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Think_for_yourselfの日記

2012-04-03

【未活動家になった、そのキッカケ(前編)】

少なくとも、2回の経験がある。

1つ目の経験は、
私が、仕事のことで行き詰まった時のことだ。
仕事に行く途中、急に気分が悪くなり、職場が近づくに連れて、それが強くなっていくのだ。
「ダメだ…行けない」
通勤途中で職場に電話し、仕事を休んだ。
1回だけではなく、かなりの頻度で休んだ。
行かなきゃいけない。職場の方々に迷惑をかけてしまう…でも、どうしても足が前に出ない。
挙げ句の果てには休む…家の事情で帰ることも出来ず、そのまま退勤時間まで外で過ごした。
誰にも、心の内を話せなかった。
親や職場に言わせれば、明らかに「サボり」と言われると思ったからだ。
現に、親からは怒鳴られたものだ。
…何もサボりたくてサボっているわけではない。
胸が苦しくなることは、自分自身が身をもって体験したから。
しかし、誰も理解してくれない。この心をどうしたらいいんだろう。

誰かに話を聞いてもらいたい。

そんな時、組織の先輩幹部に勇気を出して話をした。
いつも、何かにつけて「指導を受けろ」「何かあってもなくても、相談をしろ」等、言われていたからだ。
でも、先輩にも何て言われるか分からない…だけど、このままではいたくない。
だから、勇気を出して相談してみた。
とりあえず、話を聞いてもらいたかっただけなんだ。

でも、先輩からは、
「負けるな!」
「あなたなら乗り越えられる!」
「大丈夫だから、心配していない」
等…怒濤の如く、激励の嵐が巻き起こった。
私の話など、ほんのちょっとしか聞いていないのに。
本心まで、さらけ出そうとする前からである。

人の話、悩みをまともに聞いてもらえない現実に、ショックを受けた。

周囲にいる外部の友人の方が、よっぽど親身になって話を聞いてくれた。
実は、その一人に、私の元・彼女がいる(笑)
どうしようもない現実に、思い切ってカウンセリングを勧めてくれた。
詳細は省くが、鬱病ではなかったので一安心だった。

名医と呼ばれる先生。
その方に、たくさんの話を聞いてもらえた。
「貴方は、周囲の期待に100%応えようよし過ぎている」
「貴方は、貴方自身で決めて、自分らしく人生を生きればいいんだよ。普通に考えれば、親たちは先に死ぬんだから」
「応えることに精一杯になり過ぎて、自分を見失わないように」
等、本当に心に染み入る、短い言葉をかけてくれた。

烈々と激励を貫くだけの、通り一遍の「指導」など、もはや時代遅れだと実感した。
今の時代、他人の話を、どこまで親身になって、じっくりと聞き受け止められるか。
幹部は、バカみたいに話す必要なんてない。「先生は、ね」「御書の一節には」等、出せばいい見たいな単純な頭の幹部は、悪いが組織を悪くする。
話を聞いてもらえる…それだけで、人は、安心するんだよ。

何とか組織に戻った私は、この時の体験を忘れないで、部員さんと対話を重ねた。
全く信心に否定的だった部員が、大人材に変わった時は、本当に嬉しかった。

これが、1つ目の体験である。

2012-03-28

【Twitterで… 】

ある方が、こんな風につぶやいていたので、参考までに引用させていただく。


『「下から上を動かせ」なんて、 ちゃんちゃらおかしい。
この囻 で、下の声で上が動いたなんて 話は聞いたためしがない。
上を あわてさせる(=動かす)に は、下が動くことをやめるしか 方法はない』


確かにそうだ。
現に、下から何か声を発すれば、幹部からは「面倒臭い奴」とのレッテルを貼られ、叩かれる対象となる。
最悪の場合は「先生、組織に弓を引く反逆者」との扱いになる。

純真(否、盲信)な幹部は、ひたすら、「報恩感謝」だの、「ご安心していただくため」だの、「異体同心の団結で」だの…いつもいつも、どの会合でも同じことを話している。
それに純粋に付いてくる人は、「人材」として扱われる。
ちょっとでも意見を挟もうものなら、「厄介者」として扱われる。

