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兵の地 - つわもの迷走記 - このページをアンテナに追加 RSSフィード

20160116Sat

[]「仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス「仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス」を含むブックマーク

多分面白くないし、観たら観たで絶対文句たらたらになるし、1800円払って良いことひとつもない映画なのに、不毛とわかりつつ、やはり観てしまう。こういうのがいるから、この手の映画は廃れないんだな。少しでも予想を裏切ってくれれば、と根拠のない思いを毎回抱いてはいるけれど……。

基本的に、「なぜ、その人がその言葉を発するのか」「なぜ、その人がその場所へ行くのか」という理屈が、全く成立していない。作ってる本人は省略話法のつもりかも知れないけど、「アイツを倒さなきゃ!」→どこかも明示されない現場、というのはただのサボリです。クライマックス、「10年前からこの場所だと分かっていた」とベルトさんは言うが、観客には一切わからない。敵に囲まれていたかと思ったら、しょーもないギャグが挟まれ、次のシーンではもう別の場所その危機的状況をどう乗り切ったのかが一切描かれない。挙句に敵の強さは「すごい強さだ!」とセリフでしか説明されない。いちいちツッコミ出したらキリがないほどに話運びが穴だらけ。

キャラクターの扱いも酷い。一年かけて育てあげたロイミュードたちのキャラクター全て無にした上で単なる雑魚格下げしかも、タイムスリップの影響でとかなんとか杜撰な設定改悪復活させてるのに、なぜかチェイスは元のまま。「バタフライ・エフェクトが起こったんです!」と知ったようなセリフを叩くが、誰の記憶も書き換わらないし、重大なタイムパラドックスも起きない、改変された記憶都合よくロックが掛かる。「電王」以下の杜撰さ。

この辺りで、「ああ、もう真面目に作る気ないんだな」ということが分かる。

先日、「クリード チャンプを継ぐ男」を観て大号泣したばかりなこともあって、本作で描かれる父子の受け継がれる魂のあまりの薄っぺらにうなだれるしかなかった。タイムスリップパラレルワールドという安易な設定を用いているせいで、色々なことがブレてしまっている。設定に齟齬がが起きているせいでテレビシリーズで培っているキャラクター性が全く活きていない(劇場版特別編で顔を合わせていることが無かったことになっている)。安易子供時代のタケルが出るせいで、タケル本人の父への思いがブレる。設定上は同一人物でも、映画上では別人だからだ。

その上、父が具体的にどう「尊敬すべき父であり、ゴーストハンターであったか」が描かれない。肝心の戦闘シーンはばっさりカットされているし(てっきり眼魔に成り代わられたのかと思ったら、本当に倒したことになっていて愕然)、言動に何かタケルの人生を決定づけるものがあったかと言えば何もない。あるとすれば都合よくワームホール開くぐらいで(そして誰も疑問を持たない)。何なら、タケルが決意するときに吐くセリフは進之介のものだし。

こんなものが、「クリード」と同じ劇場で同じ料金取ってるかと思うと泣けてくる。

話も酷ければ、アクションも酷い。「ウィザード」ぐらいまではカンフーマーシャルアーツパルクールなんかを取り入れて、なんとか新しいものを見せようという努力があったように思うけど、いつの間にかすっかり「殴って、よけて、防御して、殴る」という旧来のつまらない殺陣に戻ってしまった。「ニンニンジャー」の方がよっぽど頑張っている。強いて言えば、ゴーストがふわ〜っと飛ぶのが新しいのかも知れないが、それってフォーゼ二番煎じしかない。派手なことと言えば巻きつけて叩きつける最後フルCGの巨大な敵を倒してハイ、いっちょあがりってなもんである

恥を知れ、と言いたい。

結局、何も挑戦する気もなく、真面目に作る気もなく、キャラクターさえ揃ってれば見にくるヤツら自分含む)で興行収入が見込めて、スケジュールさえ埋まればなんでもいいや、というのが現在姿勢であることがよーくわかった一作でありました。

……ああ、不毛だ。こんなこと、毎回毎回書いている。じゃあ観なきゃいいのに、なぜか観てしまう。いや、「なぜか」というのは嘘だ。分かってる。ずっと幻影を追っているのだ。かつてこのシリーズに本当に面白くて、心動かされたことがあったから。でも、その姿勢もそろそろやめ時なのかも知れない。僕らの「好意」は、既にあちらには「ただの餌」と見なされているんだから

この前、本作の某プロデューサーが「フォース覚醒」を槍玉に挙げて「あの世代が作るものはこんな程度。期待しすぎ」などと揶揄していた。その面の皮が本当に羨ましい。

akizelakizel 2016/01/30 15:52 辛いお気持ちはたいへんよくわかります。しかし貴方のこの微に入り細を穿つ丁寧な指摘に私のもやもやが晴れ、また同じ特撮を長年愛してきた者として、そしてやたら過去作を横断し蹂躙し消化しないあの忌まわしい〈設定〉が立ち上がって以来の迷走・詐術の悲しみを共有する者として、貴方のこれらの嘆きのエントリーは私の慰めとなっています。いつか「子供だまし」ではない、本当の「子供向け」の、ちゃんとした特撮が帰ってくるときまで、なんとか書き長らえていただけたなら、こんなうれしいことはありません。匿名のコメントで申し訳ありませんが、これからも拝読させていただきます。お体に気をつけて。

TheManTheMan 2016/02/01 23:43 うわ! まさかこんなところにこんなに素敵なコメント頂けるとは……ありがとうございます! 頑張ります! 多分何の影響も与えられないと思いますが、それでも頑張ります!

