こにしき(言葉・日本社会・教育)

関西学院大学(2016.04~)の寺沢拓敬のブログです(専門:言語社会学)。

バトラー後藤裕子著『英語学習は早いほど良いのか』(岩波新書、2015)

読んだ。

英語学習は早いほど良いのか (岩波新書)

英語学習は早いほど良いのか (岩波新書)

目次

  • 第1章 逃がしたらもう終わり?―臨界期仮説を考える
  • 第2章 母語の習得と年齢―ことばを学ぶ機会を奪われた子どもたち
  • 第3章 第二言語習得にタイムリミットはあるか
  • 第4章 習得年齢による右下がりの線―先行研究の落とし穴
  • 第5章 第二言語学習のサクセス・ストーリー
  • 第6章 外国語学習における年齢の問題
  • 第7章 早期英語教育を考える


「英語学習は早いほど良いのか」というキャッチーなタイトルがついている。この問いを「日本人にとって早くから英語を学習するのは効率的か」と理解する人が大多数だと思うが、この意味の問いを直接扱っているのは第6章および第7章のみである。一方、それ以外の章はそうではない。1章・2章は第一言語の臨界期を、3章・4章・5章は第二言語の臨界期(あるいはもう少しゆるく「敏感期」)をそれぞれ扱っているからだ。とすると、このタイトルの付け方は「提喩」と言うのだろうか?(自信はない)

より正確な(しかしキャッチーさに欠ける)タイトルは『言語習得と年齢の関係』あたりになるだろうか。本書は、英語だけを念頭においてるわけでも、第二言語学習だけを扱っているわけでもないからだ。むしろ、第一言語習得を含めた言語学習全体を扱い、とりわけ臨界期の問題を詳細に説明している。

さらに、「早いほど良いか・良くないか」という意思決定に関わる問いよりも、「なぜ早いほど●●なのか」というメカニズムに関して多くのページを割いている。その点で、早期英語教育の有効性の検証を期待して本書を手にとった人は肩透かしを食らうかもしれない(じじつ、私も肩透かしを食らった)。

本書の特徴は、多くの区別を提示している点だ。「分かるとは"分ける"こと」という金言があるが、本書はまさにそれを地で行っている。

言語能力を構成する各要素の区別(文法、発音、語彙、リテラシー等々)、第一言語獲得と第二言語習得の神経学的区別および環境上の区別、第二言語環境と外国語環境の区別などなど、選択次第で結論が180度変わってしまうような重要な論点を丁寧に「分ける」ことで、言語習得と年齢の間の複雑な関係を詳述している。

以上のように本書は多くの「区別」を紹介している一方で、一点だけ、非常に重要だと思われるにもかかわらず区別していない点があった。以下、その点について述べる。

「ネイティブらしさ vs. 全体的な熟達度」の区別

それは、「ネイティブらしさ」と「全体的な熟達度」の区別である。

「ネイティブらしさ」とは言語能力を便宜的に「0」(能力皆無)から「100」(ネイティブ並み)というスケールにおいた時の、「100になるか否か」である。第二言語習得研究の臨界期研究では(少なくとも主題は)この種の問いを前提にする。リサーチクエスチョンの例としては「英語への接触がX歳より早ければ、言語能力=100になる確率は何倍上昇するのか?」のようなもの。

その一方で、「全体的な熟達度」はまさに「0〜100」のスケールであり、たとえば「英語学習を1歳早くはじめれば何ポイント言語能力が上昇するか?」という問いを検討する。

早期英語学習の効率性に関する問いと親和的なのは、後者の熟達度である。反対に、前者「ネイティブらしさ」はほとんど関係ない論点である。なぜなら、小学生段階から初めても「ネイティブらしさ」の獲得には完全に手遅れであることがほぼ定説になっており、政策を考えるうえで臨界期的な問いはナンセンスだからである。

もちろん著者自身も、熟達度を対象とした研究なのかネイティブらしさを対象とした研究なのか(あるいは両方とも対象しているのか)、きちんと明記している。

しかしながら、本書の記述、特に6章には熟達度系の研究とネイティブらしさ系の研究が交互に登場している。この点を見ても、理論的な区別はやはり省略したと見るのが妥当だろう。問題意識がかなり異なる研究が混在しているせいで、この分野に明るくない読者はけっこうしんどい思いをしたのではないかなどと勝手に心配になった。


5章もこの「混在」の例である。この章では、母語話者と遜色のないレベルに至った非母語話者を「語学の達人」として紹介している。この達人たちの存在は実は臨界期研究ではかなり有名で、いろいろな概説書が紹介しており(和書は知らない)、その問題意識も共有されているはずである。この研究では

  • 「一見、完全に母語話者のように見える人でも、詳細に分析したら、遅い学習開始による痕跡は残っているのか」

という問いに取り組んでおり、ネイティブらしさ系の研究の代表例である。その意味で、「どうやったら達人になったのか」という熟達度向上に深く関わる問いではない。そもそも日常語の「達人」という言葉は、「母語話者らしさ」を必ずしも含まず、アクセントが強かったり独特のコロケーションを使っていたりしても英語で英米人たちと丁々発止でやり合うような「達人」も想定できるわけで、その意味では若干ミスリーディングでもある。


言語習得における臨界期の入門書としてはその省略はわからないでもない。しかし、「早期英語学習の効率性をめぐる科学的事実」を期待した読者は、余計に混乱してしまうポイントだと思われる。