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兵の地 - つわもの迷走記 - このページをアンテナに追加 RSSフィード

20160917Sat

[]「スーサイド・スクワッド「スーサイド・スクワッド」を含むブックマーク

悪党」と口々に言うのだけど、実際に「どういう悪事を働いてきた悪党なのか」「どういうレベルでの悪党なのか」は、具体的描写が一切ない。説明文と、セリフで説明されるだけ。むしろ、子供を盾にするバッドマンの方がよほど悪党に見える。わざとそういう描写にしているのかも知れないけど、そのお陰でスーサイド・スクワッドの面々は“変化”に乏しい。最初からそういう人が、取るだろう行動を取って行っているだけ。各々のキャラクターが魅力的ではあるからちゃうんだけども、冷静に考えると映画構成としてだいぶ壊れていると思う。

例えば、同監督の「エンド・オブ・ウォッチ」の主人公2人は、「ルールに縛られず、不正も多少働くけど、それぞれに譲れないもの、守りたいものがある」というキャラクターけがあって、それぞれが配偶者に出会ったり、信じられない現実に出会ったりすることで“変化”していく。その結果、招くのは悲劇だけど。スーサイド・スクワッドの面々にも、そういう“変化”が欲しかった。

その他にも、出てきた瞬間に死亡フラグ立ってる奴がやっぱり死ぬとか、本当にスーサイドしてるのが全然関係無い奴とか、敵に魅力が無さすぎるとか、ジョーカーが本筋に関係無いとか、色々と問題は多いかったが、個人的に一番気になったのは、政府体制)の描き方。明らかな不確定要素を支配下に置くにあたって、次善策が何も無いとか、インフラ潰されただけで驚くだけが仕事になる会議室とか、とにかくスーサイド・スクワッドを操る側の人間たちにバカしかいない

こういう描写、ただ陳腐なだけとか雑なだけとか、そう言ってしまえば簡単ですけども、最近思うのは、これってただの願望でしかないと思うんですよ。「公権力を振るう人間バカばっかり……なハズだ」という。

でも、公権力を振るう人間というのは、時に必要以上に狡猾だということを。だからこそタチが悪いわけで。あいつらはバカだ、何も分かってない、で切り捨てれば楽なのかも知れないけど、それって何の解決にもならないんじゃないかなぁ、と思うのです。

バカに振り回される可哀想悪党たち……ということなのかなぁ。それにしては、悪党たちの縛り方があまりにザル。結局、「見せたい構図」だけが浮いていた。惜しい映画でした。

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20160902Fri

[]「悲しみの忘れ方」 「悲しみの忘れ方」を含むブックマーク

2015年に公開された、乃木坂46ドキュメンタリー映画

アイドルドキュメンタリーって初めて観たのですが、観終わって一番最初に思ったのは「なんでも“物語ストーリー)”にしちゃうんだなぁ」という薄気味悪さでした。

本人たちは頑張っている。とっても頑張っている。色々ツラいこともある。忘れたい過去もある。人間的に変わっていく。でも、そういうものって、明石家さんま師匠言葉を借りるならば「それが最低限」です。あらゆる人はもともと「フツーの人」だし、あらゆる表現者努力しているし、色んなことを乗り越えている。「本当の自分はこうだけど、これだけ頑張って今があります」みんなそうでしょう。その上で、何を表現するかが勝負なのだから

どんなに頑張っても作品面白くなければ負けだし、どんなにサボっていても作品面白ければ勝ち。それが「表現」というもの残酷なところであり、面白いところ。「本当の自分」がどうだろうと、表現されたものが全てであるという、表現活動が持つ“平等”さです。

なのに、この映画では殊更にそこが強調される。時に感傷的な音楽に乗って。絞り出した言葉に乗せて。そりゃアイドルドキュメンタリーなんだからそうだろ、ファンはそれが見たいんだと言われればそうなんだけど、そういう表現を続けていくと、段々作品内でアイドルたちが遭遇するあらゆる状況が「自然災害」であったり「神の意志」であったり、そういう感じに見えてくるのです。

