恋愛って何?

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今、自分を磨いた分だけ、未来に「素晴らしいドラマ」が

 春になれば花が咲き、冬になれば雪が降るように、青春時代に異性に憧れ、好意をもち、胸を熱くするのは自然なことです。人生の一つの段階です。おたがいが、キラキラした夜明けの新しい太陽が昇るような、新しい時代に入るようなものだ。
 もとより、恋愛の悩みといっても、十人十色。性格も違うし、環境も状況も違う。”こうすれば必ず解決する”というような、だれにでも当てはまる法則もないでしょう。
 また、人を好きになるのも、”きれいだな”と思うのも自由。お付き合いするのも自分の意志であり、本来、人がとやかく言うものではないのかもしれない。

「自分を大きく育てる」が根本
 ただ、人生の先輩として、皆さんに語っておきたいことは、「自分自身を大きく育てていく」という根本軌道を忘れてはいけないということです。
 勉強もクラブ活動も、「強い自分」という人生の土台をつくるためにある。性格の悩み、友人関係の悩みも、「強い自分」を築く肥料となる。
 恋愛も同じです。自分が大きく成長し、生き生きとして、力を出していくようでなければならない。それが大前提です。
 しかし、「恋は盲目」と言われるように、ともすれば、自分を冷静に見るゆとりがなくなってしまうのも恋愛の現実です。
 親に心配をかけたり、非行的になったり、勉強をおろそかにするようでは、おたがいが「魔」(邪魔)になっている。おたがいが、傷つけあうことになっては不幸です。
 大事なことは「あの人がいるから、もっと勉強しよう」なのか。それとも「勉強よりも、あの人」なのか。
「あの人がいるから、もっとクラブ活動に挑戦しよう」「あの人がいるから、もっと友だちや親を大切にしよう」「あの人がいるから、未来の目標に向かって、もっと頑張ろう」なのか。それとも「クラブ活動よりも、あの人」「友だちや親よりも、あの人」「未来の目標よりも、あの人」なのか。
 今、自分たちは何をするべきか、その目的を忘れての付き合いは邪道です。目的を達成させようという励まし、希望をもちあっていくことが大切です。恋愛は、感動し、元気になり、希望を生み、生きぬく源泉にならなくてはいけない。

 片恋が、ダンテを高みへ導いた
 
 ダンテと言えば、西洋の最高峰の詩人です。彼にとっては、ベアトリーチェという一人の女性が生きる源泉だった。少年の日から彼女を慕い続け、十八歳の時、道で再会した。彼は感動を『新生』と題する詩につづる。そして、彼女への思いを、”どう表現すればいいか”と悩むなかで、ダンテは新しい詩のスタイルをつくりだしていく。まさに、彼女がダンテの芸術の扉を開いてくれたのです。
 しかし、ダンテにとって、彼女は”憧れの人”で終わる。ベアトリーチェは、他の男性と結婚し、若くして死んでしまう。それでも、ダンテはベアトリーチェを愛し続けた。それが、結果として彼の心を高貴なるものに鍛え、高め、深めていく。
 ライフワークの『神曲』では、ベアトリーチェは、ダンテ自身を天上界へと導いていく尊貴な存在として描かれている。
 皆さんにとって、ダンテは、時代も国も違うかもしれない。
 しかし、相手がどうであろうと自分の思いを見失わず、その愛情を”生きる希望”に変えていったダンテに学ぶことは多いと思う。恋愛は、生きるバネに、生きる強さのバネにならなければいけないと私は思う。


「見つめ合うより、同じ方向を見る」
「好き」という気持ちに翻弄されて、二人だけの世界をつくろうとするよりも、相手の「尊敬」できるところを学び、自分を高めていくほうが賢明です。
星の王子さま』の著者であるサン=テグジュベリも、「愛するとは、たがいを見つめ合うことではなく、ともにおなじ方向を見ることだ」〈『サン=ジュペリの言葉』山崎庸一訳編)と言っている。その意味でも、やはり共通の信念をもっているほうが、長続きする場合が多い。
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これも助けになった文章、十代の時。迷惑な話だと思いますが、高校生のときから3年間くらい片思いだった女性のことをベアトリーチェのように考えていました(笑)。恋愛に限らず無軌道になる時が危険だと思います。無軌道になった時にどうやって正しい軌道に戻ってこれるのかが大きな分かれ道であり問題でもあります。今だって無軌道になることがあるけれど、忘れないから安定して戻ってこれる。