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日記

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2016-11-23

22:11

グーグルの翻訳がかなり正確になった。

英語の論文を少しコピペしたら、かなりよかった。


no title

22:01

薬飲んではやく寝よう。

少しはやくいかないとまずい。

21:26

友だちの結婚式でした。

もともとかっこいいやつですが、結婚式の時は、みんな100倍増しくらいにかっこよく見える。

坂本龍一の曲を弾いていた。

5ヶ月前からはじめてピアノをならって練習してたんだって。

ミスタッチがあったけれど、そんなことは問題ではない。

D


やまのは兄さんが一生懸命に練習したあとの演奏の失敗ほど美しいものはないと言っていたけど、そのことを思い出した。



すてきな結婚式に出席して、お祝いできてよかった。


でも何人かの友だちが知らないうちに結婚してた。

来年も中学校の友だちの結婚式がある予定。

時代は流れているのだ。

09:17

型を知った上で破っていくのと、型を何も知らないは決定的に違う。

08:47

かるくたべおくすりのもう。

08:47

自由に書く時間が継続して、規則的に子どもたちが書くことに見通しをもてるようにあるって決定的に大事だとあらためて思う。決定的に大事だと思っているのに、いまいちできていない。

作文 書き換え(パロディ作文) 書き換えが物語作りを難しくする?

| 08:11

「書き換えが物語作りを難しくする?」


物語の構想を交流する授業の

研究授業の話し合いで、

こういう問いを出してくれた方がいた。

そもそも物語作りを助ける質問や書き換えが書くことを難しくしているのではないかと。

その話の中だとわかりづらいというのがその理由のメインだったと思う。もっと分かり易くできないかと。でも本当に短い話の中で、くわしくは分からない。相談したいことを書く欄と、質問の答えの欄が一目で見れるといいとあった(僕のワークシートはA4裏表だった)。それはワークシートの工夫。確かにこのほうが交流しやすいと思う。ちょっと話がずれたけど、ワークシートの工夫について付箋でコメントがあったことを思い出しました。


僕がその問いについてすぐに思ったのは、

いやいや書き換えも質問も書くことを簡単にするためにあるんだけどなあということ。

書き換えが書くことを難しくするって、どういうことなんだろう?

その書き換えや質問が、

まったくないことを考えてみればいいと。難しくしていることはないだろうと。

でもよく冷静に自分に自分の経験を振り返って考えてるみると、

書き換えや質問が書くことを難しくしている事実、面があることを発見しました。

これは書き換えが完全にダメってことじゃないんですけど。


ライティングワークショップにもいろいろあって、ラルフ・フレッチャーライティングワークショップを自分なりに実践している時がありました。僕はどうしても読書教育を優先にする人で、僕がやっている規則的に読書の時間が一年間継続してある(朝の10分間読書運動みたいなのも、違うけど似た様なものです)読書教育みたいに、自由に作文を規則的に自由に一年間書く時間を確保してライティングワークショップをしたことがたぶん3年間くらいあると思います。


其れ以外は、読書教育と国語の教科書と学習内容を優先してやる。余った時間に一月とか、でまた余った時間に一月やるとか、そういうライティングワークショップといういびつな感じでやっていました。今年度も前年度もそうです。


ある意味それは合理的で、先に書き換えなどを経験して、物語作りなどのジャンルの型を学んで、そこから決まった決まったテーマの決まった題材(題材を同じテーマから選べることもある)について書いて、そこから自由作文へスモールステップでホップステップジャンプで移行していたわけです。


書き換えの後にみんなが自由にお話を書けるようになったのか。

それなりに書けるようにはなるのですが、

フレッチャーのような自由作文をメインにやっていた時と、子どもたちの作品がだいぶ違うんです。


最初から自由で、ミニレッスンも至らないと、すごく平坦でだらだら続く作品を書いてしまうことがあります。そこからなかなか改善するのが難しい子もいたし、なかなか書けない子もいた(ただ一年間継続すると、出版などを経験する中で学び合って、そういった子もけっこう書けるようなった)。でも発想が自由でのびのびと好きなだけ子どもたち書いていて、それが作品にも表れていた。


書き換え→自由作文となると、ちょっとこじんまりとするというかな。子どもたちを、その書き換えが、その直後の流れをけっこう限定してしまうというかな。フレッチャーの実践を追試していた時と比べると子どもたちの作品ののびのびしたところが少なくなるというかな。そんな違った感じがしました。


