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日記

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2017-12-10

09:45

Tさん

「高み רָמֹת」って何

宗教的典籍の言葉は、作られたとき、どのような意味を持っていたかをしることは、とても大事です。

宗教的言葉でなくても、例えば、「影」。これは、「暗いところ」という意味ではなく、「光」という意味ですね。「月影さやかに」というのは、「月の光がくっきりと」という意味です。

日蓮が使う「主師親」ということば。

あれも、日蓮の言葉ではなくて、

当時、確立期にあった封建道徳で、

世俗的権力者(家来とは、ご恩と奉公の関係で結ばれた)、

世俗的権力者が任命した宗教的権威者、

そして、土地相続を媒介とした家父長

という、ごっつい権威的な存在だったわけです。

日蓮は、膨大な行数を通じて、それを脱構築していくわけです。つまり、みんなは、こんな権力ごりごりや、そのお友達ばかり尊敬しているけど、ほんとに、尊敬すべきものなのか、と問うていくわけです。

「主師親」は、日蓮の「主張」ではなく、日蓮の「疑問」なのです。

日蓮は「主師親」という言葉を使いながら、「主師親」を否定したわけです。

それで、「私は世間には見捨てられたぼろぼろの地位も名誉もまったくない、存在だけど、人を救おうという誓いに生きてきた」

と言われるわけです。

大事なのは、その言葉は、当時、どんな響きを持っていたかです。

たとえば、聖書を例にとります。

「マリアの子イエス」という表現は、

聖母と神の子の神聖な関係」を表すなどと、

伝統的な解釈はなされるのですが、

もともとは違います。

不貞の女から生まれた子は、生涯、(当時、ユダヤ教の伝統であった)父の名ではなく、母の名を以て呼ばれる」ということ。

つまり、「マリアの子イエス」という表現は、

不倫の父無し子イエス!」という、

生まれながらの宗教的罪、差別的表現であったのです。

他にたとえば、

「神は高みより人間の世界を見わたされた」などと、

聖書にしょっちゅうでてくる「高み」(ヘブライ語で、רָמֹת、ギリシャ語訳では、υψόμετροだったか?)

当時、金持ちや普通の市民は、低いところ(簡単にいえば、オアシス)に住んでいて、高いところは、ハンセン病の人、異民族、難民、町を追放になった罪人、ホームレスが住んでいたのです。

だから、רָמֹתというのは、「立派な天国の御殿から」という意味ではなく、「ホームレスのいるところ、ハンセン病の人たちが追放されたところ、難民キャンプから」という意味なわけです。

立派な神様、立派なイエス様、立派な日蓮大聖人様ではないのです。

ぼろぼろの神様、ぼろぼろのイエス様、ぼろぼろの日蓮なのです。

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