妙教寺・・・戊辰戦争 伏見の戦い時の犠牲寺

 

歴史

 『大圓山妙教寺は、宝泉院日孝を開山とし、大阪の富豪であった法華又左衛門貞清が開創。  寛永年間に、当時の淀城主松平定綱が寺地を寄進し、寺域を整備した[1]。鳥羽・伏見の  戦いで被災し、境内に戦死した幕兵の碑がある』



平成30年春季京都非公開文化財
                    特別公開



法華宗真門流の寺院で 旧淀城あとにある小さなお寺であるが 伏見の戦いの時旧幕府


方より打ち込まれた4㌔ある砲弾が本堂の壁を突き破った跡と約5m先の柱をも突き抜け


た跡が今も保存されている 不発弾だったため現存しているとのことだが 修理の際住職


が後世に残すべきと考えたようだ ただ今までにいちども公開されていなかったようだが


今回行ってみたが中々なもんだった やっぱり戦争はいけんねぇ 4㌔もある砲弾が飛び


交い爆発すれば火の海だつたろうに いつの世も悲惨な目に合うのは一般市民だ 鍋の蓋


を被り右往左往だつたそうだ ホンマニカワイソウ\(◎o◎)/!