つまり、書き換え→自由作文という流れだと、書き換えという経験がやはり、発想の方向性を、固めるところがあって、その分、書くことを難しくしている面であるのではないかと。これが書き換えが書くことを難しくしている部分。


こうがいいじゃないかなと振り返って思いました。


それは僕の読書教育に対する考えと同じで。

もともとライティングワークショップがそういうものだけど、

やはり継続して自由に書く時間がはじめからある。

その経験を土台に、書き換えがあるほうがいいのかなと(いや書き換えなどはそういったものは一切いらないという、完全な自由がいいという立場もある。僕はそうではない)。


個別化を進めた自由作文と系統的な学習を平行して進めるのがベストではないかと。

そんなことを、いただいた問いから考えて思いました。


僕だったら、自由作文の経験がまずあって(子どもたちは自分のたちの経験から好きなジャンルの書きたいことを書く)、俳句や詩(そのあとの物語文のたねになるうその詩とかもふくめて)などのジャンルスタディから丁寧にやりたいかな。その次に日記やノンフィクション(自分のなど)、その後に物語文かな。簡単


継続して同じ時間に自由に書く時間があるというのが決定的に大事なことだと思う。

一週間に一度でもいいと思う。ないよりはマシかな。

10分間読書みたいなのが可能なら、同じように今もできないかな。


ほんとに書くことに熱中するみたいな姿が見られるのは自由作文。



話がかわっていくけど、思い出した事。

前年度は学年でライティングワークショップ。でもこれは後期に総合の時間を使って、4、5ヶ月くらいだったかな。少し短いけれど楽しかった。

学年主任の方が年度のはじめに通年ではなくて、こういう一時期だけどやろうと提案してくれたので、のびのびできたのは嬉しかった。僕も作品を文集に毎回、投稿。

ただ継続して規則的に同じ時間に毎週やるということがかなり微妙だったかもしれない。ただ総合の時間を使うことで、時間的には、けっこうしっかりやれたかもしれない。


自由に書く時間が継続して、規則的に子どもたちが書くことに見通しをもてるようにあるって決定的に大事だとあらためて思う。決定的に大事だと思っているのに、いまいちできていない。



型を知った後に創造があるというのもまた、ほんとうだと思う。自由にわちゃわちゃやった後でも型を知ることは大切だと思う。

ただ書き換え→自由作文と自由作文と平行して書き換えなどの学習があるのは、だいぶ違いが出てくると思う。

自由に書いて、友だちに受け止めてもらう嬉しさ、喜び。それが先にあった上で書き換えなどを学ぶとたぶんだいぶ違う気がする。

06:41

Tさんが突然SNSがからいなくなって、さみしい。何があったのだろう。

スッタニパータの言葉にあるように独り歩めということなのかと、その言葉思い出す。

06:40

今日は友だちの結婚式。これから朝風呂。

みんなよかったいうてるブルージャイアントかって読もうかな.

shimanukishimanuki 2018/08/14 14:30 初めてご連絡させて頂きました。
私、株式会社スプリックスの島 貫と申します。
突然のご連絡で大変失礼致します。

弊社では、学校の先生方向けに授業準備のための無料情報サイト
「フォレスタネット」を運営しております。
この度、貴ブログに投稿されている記事の数々を拝見し、
是非私共にお力をお貸し頂けないかと思いご連絡致しました。

「フォレスタネット」は全国の先生方が実践等を共有し合うことで
先生方の授業準備をご支援するサイトです。
総数10万点以上の教材や実践例等の情報を掲載させて頂いております。
他にも、授業内で使える小噺、小ネタ、学級経営に関するもの、
先生方自身のスキルアップに繋がる情報も掲載致しております。

しかし、全国の先生をご支援する為に
より多くの情報を揃えていきたいと思っております。
つきましては、貴ブログにございます記事について、
是非フォレスタネットへ掲載させて頂けませんでしょうか。
掲載作業の一切は全て我々の方で進めさせて頂き、管理人様のお手間はとらせません。
また、記事を掲載する際の名義は管理人様の名義のまま掲載させて頂きます。

ご不明な点も多々あるかと存じますので、何なりとご質問頂ければと存じます。
この度は突然の不躾なお願いとなり、大変申し訳ございません。
ご検討の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

ご連絡いただける際は下記のメールアドレスまでお願い致します。
r.shimanuki@sprix.jp