但し、成果を出せている場合は別だ。
成果のある人には、幹部はなにも言えない。「功労者」だからだ。

だが、大体、組織に対して意見を持っているのは、必死になって頑張っていても何も報われない人など。

「成果のない人」=「信心が中途半端」
だから、誰も何も聞かないのさ。意見を出せば、返り討ちにされる。
これが現実。

「何か言いたいなら、まず結果を出せ!折伏を決めろ」となる。
100人に仏法を語るより、1人に御本尊流布した方が、扱いは上なのだ。
師匠の言葉なんて、気休め程度の引用だ。

「語ったことが大事」「種は植えた。あとは、それが花咲くまで更に対話の水を」など…。
だが現実には、1世帯の御本尊流布には断じて敵わない。

「功労賞」等を選抜する場合なんて、その最たる例だ。

努力の末に、鬱病になる人もいる。
何のための組織なんだ?
今の創価学会は、自分らが他者に批判してきた言葉に成り下がっていないか?

宗教のための人間にはなるな!」
でも今の学会活動は、明らかにこれに当てはまるわ。
「人間のための宗教
なんて、現実には無理だな。だって、成果を出せないでも必死に努力している人間は、組織内では報われないからだ。

どんな批判的な奴でも、結果を出せば「人材」扱いでは、もはや限界があると思え。

2012-03-27

【手始めに…】

まぁ、分かる人には、一瞬でピンと来るだろう。
マンモス宗教団体」=「創価学会」である。


私は、生まれた時から入会している。
十代終わりまでは受け身で、自分から積極的に活動はしなかった。
ある出来事がキッカケで、いわゆる「師匠への報恩感謝の思いで」「折伏に積極的に挑戦」と、一気に活動家への道に入った。


《20代前半〜中盤期》
本格的に活動家になったのは、二十代始めの学生部からである。
最終役職は、総○学生部長。
この間、多くのことを学び、実践してきた。
池田大作氏の会合にも出席をした。又、任務にも着任した。
仕事が多忙で思うように(…いや、方面・中央幹部の思い通りに動かない)動けないこともあり、男子部に異動。


《20代後半期〜現在》
男子部では、派遣で地区リーダーからだった。
その一年後には、地区リーダー兼任の副部長に就任。
人材グループは、創価班。

仕事で行き詰まった時、心から信頼していた先輩幹部(部長・本部長・総○男子部長)に相談をしたが、一方的に「頑張れ!」「信心が試されているんだ!」「負けるな!」「お前なら大丈夫だ!」等の、私自身の話を心底から聞いてくれなかった幹部の姿勢に不信が生まれた。
以降、しばらくの間、未活動に。

仕事のことが解決し、少しずつ組織に復帰。
が、その間も、不信の根は絶ちきれず、何かにつけて幹部陣に対する動きに、苛立ち等が芽生えていた。
特に、創価班で運営委員をしている時。
当時の団長が、原稿も用意せず、中身の薄い指導を1時間以上もする。
個人指導なんぞ、もっと最悪で、団員の話「1割」・団長の話「9割」で、指導が終わった後の団員は、釈然としない顔をしているのが茶飯事。

奏功している内、諸般の事情で地元を出ることに。
新たな地域に着地したが、そこでの私に対する扱いは、さらに酷かった。
何も知らない地域で、部長の“どうぞ、自由にやってください”的な発想で、家庭訪問に全く付き合ってくれない。
何の情報もない為、何をしたらいいのか、何がダメなのか等も分からず。
部長からは殆ど連絡が来ない。
ようやく連絡が来たら、知らないところで他の地区リーダーや副部長と懇談して次の動きが決まっていることが多く、私は省き扱い。
私の提案や議案も、参考までに聞く程度で、結局、何も反映されない。

