おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

エスパー (20世紀少年 第845回)

 エスパーや超能力者という言葉も今はもう殆ど聞かない。昔話が花盛りの小欄は自称「死語ブログ」でもある。「日本人と『日本人病』について」という岸田秀さんとの対談集の中で、さすがは碩学、今は亡き山本七平さんが「言語の意味が本当に固定するのは死語になったときだけ」と喝破しておられる。

 現代社会ではテクノロジーも人の考え方感じ方も急速に変容しているので、言葉もどんどん廃れたり意味が変わったりしている。その殆どは死語にすらならずに消えていくだろう。私も千年後の心配をあれこれしてきたが、ここで使っている日本語は古語辞典にすら残らないかもしれないのだ。


 エスパーや超能力がそれほどフィクションのテーマにならなくなったのは、現実世界のインターネットやゲーム機において、仮想の自分が仮想の超能力を発揮できるようになったことと無縁ではあるまい。私はネット・ゲームをやっても負けてばかりだが、上達した者は仮想の万能感を得るだろう。

 その感覚をご満悦した後で過酷な現実の世の中に出て行くのがどれほど危なっかしいか、もう十年ほど前に柳田邦男さんが「壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別」という著書でその点を主張してみえるのだが、果たして現状や如何。


 カンナは古典的なエスパーである。ご幼少の頃の「たまごボーロ当てクイズ」やスプーン曲げから始まって、弾丸除けシールド、カジノで勝ち放題、校長の首絞め用サイコキネシス、神様とシンクロした予知夢、そして先ほどはサダキヨとの脳内交流。

 とはいえ彼女も生身の身体、病院から出て行こうとしたが連合軍につかまった。カンナは反陽子ばくだんのリモコンが「原っぱの秘密基地の中にあるの」と現在形で主張し、ついては何か知っているかもしれないケンヂおじちゃんに会う必要があると訴える。


 連合軍は反陽子爆弾が心配で自分の命が危ないから頭が固く、ケンヂは機密任務に関わっていると言っているだろうがと参謀は怒り、だいたいお前はその情報をどうやって得たのだとメイヤー中佐も偉そうに尋問している。カンナはサダキヨに聞いたのと答えたが、折悪しく巡回の看護師さんが「佐田さんは昏睡状態です」と報告してしまった。

 このためカンナは昏睡の人とどうやって情報交換したのか説明しなければならなくなった。まず「心で聞いたの」。続いて「サダキヨは力をふりしぼって、あたしの心に話してくれたの」。メイヤー中佐は虚を突かれて、つい「What?」と自国語が出た。


 カンナはインチキの超能力ではないことを知らしむべく、サダキヨはスプーン曲げのときもズルは駄目だといったという論拠を持ち出したが、この連中相手では逆効果であろう。参謀は中佐にカンナが”ともだち”の実子ではないかという調査結果があると耳打ちしている。むー、半分正解か。

 責任者が出した結論は「身柄を拘束しろ」という命令であった。カンナは今どこにいるか分からない相手に向かって、「ケンヂおじちゃん」と叫んでいる。そのころケンヂはケンヂで、ヴァーチャル・アトラクションの中で苦労を重ねていたのだった。


 あとは余談。エスパーといえば我らの世代でいうとテレビ番組では「光速エスパー」があるが私は余り記憶がなく、「イーエスパー」と叫ぶだけで何でもできる有利な少年という印象しかない。やはりバビル2世かな。地球の平和を守るため。アキラと鉄雄もいた。あとはジョジョか。あれも立派なロック漫画であった。

 竹宮惠子「地球へ」には、相手の考えや気分が読めたり読まれたりする忙しいミュータントが大勢出てくる。作品中に「思念波」と書いて「テレパシー」とルビが振ってある箇所がある。今の思念・万丈目は仮想空間テレパスみたいなものか。「サトラレ」の主人公は「読まれるだけ」という難儀なエスパーでした。

 私はおのれの知覚で超能力なるものを見たり聞いたりしたことがないので、超常現象みたいなものは一切、信用していない。ゆりげらあも同じ。ともあれカンナは実父が”ともだち”であることを知られているうえ、連合軍は別人が跡取りになったことを知らないので、何を言っても信じてもらえない。銃器と腕力が必要な時が来てしまった。




(この稿おわり)







上野の冬ぼたん市 (2014年1月19日撮影)












 輝け緑の故郷    「地球へ」  ダ・カーポ

























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