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20160108Fri

[]「芸人キャノンボール」のおもしろさって。 「芸人キャノンボール」のおもしろさって。を含むブックマーク

元旦放送された「芸人キャノンボール」が大変おもしろくて、久々に色んな人の感想を見て回ったりしたのですが、絶賛する人もいれば、当然ながら「面白くない」「つまらない」「不快だ」みたいな感想に当たったりします

別に感想は個人のものだし、基本的にはそこに正しい間違っているだのは無いと思っております

……なので、以下に書くことも当然ながら個人の考えであります。という前置きをして言いたいのは、「芸人キャノンボール」の評価すべきポイントは、「おもしろさ」なのは勿論のこと、その「おもしろさ」が「時間の蓄積」と「感情演出」で彩られていたことです。大袈裟に言えばそれは映画的なおもしろであり、簡単に言えば「3時間見続けていないと機能しないおもしろ」という、おおよそ最近テレビバラエティの主流とは思えない構成を用いた点だと思うわけです。

例えば、最初のお題である「にらめっこの強い人」というお題での、通りすがり素人を片っ端から面白いかどうか」で判断するシークエンスを「不快だ」というのは理解できます。正直、僕も多少そう思った部分はあったから。だけど、3時間見終えるとこのシークエンスは全体の構成演出的には絶対必要シークエンスであることがわかります

何故なら、この最初シークエンスは、各チームの「ゲームに臨む姿勢」の説明であり、各チームの「性格」を如実に説明するのに必要だったのです。ロンブーチームは真剣自分たちの人脈で、おぎやはぎチームは漁夫の利狙いの上から目線、というような。劇映画でいうところの世界観説明に当たる部分。

それがどう機能していくか。1日での集中ロケのため、メンバーが中抜けしたりしていく。メンバーが中抜けしたチームは特性が変化する。最初シークエンスでの戦術が通用しなくなったりする。じゃあ次をどうするか? 愚直に今までの戦術を続ける者、策を弄する者……時間シークエンスが進むごとに登場人物が変化していく。それはつまりは時間を追って展開しているということです。その展開をするためには、物語の基本設定を理解する必要がある。そのために、最初シークエンスの(敢えて言えば)「不快さ」は必要ものであると言えます

この「展開」は、最初シークエンスから続けて観るからこその「展開」、もっと言えば「感情思考のうねり」であり、それぞれのシークエンスザッピングなどで単体で見てもそのおもしろさの3分の1も味わえないという作りなのです。過去現在未来時間の連なりの中で、そこにいる人間がどう変化していくか? それはまさしく物語なわけです。

それが如実に現れるのは、「とにかく辛いものを食べられる人」のシークエンス感想を見回ったときに「素人もの食ってるだけでつまらなかった」というのを見て「そーじゃないんだよ!」と思ったりしたのですが(個人感想につき、多少の傲慢はご容赦を)、このシークエンス醍醐味というのは、ここまでの時間の積み重ねの中で各チームの特性反転し始める点。見事なまでに起承転結の「転」になっているのですね。

通行人をある種(誤解を恐れずに言えば)下に見ながら選んできたチームが、その素人の意外な活躍に感動したり、卑怯を重ねてきたチームが最終的に圧力を使い始めてヒールとしての到達点を迎えたり。もちろん、勝負のものも(僕は)おもしろいのだけど、そこに更に各チームが自然と背負った物語、そして物語内でのキャラクタースパークしていく。

そこに「最後」という言葉が彼らに文字通り最後の鞭として投入される最後のお題。これまでの展開によって背負った各人の「物語」は、決戦の地に向かう車内トークという形で表現される。「勝ちたい」という気持ちが強くなる人。今まで通りの姿勢を貫く人。「終わり」を宣告されたことによって気を抜く人。

それぞれの、自分が背負わされた「物語」に向かう姿勢が、最後のお題「ガチ相撲」にそのまま結実していく。最後に勝ったのは、最後まで諦めなかった人たちだった。こうして書くとなんだか美しい。誰なんだ雷電とか言ってたけど。このシークエンス単体であれば、ただ単に相撲の結果しかないけど、これまでの展開の積み重ね、そして直前のトークを把握していると、不思議なことに同じ映像物語の結末へと姿を変えるのです。

