みかとやす・タカツキバンドのライブを見て
土曜日にみかとやす主催ライブ「握手`10」を見に京都へ行ってきた。ライブ自体は曲数も多く充実したライブだったように思う。特に3月の夜酔リョータロウバンドライブに出演してもらったときにも演奏していた「スロウ」という曲が今後の二人の新しい方向性を示唆しているように感じた。
みかとやすも良かったのだが、ゲストで出演していたタカツキバンドが素晴らしかった。タカツキはウッドベースで弾き語るラッパーなのだが、僕の軽音部との関係もちょこっとだけあり名前はずっと知っていたものの音楽を聞くのは初めてだった。今回はドラムとエレピを従えたバンド編成だったのだが、演奏の完成度やビートが前面に出た曲とエレピのサウンドが前面に出たリリカルな曲とのバランスも非常に良い。思わず演奏後に話しかけ、セカンドのCDを購入した。こっちのCDもなかなか良かった。
さて、人のライブを見ると当然ながら自分の演奏活動のことを考えるのだが、まず8月に久々にmonolithでのイベントをすることになりそう。東京の盟友バンドF.Uを交えて京都でやる予定。
それと平行して現在新バンド結成に向けてメンバー募集中。バンド結成に当たっての条件は「ボーカルレス=インスト」のみ。幸いなことに優れたボーカリストに囲まれていた僕にとって新たにボーカリストとやる気持ちはなく、純粋に楽器だけでどこまでの音楽が作れるか試したいという気持ちが強い。インストとなるとたいていジャムバンド的な雰囲気の人が集まることが多いのだが、ロック〜ファンク色も持ちながら、ジャズに対する理解のある人*1とプレイしたい。個人的にも個人練習の時間をここ数ヶ月はしっかり持って基礎的なテクニックを再度養いたいと考えている。
*1:別に4ビートで演奏できるとか、スウィングしてるという意味ではない
Laura Nyroを聞きながら
また2ヶ月ぶりの更新になってしまった。ここ数ヶ月は仕事もまあまあ忙しく、業務外での業務活動みたいなものも加わってかなり慌しい感じだったが、ようやくここに来て一段落。
今日は22時頃家に帰宅して、一人ビールやウイスキー*1を飲みながら、ずっとLaura Nyroを聞いていた。先日3月末に京都Club Metroでの夜酔リョータロウバンドのライブを終えて、新しい音楽を聴きたいと思いながらAmazonで検索していたときに、ふとまだ聞いていない彼女の作品を聞こうと思い立った。彼女の「Newyork Tendabery」は僕の大好きな作品で、好きなシンガーソングライターの一人なのだが、実はけっこう聞いていない作品が多かった。そこで、下記2枚を聞いているのだが、やっぱり素晴らしい。
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- アーティスト: Laura Nyro
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一人酒でも彼女の歌声を聞いていれば寂しくはない、というのは言いすぎだろうか。
『絵画の庭-ゼロ年代日本の地平から-』@国立国際美術館へ
今日は久々に有給が取れて4連休の2日目*1。朝早く起きて洗濯をした後、目指すは一路この中之島の国際美術館でやっているこの展示会へ。
総論-果たしてミクロな感覚がそんなに凄いのか?-
日本の現代美術の世界での「ゼロ世代」の作家たちは、所謂マイクロポップだとかネオテニーとかのキーワードで語られそれなりに批評言説も充実してきた感覚があるが、東京という文化の中心地*2からかけ離れていると中々目にする機会もないように思われるため、今回の展示はそれなりの期待を胸にして出掛けた。
本展示ではポスターにも登場する奈良美智の作品を筆頭に、会田誠や町田久美など30人弱の作品を集めたものである。基本的に僕が知っていたのは先の3人にプラスして草間弥生くらいのもので、他は全く知らない作家のものであった。総論として言うなら、多様な手法や問題意識に彩られた作品を見るのは刺激的だった一方で、「マイクロポップ」というキーワード(あくまでもこれが批評的言説として構築されたものだということを差し置いても)に内在する一種の危うさを僕は実感した。具体的な作家名は覚えていないので出さないが、その危うさとは数名の作家から、ミクロな表現やテクニカルな技法に取り入りすぎてそこから広がっていくような何かを感じ取れなかったことだ。
日常生活の隘路に陥るJ文学とマイクロポップの類似性
例えば90年代〜00年代の日本の文学において、自分の身の回りの日常を書けばそのままそれが文学として成立するかと錯覚しているような作家が多く存在していたことを想起させる。そこには伝統的な「私小説」に対する完璧な誤解が背景として潜んでいるわけで、こうした作家こそJ文学の蔑称に値すると内心思っているが、この展示で感じた危うさはこの感覚に近い。