本部長は、もっと最悪だ。
ある手続上のことで、私が指摘をしたら“逆ギレ”されたのだ。
「俺は名簿も見て、やるべきことを全てやった」「むしろ、連絡をしてこない君が悪い!」「君が怒る意味が理解できない」等、話にならない。
いい加減、むかついたので、指導を受けて再度連絡を寄越せと言ったら、後日、謝罪の連絡が来た。普通に考えれば誰でも分かることだ。
いや、“とりあえず謝っておけばいいんじゃない?”的な指導を受けたのかも知れないな。
これについて地域の男子部長や書記長からは、一切連絡がない始末。
無責任極まりない態度に、一気に不信が爆発。


俺からは「悪いが連絡を寄越すな」「家庭訪問にも来るな」と言い放つ。
メーリングリストに入っているが、勿論、拒否!
個人メールも拒否!
未活動に入り現在に至る。


随時、詳細を書こうと思うが、これが私の簡単な経歴?だ(笑)

【前置き】

この日記を書き始めた理由は、今、私自身が思っていることを徒然なるままに書くことである。
誰からの否定も、批判も受けず、ただ有りの儘に、心の内を書くことである。

本題を書く前に、前置きしておきたいことがある。
1.これから書く内容は、とあるマンモス宗教団体についてである。
2.私自身は、生まれた時から入会をしている。
3.現在は、とある出来事がキッカケで活動をしていない。
4.ある書籍との出会いから、この宗教団体について疑問を持ち始めている。
5.これからの団体の未来を憂う存在である。
6.だからと言って、未活動の私を安易に批判をするような輩は、申し訳ないが訪問して頂きたくない。
7.私自身の日記に対する批判的なコメントに関しては、問答無用で「削除」「アクセス禁止」をさせていただく。
8.又、逆に理解不能、意味不明等のコメントについても同様の措置をする。

まぁ、こんなところですかね。

2012-03-02

【卒業の思い出】

今週のお題「卒業」

今週のお題は、「卒業」ということで。
僕の思い出を語らせていただきます。
卒業を語る前に、それ以前のことも話さなければならないので、長くなりますが…。


僕は、大学受験に失敗し、高校卒業後は予備校に通っていました。
もともと、大学よりも専門学校に行きたかったのですが、両親(特に、母親が)が大反対で。
仕方なしに、浪人して受験をすることになった。

予備校時代は、後にも先にも、これ以上の勉強をしたことがない!ってぐらい、漬けでしたね。
電車の移動時間も参考書や単語帳を読む。
予備校で貰った英単語の教科書なんか、ボロボロにするぐらいでした…八つ当たりの対象(笑)。

しかし、必死に努力した甲斐も空しく、受験には失敗しました。
2浪をして再度受験をするのか否か…。
両親と話し合いました。

僕は、受験勉強の最中。
通信制の大学があることに気が付きました。
働きながら勉強をする。
夏と秋には、スクーリングがあって、大学で勉強が出来る。
老若男女問わず、いろいろな人と切磋琢磨しながら勉強が出来る…楽しそうだな、と。
普通に4大に通うよりも、通信で勉強がしたい。
その思いを伝えました。


     人と違う道を生きること程、つらく苦しいことはない。

働きながら勉強をすることが、どれだけ大変なことか。
何の拘束もない生活で勉強をするためには、相当の信念というか、卒業を勝ち取る気持ちがないと無理だ。
様々と言われました。

が、僕の気持ちは、通信制の大学へ通いたいと決めていました。
もう1年間、悪夢の浪人生活を過ごすことは、本当に悩乱してしまう気がしてならないし。
だったら、自分の好きなように生活しながら、勉強も出来た方が、気持ちが楽だ、と…。

通信制の大学に入学
案の定、3年間は勉強なんて殆どしなかったですね。
仕事と趣味に没頭する毎日でした。
そんな僕の姿を見ていた母親には、よく怒られましたね。
「中途半端な気持ちだ!」とか、「そんなんじゃ、将来、生きていけない!」とか。
でも、父親だけは、何も言わないで、いつも通り接してくれました。
思えば、通信に行くと決めた時も、父親は反対しなかった。
「そうか。お前が決めたなら、そうすればいい」

