)





    窓の外、街路樹が美しい
    ドアを開け、君が来る気がするよ

                  「学生街の喫茶店」 ガロ

















































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