マイクロポップを巡る言説の一つに「日常生活の再利用」がある。これは中心から排斥され周縁に追いやられた者/物を活用することで新たな表現活動を得ようとする、如何にもポストモダニストが好きそうな言説であるが、日常生活という極めてミクロな世界のものが何か我々に訴えかけるものがあるなら、そこには確実にミクロな枠に内在され得ないマクロな広がりがあるはずではないか。そうした二律背反を持ち得る強靭な作品こそが、優れた美術なり文学なりの1つの条件ではないか。そうした力のない作家、ないしは作品が「マイクロポップ」の名の下で評価を与えられているだとしたら、そうした批評的言説は全て空虚なものでしかないと思うし、空虚な批評的言説など消費されて仕舞えば良い。
最もそうした消費されることを前提として現代美術の世界にもシニシズムが未だ蔓延っているのかもしれないし、その世界においては空虚な批評的言説、それが何だということにもなるのかもしれない。しかし僕はもうそろそろ消費されることを前提として逃げ出せばそれで済むような*3ポストモダニズムにはうんざりしている。もちろん消費されること自体を事実として認めながらも、もっと正面切ってそこに抗うような手法はないものか、そう考えている。
改めてヨーゼフ・ボイスを問い直す-『ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命』より-
ヨーゼフ・ボイスという人間を知ったのは、現代美術に関する本をたまたま購入した3回生くらいのときで、そのときは「フェルトと脂肪という変わった素材を用いる作家」というくらいの認識でしかなかった。それがいつか、彼の思想面を知ることで僕の彼への興味というのは一気に深まった。労働者として働くにつれ、学生時代は考えたこともなかった労働という行為それ自体やその意味を考えざるを得なくなったのだが、そんな自分にボイスの考えというのはとてもしっくりときた。それは恐らく学生時代に耽溺していた文学や思想の世界という極めてメタフィジカルな領域と、日々の労働という極めてフィジカルな行為を結びつける役割を担ってくれるように思われたからに他ならない。
そうした中、1月で終わってしまったが水戸芸術館現代芸術センターで行われていた展覧会「Beuys in Japan ボイスがいた8日間」に行けなかったのが悔いとして残っていた。色んな面で不調な時期だっただけに到底行くだけの体力がなかったのだが、書店でこの展覧会をまとめた書籍が出ていると知り、購入したのがこの本。
BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命
- 作者: 水戸芸術館現代美術センター
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2010/01/26
- メディア: 単行本
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本書の内容
内容としては、ボイスの最初で最後の来日となった1984年の8日間を、その当時の関係者のインタビューや批評家による言説を中心にその意義を改めて問い直そうとするものである。書籍ではボイスを自身のアイドルとして挙げる坂本龍一や、異端の社会思想研究者である仲正昌樹などが寄稿しており、あっという間に読んでしまった。
「社会彫刻」を巡る彼の思想面について
「社会彫刻」、「全ての人間は芸術家である」、といった彼の有名なテーゼは、常に彼を語るときに付いて回るが、実際にその意味を理解していたとは言えなかった。それが、来日時の講演で語った次の言葉により、理解できるような気がした。一部を引用する。
「すべての人間が芸術家であるということは、すべての人間に本当の能力があるということです。なにも音楽を作ったりする必要はないのです。例えば今日の現代的な飛行機に乗りこみますと、この飛行機を作るためにどれ程の発明の才能が必要であったか、どれほどの創造力、クリエイティブな力が必要であったか、そしてどれほどの芸術が必要であったかということがすぐ解ると思います。その意味ですべての人間が芸術家だと私は言っているわけです。」(本書pp147より引用)
誤読されやすい彼のこの有名なテーゼについて、ここまで明快にかつシンプルに語れる力、これこそボイスの一つの魅力なのではないかと感じる。ボイスは様々な場面で「創造」というキーワードを使うが、これこそ20世紀後半、製造業から知識集約産業*1へと産業構造が変化する中で最も人々に求められている能力の一つではないか。
また、
先ほど私は、どんな人間も芸術家であると申しましたが、それはどんな人間も画家になったり、あるいはモーツァルトのようになったりすることを意味するのではありません。どんな人間も社会の変革のために働けるという意味です。従って歯医者さん、看護婦さん、ゴミを運び出す人々、お母さん達、あるいは会社の課長さん、部長さん、工場長、マネージャー、そうした誰もが、自分自身の考えによって本当の意味で自らの創造力を共同体に提供することができるのです。それが芸術作品というもののもっている、本来の要求にかなうものだと私は考えています。もしも、それができないならば、この大地と人間は崩壊し、没落することになると思います。(中略)我々が思考することによって、社会あるいは人間の肉体を、新しい、大いなる彫刻として作っていくことを、私は考えております。(本書pp148より引用)
