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1.蛙と牛とどつちが大きいか。(牛が大きいことは云ふまでもないと子供でも笑ふであらう) 2.そんならどれだけのちがひがあらう。何にたとへたらそれが人に解るやうに話せるであら
うか。
子供と大人との如きか.........(まだ足らぬ)
人と家の如きか..................(まだ不足)
子供と學校くらひのものか...(そんなではないが)
小指と身體との差の如きものか等た
3.蛙と牛と相撲をとつたらどつちが勝つであらうか(何と子供がいふであらうか)
4.牛をはらたたせたら如何。はじめて見たらお化けと見えないか等。
5.牛という字はこれである。
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イソップ物語の読解。
牧口先生が独りでボケてつっこんでいる、ちょっと変な人かもしれないと読みながらケラケラ笑っていたのですが、これは授業案の一部だった。小学校二年生への授業。コントの台本みたいなものだけど、子どもたちは、その台本を知らない。

読むと分かるけれど、この時代から授業内容が今のアメリカの研究の読む時の方略の考え方と重なる部分があったり、言葉の理解のために実物を見せたり、一文一文についてどう授業するのか考えが書いてあったり、とても面白いです。

読み進めていくと、牧口先生は自由教育に憧れていたけれど、その幻から目覚めたという論考がありました。あれかこれかではないとやはり思うのですが、その部分をこれから読むところです。

自由教育には、自由教育の合理性があると、私は思います。

http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/828/3/kk1-162.pdf