え、違うでしょ、と思ってしまうんですね。

その「状況」には、必ずその「状況」を作った「誰か」がいる。グループのコンセプト。選抜のメンバー。楽曲制作企画立案。全てにそれをそれだと決めている人がいるわけです、間違いなく。だけど、この映画には、その「誰か」が全く出てこない(写り込んでたりはするのかも知れないけど)。秋元康だって出てこないし、乃木坂46楽曲を作った人のインタビューひとつもない。バナナマンすらほぼ出てこない! ただひたすら、メンバーの気持ちだけで“物語”が綴られていく。

「悲しみの忘れ方」とか言うけれど、じゃあその「悲しみ」を作り出したのは誰なの? その人は、どういうつもりで作り出したの? 例えば、オーディションだってサイコロ振って決めたとかでない限り、「誰か」たちによる喧々諤々の議論があったわけですよね。ならば、どういう意図で選ばれた人がどう変化していったか、という“物語”の方がよっぽど面白いし、観たいです。 僕はそのことが観ている間、ずーーーっと気になったのだけど、一度も触れることもなく映画は終わってしまった。

この映画には、ひたすら「過程」が描かれるけど、「結果」であるはずの「作品」にほとんど触れない。なのに、「物語」としてしまっていることに、非常に薄気味悪かったです。

グループ自体は存続しているわけだから、グループの「結果」を描くわけにはいかないけど、でもそれぞれの状況下で生まれてきた作品群があるわけですよね。その状況下でしか生まれなかった作品もあるはずじゃないんですか、という気になる。

敢えて言うならば、アイドルっていうのはプロジェクトの“最終出力先”でしかない。雑に言えば、彼女たちは大きな渦に巻き込まれているに過ぎない。その中でどう足掻いているかは描くのであれば、その「渦」人為的ものである以上、その「渦」を起こした人たちも、彼女たちと同様に顔と名前を出して、自らの言葉を紡いで、「責任」を取るべきなんじゃないの。「自分たちは、こういう意図彼女たちにプロジェクトを与えた」と。「試練」なんて都合の良い言葉で逃げずに、その成功と失敗にどう向き合ったのか。そして、彼女たちにどう向き合い続けたのか。そして、それらがどうぶつかって、どういう結果となったのか。そこのコミュニケーションを描かない理由って何?

僕のように「アイドルパーソナリティー」というものに別段興味のない人間は、ターゲットじゃないってだけの話なのかも知れませんけど。少なくとも僕にとっては、画面の中で過程も結果も否応なく映し出すバラエティの、バナナマンを通してゲラゲラと笑い飛ばせる「乃木坂46」の方が、よっぽど意味があるし魅力的だなぁと思いました。

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20160116Sat

[]「仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス「仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス」を含むブックマーク

多分面白くないし、観たら観たで絶対文句たらたらになるし、1800円払って良いことひとつもない映画なのに、不毛とわかりつつ、やはり観てしまう。こういうのがいるから、この手の映画は廃れないんだな。少しでも予想を裏切ってくれれば、と根拠のない思いを毎回抱いてはいるけれど……。

基本的に、「なぜ、その人がその言葉を発するのか」「なぜ、その人がその場所へ行くのか」という理屈が、全く成立していない。作ってる本人は省略話法のつもりかも知れないけど、「アイツを倒さなきゃ!」→どこかも明示されない現場、というのはただのサボリです。クライマックス、「10年前からこの場所だと分かっていた」とベルトさんは言うが、観客には一切わからない。敵に囲まれていたかと思ったら、しょーもないギャグが挟まれ、次のシーンではもう別の場所その危機的状況をどう乗り切ったのかが一切描かれない。挙句に敵の強さは「すごい強さだ!」とセリフでしか説明されない。いちいちツッコミ出したらキリがないほどに話運びが穴だらけ。

キャラクターの扱いも酷い。一年かけて育てあげたロイミュードたちのキャラクター全て無にした上で単なる雑魚格下げしかも、タイムスリップの影響でとかなんとか杜撰な設定改悪復活させてるのに、なぜかチェイスは元のまま。「バタフライ・エフェクトが起こったんです!」と知ったようなセリフを叩くが、誰の記憶も書き換わらないし、重大なタイムパラドックスも起きない、改変された記憶都合よくロックが掛かる。「電王」以下の杜撰さ。