繰り返しますが、これらはそれぞれを単独で見ても十全には楽しめないんです。3時間、全てのチームの動向を見守っていないと感じられない種類のおもしろさなのです。見ている方に「考えること」「想像すること」を要求しているんです。今、この人はどう考えているだろう? 何を思っているんだろう? ならば次はどう出るのだろう? 考え、想像することで世界が始めて開ける仕様不快を感じたからこそ訪れる快感。快感を感じたからこそ訪れる不快。高揚のあとの落胆。落胆のあとの高揚。変化と静止。「盛り上がりがなかった」と感じるならば、映画を途中入場じゃ楽しめないのと一緒で、大事な部分を見逃しているのです。

テレビなんだから金太郎飴のようにどこを見ても面白く、浴びてるだけで楽しめるべき」という意見はあろうかとは思いますが、別に僕も全てのテレビがこうであれ、なんてことは思いません。でも、こういうのがあってもいいと思うし、こういうものが楽しめる素地はあったっていいじゃない、と思うわけです。だって考え、想像してこそ人間であると思うし、それに挑戦してこその「表現」だと思うから

個人の感想としては、久々にテレビの前から離れられない感覚を味わったテレビ作品でした。来年もあればいいなぁ。

参考:CM前後の煽り、振り返り、過剰なテロップもない 『芸人キャノンボール』に見る視聴者第一主義(てれびのスキマ) - 個人 - Yahoo!ニュース

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20150922Tue

[]「仮面ライダードライブ」(終) 「仮面ライダードライブ」(終)を含むブックマーク

そりゃ確かに、ハートを始めとしたロイミュードたちの最期には胸は熱くなったし、ドラマとしても盛り上がったとは思います。

けども、その中心にいるべき主人公・泊進之介の特異性というか「彼だからこそ」の部分が、結局最終回まで説得力を持って描かれることはありませんでした。主人公の「魅力」を、周りの登場人物たちが「解説」してくれるのではなく、主人公の行動だけで観ている側に訴えかけるようなシーンが欲しかったです。

それはドラマ全体にも言えて、序盤〜中盤にかけての「刑事ドラマもどき)」が、イマイチ盛り上がりに欠けていたのは、どんな事件が起きても全て「泊の勘の良さ」(という名のご都合主義)で全てが解決してしまうから。ひどいとき視聴者に明らかにしていないことをヒントにしていたり、杜撰極まりなかったと、僕は思います。

キャラクター売りで最後はうまくまとめたと思いますけど、そういう「終わり良ければ全て良し」を言い訳にしないで、いい加減しっかりとドラマを作った「仮面ライダーを観たいと改めて思ったシリーズでした。まぁ、そういうニーズは相手にしていないのかも知れないけど。

[]「劇場版 仮面ライダードライブ サプライズフューチャー「劇場版 仮面ライダードライブ サプライズ・フューチャー」を含むブックマーク

春の「大戦映画を、ミッチーに騙されて観に行ってしまったら、事前の期待値の低さの更に下を行くゴミだったので、「単独映画は頑張ってくれよ……」と思っていたのですが、結局こちらもそれなりにひどい映画でした。残念。

とにかく、「未来」を便利に使いすぎ。「ディケイド」以来、「パラレルワールド」という反則技に対する免疫が下がりすぎているせいか知らんけど、それで何でもかんでも説明できると思いすぎ

制作者側からしたら、終盤の展開は「視聴者をうまく騙してやった!」とガッツポーズなのかも知れないけど、その「サプライズ」によって生じる様々な破綻カバー全て放棄しているのが大問題テレビシリーズにも通じるが、泊の「つながった!」で強引に解決するのやめてください

一番大きな問題は、息子が実在したという証拠が一切ないことだ。泊が「わかるんだ……」と言うだけ。なんじゃそりゃ。そもそも泊と息子は、実際には一度も会っていない。顔も知らず、声も知らない。「ロイミュードがコピーしているということは、元の人間がいるはずだから」というのを証拠にしているかも知れないが、あるロイミュードがコピーしていない人間を騙ることができるのは、テレビシリーズブレン証明している。

泊は息子の顔を知らないわけだから、「そいつ」が「息子です」と名乗れば、そうと思うしかない作りになっている。であれば、「どうやって信じるか?」「どうやって『違う』と分かるのか?」という部分にドラマが置かれるのかと思いきや、その辺は勝手自分解説してくれて、泊は便利な勘の良さで納得する。何が面白いの、それ?

で、最後最後、亡き息子が力を貸してくれる展開があるけど、そいつと会ったことなので何も感動がない。なんてたって、主人公どころか観客も本人を知らないんですよ。その状態で感動的な音楽と共に幻影で現れても、何にも心動きません。

泊の「便利な勘の良さ」に頼らずに、息子の存在説得力をもたせる方法は色々あったと思うけど、全て安易方法しか取っていないことに絶望ガジェットの使いどころはことごとく間違っている(魅力的に描けない)し、変身を多様しすぎて「ここ一番」での変身が活きないし、本当に面白く無い映画でした。

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