|
|||||||
一級フラグ建築士のプロク (。ω ゜) .。oO(いちにちまい/そうぐうまい
はてなダイアリー市民観覧した映画についての感想を書くためのブログから始まり、自身がGM・PLとして参加したセッションについて記録するためにも用いられている(最近はGMではなくDMオンリーだが)。
腹に溜まった澱を分解する気がないので、たまに[秘術]撃破役の如く、味方に被害が及ぼうとなんだろうと吐き出す場としても使っている(そして叱られる (つω;`)
( ´・ω・).。oO(カウンターがガンガン上がってる…。みんなヒマだね。。。
エース・マスター鯛足烏賊(アドラー心理学では安楽型/なまけもの) ★53△10
サンスクリット語における“異教徒/異端者”の意。英語読みでタイアーシーカ。音写して鯛足烏賊(鍵山による)。
基本属性は[混沌にして善]であるが、状況に応じて[秩序にして悪]となる。総体としては[混沌にして中立]、別名[真なる混沌]。善悪の判断基準以外、興味本位で活動することが知られている。しかし[混沌]属性であるということは何時如何様にも[善/悪]にも成り得る。また[真なる混沌]とはすなわち自由人であり、しがらみのない人間であるとも言う。真なる自由とは孤独の内にこそある。
老害は死なず、ただ消え去るのみ…
私は今世紀に入ってからD&DというRPGをプレイしている。
最近それが3版から4版に版上げした。
ユーザーというものは、所詮企業の販売した製品を利用しているだけの存在であり、このような変化の時期にあっては打てる手は少ない。
新製品を買うか、控えるか、あるいは手を引くかのいずれかが選択肢だろう。
買い続ける分には問題ないだろう。少々資産は必要だが、新しい製品が次々と与えられるわけであり、新たな環境を拡充して行く事が出来る。
控えるのも悪くないアイデアだ。ことにD&Dは原書/邦訳ともに充実しているゲームだ。現行の製品だけでもまだまだゲームを続けることは可能だ。RPGというものは“シナリオ”という筋書きを(語弊あるが)攻略するものだ。シナリオがある限り、ゲームはほぼ無限に続けることが出来る。
いつかは飽きるだろうが、“要らない子”という選択肢は常にあるしね(^ω^)
手を引くものもいる。それはそれでしょうがない。RPGを生きる糧にしているのでない限りこれは趣味だ。全国的な広がりはないでもないが、これ自体をメシの種にするのは難しいだろう。パイが小さすぎる。
手を引き、新たな趣味を見出すというのも人生の選択肢としてはありだろう。
だがしかし、このような版上げの時期には必ず現れるが、旧版と新版を比較してあれこれと文句をたれる者がいる。
そういう人に私は言いたい。
やめとけ。比べるな。これらは別ゲームだ。
文句があるなら手を触れるな。3.5eを続けろ。プレイしてないシナリオは無尽蔵にある。それを求めろ。
それにPathfinderもある。夏まで待て。
また、現在3.5版を続けているものは、2版→3版への版上げ時にも似たようなことがあったことを覚えているものはいるだろう。
当時、(AD&D)2版をプレイしていたものは、3版に対して『あんなものはD&Dではない』と呪いの言葉を吐いて去っていったではないか。
また、3版(d20 OGL)は破格の超展開を見せたが、3版→3.5版へのマイナー・チェンジ時には、(RPGとしては)全世界的に呪いの言葉が吐かれた。
また同じ事を繰り返すの? 前は言われる立場だったと思うけど、そん時なんとも思わなかったの?
ああいう懐古主義的な発言は醜いでしょ。それをかつて言われた人が、また言い継ぐ意味ってあるの?
「他人の振り見て我が振り直す」って言葉、思い返したら?
またD&Dに深く関わり、他人に啓蒙する立場の人にも言いたい。
新版への文句は控えたら? 言論の自由とやらはあるんだろうけど、あなたの言葉には非常に重みがあるんだよ。
いままで何人をゲームに誘った? あなたの言葉には今まで誘った人数に等しいだけの人間を離脱させるだけの重みがあるんだよ。それを理解して発言しなさい。
「ペンは剣よりも強し」という言葉がある。その意味を良く考えて発言したら?
といった感じで、友人になりかけの人、友人になれたかもしれない人を敵に廻しつつプロフィールを締めるのであった。
(20090128)