この辺りで、「ああ、もう真面目に作る気ないんだな」ということが分かる。

先日、「クリード チャンプを継ぐ男」を観て大号泣したばかりなこともあって、本作で描かれる父子の受け継がれる魂のあまりの薄っぺらにうなだれるしかなかった。タイムスリップパラレルワールドという安易な設定を用いているせいで、色々なことがブレてしまっている。設定に齟齬がが起きているせいでテレビシリーズで培っているキャラクター性が全く活きていない(劇場版特別編で顔を合わせていることが無かったことになっている)。安易子供時代のタケルが出るせいで、タケル本人の父への思いがブレる。設定上は同一人物でも、映画上では別人だからだ。

その上、父が具体的にどう「尊敬すべき父であり、ゴーストハンターであったか」が描かれない。肝心の戦闘シーンはばっさりカットされているし(てっきり眼魔に成り代わられたのかと思ったら、本当に倒したことになっていて愕然)、言動に何かタケルの人生を決定づけるものがあったかと言えば何もない。あるとすれば都合よくワームホール開くぐらいで(そして誰も疑問を持たない)。何なら、タケルが決意するときに吐くセリフは進之介のものだし。

こんなものが、「クリード」と同じ劇場で同じ料金取ってるかと思うと泣けてくる。

話も酷ければ、アクションも酷い。「ウィザード」ぐらいまではカンフーマーシャルアーツパルクールなんかを取り入れて、なんとか新しいものを見せようという努力があったように思うけど、いつの間にかすっかり「殴って、よけて、防御して、殴る」という旧来のつまらない殺陣に戻ってしまった。「ニンニンジャー」の方がよっぽど頑張っている。強いて言えば、ゴーストがふわ〜っと飛ぶのが新しいのかも知れないが、それってフォーゼ二番煎じしかない。派手なことと言えば巻きつけて叩きつける最後フルCGの巨大な敵を倒してハイ、いっちょあがりってなもんである

恥を知れ、と言いたい。

結局、何も挑戦する気もなく、真面目に作る気もなく、キャラクターさえ揃ってれば見にくるヤツら自分含む)で興行収入が見込めて、スケジュールさえ埋まればなんでもいいや、というのが現在姿勢であることがよーくわかった一作でありました。

……ああ、不毛だ。こんなこと、毎回毎回書いている。じゃあ観なきゃいいのに、なぜか観てしまう。いや、「なぜか」というのは嘘だ。分かってる。ずっと幻影を追っているのだ。かつてこのシリーズに本当に面白くて、心動かされたことがあったから。でも、その姿勢もそろそろやめ時なのかも知れない。僕らの「好意」は、既にあちらには「ただの餌」と見なされているんだから

この前、本作の某プロデューサーが「フォース覚醒」を槍玉に挙げて「あの世代が作るものはこんな程度。期待しすぎ」などと揶揄していた。その面の皮が本当に羨ましい。

akizelakizel 2016/01/30 15:52 辛いお気持ちはたいへんよくわかります。しかし貴方のこの微に入り細を穿つ丁寧な指摘に私のもやもやが晴れ、また同じ特撮を長年愛してきた者として、そしてやたら過去作を横断し蹂躙し消化しないあの忌まわしい〈設定〉が立ち上がって以来の迷走・詐術の悲しみを共有する者として、貴方のこれらの嘆きのエントリーは私の慰めとなっています。いつか「子供だまし」ではない、本当の「子供向け」の、ちゃんとした特撮が帰ってくるときまで、なんとか書き長らえていただけたなら、こんなうれしいことはありません。匿名のコメントで申し訳ありませんが、これからも拝読させていただきます。お体に気をつけて。

TheManTheMan 2016/02/01 23:43 うわ! まさかこんなところにこんなに素敵なコメント頂けるとは……ありがとうございます! 頑張ります! 多分何の影響も与えられないと思いますが、それでも頑張ります!

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