http://blog.livedoor.jp/nico3q3q/archives/67731516.html
「貧乏人を政府が助ける必要はない!」と答えた人が、日本では38%で他国とくらべても群を抜いて高かったという記事。この話、もし本当だったら、衝撃的な統計である。生活保護をはじめとした様々な福祉政策が、これからの日本ではまともに機能しなくなるのではという恐れがあるからだ。今年、芸能人の親族が生活保護を受け取っていたことに現役国会議員が先導してバッシングを行ったことが彷彿とされるだろう。
しかしながら、統計の出典を見たところ、どうやら翻訳(そして、その伝言ゲーム)が原因のようだった。とりあえず、安心した。
ネタ元
まず、この話の発信源はこちら。BLOGOSの記事である。
日本の貧困対策がどれほど貧困かよく分かる数字
最後の部分を引用する。(強調したのはわたし)
自力で生きていけない人たちを国や政府は助けるべきだとは思わないと言う人が日本では三人に一人以上もいることがアンケートでわかりました。
日本 38%
アメリカ 28%
イギリス 8%
フランス 8%
ドイツ 7%
中国 9%
インド 8%
日本はなんという生きにくい国なのでしょうか。
「人様に迷惑をかけるな」という日本的な美徳は、度が過ぎれば他人に冷酷であることの裏返しでもあります。
統計の出所
で、問題の統計の出典は、記事では明記されていないが、どうやらこの調査レポートの95ページのよう。
http://www.pewglobal.org/files/2007/10/258-topline.pdf
各国の数値を見ると、Completely Disagree と Mostly Disgree を足し合わせると、上記の引用と合致する。
日本語の「責任」
しかしながら、問題は、この設問のことばづかいある。
It is the responsibility of the (state or government) to take care of very poor people who can’t take care of themselves
この設問を翻訳すると次のような感じ。なお、比較のためにさっきのBLOGOS記事の文言を活かす。
自力で生きていけないようなとても貧しい人たちの面倒をみるのは、国や政府の責任である
BLOGOS記事では「面倒を見る『必要』の有無」が焦点だったけれども、元設問は「面倒を見る『責任』の有無」が問われている。
日本語で「責任」といったとき、日常語の感覚だと、「Xを作った原因が誰々にはあるから、当然、その人はXをなんとかせよ」という意味が含まれると思う(私の勝手な語感)。つまり、因果関係を含意している。
因果関係の判断と、貧困者支援政策の賛否はある程度独立していると思うので、「責任」と「必要」のズレはけっこう大きいと思う。「政府に責任はないけど、当然めんどうは見てあげるべき」と思っている人はけっこういるはずだ。
では、じっさいのところ「必要ない」と思う人はどれくらいいるのか?
「必要ない」と思う人が38%はとてもいないというのはいいとして、じゃあ、どれくらいいるんだろうか。
これくらい公共性の高い問題であれば、当然調査は行われていると思うが、私の知識不足ゆえ、同一設問を用いた調査はちょっと思いつかない。なので、似たような設問でお茶を濁す。
大阪商業大学(ら)によってほぼ毎年行われているJGSS調査という意識調査がある。ことばづかいはけっこう違うけれど、貧富に対する政府の対策に対する意見をきいているので見てみよう。
設問とその集計結果は以下。
大阪商業大学 JGSS研究センター
Q5GVEQAA:貧富解消政策への賛否
政府は、裕福な家庭と貧しい家庭の収入の差を縮めるために、対策をとるべきだ」という意見に、あなたは賛成ですか、反対ですか?
数値は度数(回答者の絶対数)だけなのでちょっとわかりにくい。なので、直感的にわかるように、図示してみた。
貧富の格差縮小政策の支持率は、わりと安定していて、およそ5割前後の人は支持。「反対」を表明しているひと(「反対」+「どちらかといえば反対」)は、多い年でも1割ちょっと。これはあくまで「貧富の格差縮小」なので、相対的な貧困への対策について意見をきいたものだろう。しかし、そもそもの「自力で生きていけないほどの貧困者」は、むしろ絶対的貧困の問題だと思うので、おそらく反対する人はもっと少なくなるのではないだろうか。