読書の評価について

読書を軸にした国語の評価というと、書いたものを評価するのが基本になるのかなと思います。アトウェルの授業なら、レターエッセイとブックレビューがそれに当たると思います。この書いたもの(読書のパフォーマンス)を、無理やり点数化することは可能だと思います(これがベストだとは思わないけど)。

最近、亀山 郁夫さんが『カラマーゾフの兄弟』の続きを予想するという本を読みました。その読みは亀山 郁夫さんのものですけれど、ドストエフスキーの主著をほとんど翻訳し、歴史学者的なスタンスで資料を分析して考察するその予想は、すごいものでした。亀山 郁夫さんの本を読んでも思うのですが、読みを評価するなら、基本的に、読者が読んで考えて書いたものに頼るしかないのかなと僕は思います(読者が本について話したことも参考になりますけど)。




たぶん、読み書きを切り離して評価することが不可能なのかもしれないです(話すことで評価可能ですが、特にコスト面で難しいと思います)。書くことは、書き言葉を読む経験に依存しています。読むことは目に見えないので、読んで考えたことを話してもらうか、書いてもらうかしか原理的に評価する方法がなさそうです。もし読むことが考えることだとして、それを評価しようとするなら(それを繰り返し吟味できるようにするなら)、話したことを録音するか、書いてもらうしかないのかもです。読むことが考えることだとすると、読んで考えて、それを作文に表したものは、読みのパフォーマンスとして評価できると思います。
次の学習指導要領の評価の観点が変わるらしいのですけど、このことが関連しているのかもです(どう変わるのか確認できていないです)。