貧魂社会ニッポンへ

『貧魂社会ニッポンへ』を読みました。
釜ヶ崎に関わっている人たちの本。
釜ヶ崎関連の本を読むのは、本田神父の本とこれで2冊目です。

釜ヶ崎は、
日本最大のドヤ街・寄せ場日雇労働者の就労する場所)となっている地区です。死が身近にある場所。

実際に路上生活をされている方の話。

長年、釜ヶ崎で支援をされている方の話。

とても充実していて、凄くいい本でした。

生き方とか、人との関わり方とか、様々考えさせられました。


以下引用メモ

橘安純氏
「……ほんとうは、みんな、より底辺を求めるべきだと思うんです。自分のものも、できるだけ持たないほうがいいし。そうじゃないと、より低い人のことを差別してしまう。……でも、これは人に言うことではなくて……」

ある結核の日雇い労働者の方のお話と入佐明美氏の講演から

 ある結核の日雇い労働者の方が
「「姉ちゃんなぁ、人間って、本音じゃべれる相手が一人でもおったら、何とか頑張れるもんなぁ。でも姉ちゃん、そうじゃなかったら、ワシみたいなもんは、やけくそやで。どうでもいいねん。生きようが死のうが、どうでもええわって思ってしまうんやで」と言われました。
 誰かに話を聞いてもらうことによって、安心できたり、やる気が出たりするという話を聞いて、聴くことの大切さを改めて教えていただいた感じがしました。「この世の中で、たった一人でいいから、本音で喋れる相手がいる。それさえあれば何とか生きて行ける」その言葉を、私は二十九年間の活動の原点・基本にしています。」99項から

「いつも上から下へ、自分が頑張っているから、労働者にも変われ換われと要求している。でも、労働者は私が思うようには変わってくれない。だからケンカをしてしまって、人間関係がなかなか上手くしかないというのが私の現実だったのです。
 そしてその時に思ったのは、労働者に変われと要求するんじゃなく、私自身がまず自分の傲慢さから解放されなければならない、ということでした。そして、労働者の方の話をただ聞くのではなく、労働者の人たちが生き抜いて来られた人生に心から謙虚な気持ちで耳を傾けて、そこから学んでいくこと。そして、学んだことによって自分自身がどこまで変わっていけるかが、本当に大事なことなのだと気づきました。」103項から

「お互いが自分の持っているものを差し出して、お互いを生かしあえるような関係が本当は大切だったということに気づかされました」104項から

「自分も信じてもらえる存在なんだ」「自分も大切にしてもらえる存在なんだ」「自分のことを見てくれている人がいるんだ」と相手に感じてもらえるような関係を作っていくには、どうしたらいいか。労働者の方に、自分のことを大事な人間だと感じてもらうには、どうしたらいいか。

入江さんは、言います。
「それには、まず私自身がどうあるべきか、ということなのです。「自己肯定は他者肯定に比例する」という言葉があります。自分を肯定することは、他人も肯定することに繋がる。自分を受け入れることによって、はじめて他人を受け入れることができる。私は、労働者のことを大事にしようと口で言いながら、自分自身のことを大事にしているだろうか、自分を肯定したり、自分を受容したりすることを日々の生活の中で心がけているのだろうかと思ったのです。自分を大事にする分量だけ、相手のことも大事にできるのだと気づかされたのです。一言で言えば、自分を好きになることが大事だと思います。欠点もあり、弱さもあり、いろいろ悩みがあるけれども、そんな自分も、かけがえのない存在として、生かされている、大事な人間なんだと、まず自分自身のことをそう思うことから出発することが大切なんだと思います。」114項


北村年子氏の講演から

「子ども時代にいじめられ、社会に出てもいじめられ、差別にあい、仕事は得られない。どんどん自尊感情が下がり、自分が嫌いになって、自分を否定していく中で、自分とよく似た境遇のホームレスの人にいらだちを覚え、いじめるようになっていきます。いじめというは、決していじめられる側の問題ではなく、いじめる側の自尊感情の低さの中から起こる問題なのです。」141項

「暴力と自尊感情というは、反比例します。自分を大事に思えない心の中で、どんどん暴力のエネルギーが増幅する。逆に、自分のことを大事にできる、肯定できるエネルギーがあれば、暴力は消えていきます。つまり、いじめる子どもたちは自分を肯定できない生きづらさを抱えているということなのです。」142項

なぜいじめるの?
「そしてその子は、いじめる理由をはっきりと話してくれたのです。「ぼくは、今、生きているのがつらいんで、もしだれかをいじめて、その人を不幸に落としいれることができたら、自分がましに見えるんです……。それに、自分に価値があるって思えないから、人を、否定したくなります。他人を否定すれば、自分がましに見えるから、人をいじめたいと思います。」と。
 これは初めて私が聞けた当事者自身が言語化してくれたいじめる側の心理でした。すごく大事なことだったのです。「なんでいじめるの?」と聞いたら、「今、生きてるのがつらい」からだと、初めて怒りの言葉以外の、その奥底の根っこにある本当の心の声、感情の言葉が出たのです。」144項

「むしろ、不完全なままの自分をどれだけ認められるか、今このままの自分をOKと思えるか、それが本当の自尊感情です。」146項

「自分がつらいゆえに、より弱い者をいじめるという他者攻撃がある。そして誰かをより低い位置に置くことで自分の価値をなんとか高め、自尊心を得ようとする。それがいじめです」147項

「たとえもし「死ね」と言われても、ちゃんと自尊のバリアがあるから「なんで私が死ななあかんの」の暴力の矢をはねかえす。「ボケ」「カス」「ウザい」と言われても、「しょうもないこと言うてるわー、あほらし」と思うと、いのちの中心に刺さらないのです。」149項

「けれども、一番怖いのは、「死ね」と言われて「そうや私なんか死んでしもうたらいいんや」とか、「ボケ」「カス」と言われて「そうや自分なんかとるに足らない存在や」と、その否定の矢を受け取って、また自分が自分を刺して否定してしまうことです。」149項


本田哲郎神父の著書でも、
この本でも、印象に残っているのは、
「愛」ということばの話と相手の立場に立てないという話。

聖書の「愛」はもともとアガペーという言葉で大切にするという意味。さらに歴史的な文脈から、再解釈をされていました。

あと
相手の立場に立てないんだ、そこから出発しないと正しい人間関係ができないではないかと言う話。

仏教者の糴鳥柳一さんのお話もとても勉強になりました。

「四門遊観」の解釈から、
「不安」を駆動原理とする新自由主義の社会システムのこと、そして、それに抵抗するための運動についての話など。