ではより具体的な形で彼の目指す「社会彫刻」の姿が描かれている。それは人々が真摯に労働という行為に従事する、それも「創造」することを常に考えながら働くことで、一つの共同体が変革されていくプロセスである。創造といってもそれは何も特別なことではないように思われる。産業構造が変化し、知識集約型の労働形態が中心*2となった現代において、創造とは不可欠の営為であるからだ。
労働と「社会彫刻」
こうしたボイスの「社会彫刻」論は必然的に資本主義という思想に密着に寄り添うものになるはずだが、この点を巡ってすれ違ったのが、この初来日時の東京藝術大学との対話会である。この初来日は80年代、日本の文化事業の中心とも言える西部グループの主導によって主催されたが、「企業」という資本主義的な存在によってボイスが招かれたことは当時の学生に混乱を招いたようであった。未だに根強い文化左翼の人々にとってはこうしたボイスの考え方は決して理解されることはないであろうし、様々な批判も当然あり得るとは思う。しかし資本主義というところにまで目を向けなくても、一労働者としての僕自身、ボイスの思想により救われた気がするのは事実である。そして、多くの人々がより多様な職業観・労働に従事するようになった今日においても、彼の思想が何かしらの見地を我々に与えてくれるのもまた、事実であるように思われる。
最近読んだ本のレビュー
まとめ書き。とりあえず一行感想を。
福井エドワード 『スマートグリッド入門-次世代エネルギービジネス-』
スマートグリッド入門 次世代エネルギービジネス (アスキー新書)
- 作者: 福井エドワード
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2009/12/09
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岡田利規 『わたしたちに許された特別な時間の終わり』
- 作者: 岡田利規
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/12/24
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三枝匡 『戦略プロフェッショナル』
戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ (日経ビジネス人文庫)
- 作者: 三枝匡
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 2002/09/01
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絲山 秋子 『エスケイプ/アブセント』
- 作者: 絲山秋子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/12/24
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I am the Resurrection
2ヶ月ほど地下生活を送っていたが(主に精神的な意味で)、ようやく地上に出てくることが出来た。
タイトルはStone Rosesの1stから。久々に聞こうと思って棚を探すがCDが見当たらない。
とりあえず、少しずつ動き出そうと思ってます。
夜酔リョータロウバンドの方は11月末のライブ以降動きがなかったが、2月28日(日)に京都二条nanoで久々のライブ予定なので、お時間ある方はぜひ。そして明日は4人編成となっての正式な音源(夜酔リョータロウバンドとして5人編成の「ハロー?」に続く4枚目)のドラムレコーディング日。5曲を1日で録音するというかなり過酷な予定だが、何とか良いテイクが録音できるように。作品自体も今までになかった色々なアイディアを盛り込めるよう画策中。
音楽で楽しみなのは4月にあるWilcoの来日公演。そしてJoe Henryまでが京都に来るじゃないか!
僕の今2大アイドルである2つのアーティストを連続して見れるとは、何という幸せ・・・。
そういえばそのJoe Henryもゲスト参加しているMeshell Ndegeochelloの『Bitter』が素晴らしい。ミシェル姉さんにはかなりアッパーなファンクテイストの作品ばかりかと思っていたが、ここでの洗練された世界観にはため息が出る。
- アーティスト: Meshell Ndegeocello
- 出版社/メーカー: Maverick
- 発売日: 1999/08/24
- メディア: カセット
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