4年目に突入した時。
さすがに、このままでは自分に甘すぎやしないか?と思った。
社会人としても失格になるんじゃないか?とか。


     自分で決めた道ならば、それを貫き通すことが、そのまま成長に繋がる。

必死になって猛勉強しました。
絶対に卒業すると硬く決意して…。

卒業が掛かった、最後の詰めの頃のこと。
父親がリストラされた。
これまで、僕がどんな生活をしていたって、何も言わないでいた父親。
母親は絶望的な気持ちに落ち込んだ…鬱病にもなってしまった。

兄と僕は、必死になって家計を支えたが、支払いがたくさんある生活だったから、給料が出ても、何も残らないような状況だった。
明日食う飯がない…どうするのか…。
僕は、バイト先から菓子パンを貰って、家に持って帰ったこともあった。

母親の言動には、いつも苦しまされた。
父親に怒り、中途半端な僕に怒り…。
唯一、安定していた兄だけが支えだっただろうな。

僕は、いつも喧嘩になっていたが、父親は何も反論しなかった。
黙々と再就職活動をしていた。
僕は、とにかく眼前の「卒業」を目指して勉強を重ねた。
父親も、その姿を見て、密かに応援してくれた。


     絶対に希望はある!諦めるな!

卒業が決まった。
この時ほど、心底から嬉しかったことはない。
誰よりも先、父親に卒業決定通知を見せた。
本当に、喜んでくれた。
勿論、母親も喜んでいたが、それよりも早く就職しろ!というのが本音だったろうね。

卒業決定通知。
これを見ながら、僕は一人、涙を流した。
それは、これまで、散々苦労をかけてしまった父親にだ。
好き勝手に生きさせてくれたこと。
リストラしても、僕のことを優しく見守ってくれていたこと。
父親のことを思うと、涙が止まらなかった。


     「ありがとう」

卒業式当日は、父親に同席してもらった。
正直、仕事をしていたら出席できなかっただろう。
これも運命だったのかもしれない。
卒業式式典は、盛大だった。
同席した父親は、男泣きをしていた。
父親に同席してもらえたことは、僕の最高の親孝行になった。

式典終了後、先に帰る父親が、僕に言ってくれた。


     「今日は、本当に良かったな。ありがとう」

2012-02-26

【最近、思うこと…】

以前にも書いたが。
僕の職場には、どう考えても有り得ない奴がいる。
ある意味、虐待であろう行為をするような奴である。

そんな人間がいても、“始末書”程度で終わらせる上層部がいる。
物品破壊や、喫煙所以外の場所で喫煙した際にも、同様の始末書である。
それと同レベルの片づけ方である…。
ちなみに、この始末書は、ボーナスの査定に響いてくる。
ぶっちゃけ、その程度の代物である。

人の生命と、物品破壊やマナー違反。
これは、イコールになるのか…?
普通なら、月々の給料を減俸するとか、夜勤に着かせないとか、厳罰措置は必要であろう。
それをしない上層部は、何を恐れているのか。
パワハラだ!」と訴えられるのが恐いのか?
だとしたら、はっきり言って、やりたい放題である。

真面目に働いていても、こんな奴と同じ程度の給料しか貰えない現実がある…。


……さて。
このバカ野郎だが。
最近、また夜勤をやっていた。
始末書を書くぐらい注意を受けたのなら、“普通”なら、日頃の業務に対する姿勢を改めて、真面目にこなすはずである。
他の職員のフォローをしたりと、周囲に迷惑をかけたことを気にして、きっちり反省をして、更なる向上を目指すのが、本来の姿勢ではないだろうか。
それが、だ。
まだまだ寒い朝晩。
お年寄りに対して、冷たいお茶を提供していたそうだ。
ある方からクレームが入ってきた。
真面目になんてやってないんだよ。
反省なんて、してないんだよ。

ご年輩の方に、朝っぱらから、冷たいお茶を出すか?
“普通”じゃ考えられないだろう!

いつか、大きな事故に繋がる予感がする。
その前に、断固とした措置を取らないと…しっぺ返しを食らう気がする。