おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

バス停が小学生を待っている  (第1136回)


 前回の続きです。宮城行の二日目、仙台から名取に移動した。右手の車窓から冠雪した山々が見える。ろくに地図も見ずに来たものだから、どこの何山か知らなかったのだが、名取駅前から乗ったバスの運転手さんは、「今朝初めて蔵王が真っ白になった」と言ってみえた。樹氷蔵王はここにあったのか。

 さらに、名取市に来るのは今回が初めてだと思っていたのに、駅の案内板でみたら仙台空港名取市内であった。空港なら30年前に来ている。もっとも、今回は空港の施設にはいかず、沿岸の閖上地区が目的地。


 2011年3月11日は、ずっと前にもここに書いたことだが、ちょうど個人事業の確定申告の時期だったので、自宅で会計の作業をしていた。午後2時過ぎの揺れは、拙宅の地域では震度5強。しかも長かった。テレビをつけたら国会中継中で、すぐに緊急地震速報に切り替わった。

 取り急ぎ家族・親戚の安全を確認し、崩れ落ちた本棚やファイルを片付けてテレビの前に戻ったころ、おそらくヘリからの空撮で、仙台平野を飲み込みながら進む巨大な津波が写っていた。この津波被害がなかったら、生涯、名取や閖上という地名を知ることもなかったろうと思うし、閖上の読み方も分からずじまいだったはずだ。


 名取駅からは、ほぼ真っすぐ東(太平洋側)に向かうバスに乗り、一番海に近いバス停で降りた。それが冒頭に掲げた写真で、ただし、閖上の小学校は、また中学校も、他の地区にある別の学校に間借りして、授業を続けているとのことだった。

 バスの運転手さんに、日和山神社への道を尋ね、聞いたとおりに歩いていくと確かにあった。途中、新築の建売住宅のような一角がある。かつての住まいを失った皆さんの家々なのだろう。そこにもバス停があることを記憶してから、神社にお参り。右の写真がそれで、小さな築山の上にある。

 一本松を見上げると、ところどころ枝が折れたり削られたりのままになっている。あの高さを津波が通り抜けたのだろう。神社の周辺に建っていたと思われる石碑が幾つか、あおむけの姿で並べてある。住民の約五分の一が、命を落とした大災害だった。


 近くの売店で、交通安全のお守りを買った。いろいろご利益が並んでいるので迷っていたら、旅行の方ならこれがお薦めと言われた。それはそうだ、即効が期待できる。

 お店の方が、「『閖上の記憶』はあそこ。語り部さんがいます。」と訊く前に教えてくれた。すぐ近く。なお、神社と店の間の花壇のようなところにあった、この写真に写っている「あの日から3年8か月」という手作りのモニュメントが印象的でした。


 だが、あいにく「閖上の記憶」は臨時休業の看板が下がっていた。直前にその存在をネットで知り、月曜日は開業と確認してきたのだが、「あれー」という感じ。電話一本かければ、こういうことにはならないのだが、横着になったものだ。

 あとで考えてみたら、当日は11月13日(月)で、直前の土曜日は、多くの犠牲者の月命日だ。きっと大変お忙しかったに相違なく、このための臨時休業だろう。前掲のモニュメントも、最近「8か月」に作り直した痕跡がある。閖中の生徒たちが残したメッセージと、亡くなった学友の刻印されたお名前があった。


 近くの朝市まで歩いたが、もう10時過ぎとあって、店は閉っている。その先の売店と食堂は開いていたので、早めの昼食に海鮮丼をいただき、土産に海産物を買い求めて、海沿い川沿いに一時間ぐらい歩いた。

 周囲はまだ復旧工事中で、クレーンが何本も立っている。6年8か月が経過しているが、まだまだ時間はかかるのだろうなと思った。マンホールを載せた給水の設備も、被災直後のままの様子で残っている。

 この日は寒かったが天気は素晴らしく好くて、青空をカモメやトビやウが舞い、仙台空港を離着陸する飛行機やヘリコプターもはっきり見える。名取川の河口付近まで行った。釣り人の姿がちらほら見える。
 

 翌日は朝の新幹線で東京に戻って働かないといけないので、あまりゆっくりも出来なかった。行き掛けに確かめておいたバス停から、最初に来たバスに乗ったのだが、まずいことに乗車・降車をする人たちが料金を払っていない。震災復興事業の一環である、被災者支援の無料バスに乗ってしまったらしい。

 乗客が自分一人になった時点で、運転手さんに事情を伝えたのだが、料金は無いので受け取れないし、どうせ駅まで行くからということで、ご厚意に甘えた。この無料バスの運行も来年3月までで、4月以降は通常の路線バスが再開し、便も増えるだろうとのこと。

 そして、中学校も小学校も、同じ4月から新校舎で小中一貫教育が始まる予定であるらしい。祝。これからも大変なことが、いろいろと待ち受けているかもしれないが、ともあれ、春を待つ時季に来てよかった。改めて亡くなられた皆さま方のご冥福をお祈り申し上げます。




(おわり)




カモメが跳んだ日  (2017年11月13日撮影)


名取川の河口にて  (同日撮影)

















































.