グリーン触媒と分子ふるい〜水野哲孝研究室〜

 当GCOEの推進者の一人、水野哲孝教授の論文が、権威ある化学誌「Angewandte Chemie International Edition」に掲載されました(Angew. Chem. Int. Ed. Early View DOI: 10.1002/anie.200902681)。ここでは今回の論文と合わせ、水野教授の研究を簡単に紹介したいと思います。


水野教授

 ・ポリオキソメタレートって何?
 ポリオキソメタレート(以下POM)という化合物群があります。「poly」は「多数の」、「oxo」は「酸素」、「metal」は「金属」を意味しますので、要するに多数の酸素と金属が結合した化合物のことです。もう少し学問的に言えば、金属を中心としたオキソ酸(M(=O)m(OH)の構造を持つ)が脱水縮合したもの、ということになります。

 酸化度の高い金属には多数の酸素原子が結合し、正四面体型や正八面体型の対称性の高いオキソ酸を作ります。これらが脱水縮合すると、酸素原子を橋渡しにして多数の多面体がつながったような複雑な構造を与えます。これがPOMで、驚くほど美しい構造を持つものが少なくありません。また形状・中心金属・酸素以外の配位子の導入などによって様々な性質を引き出すことができ、極めて独特かつ奥の深い研究領域となっています。


オキソ酸の基本単位(MO6)となる構造。右は正八面体で図示したもの。

 研究者になじみ深い物質では、TLCの発色試薬として用いるリンモリブデン酸があります。これは、中心部分のリン酸を12個のモリブデンが取り囲み、その間を酸素原子が橋渡しした構造です。有機化合物と一緒に加熱すると、リンモリブデン酸が還元を受けて色が変わり、化合物の存在が検出できるというしくみです。


リンモリブデン酸の構造。中央の橙色がリン、緑がモリブデン、赤が酸素。通常の構造式と多面体表示で示す。

TLC(薄層クロマトグラフィ)。リンモリブデン酸溶液に浸して焼くと、化合物のあるところだけが青く変色する。

 ・POM触媒の世界
 この例でわかるように、POM中の金属の多くは酸化度が高いため、他の化合物を酸化する能力を持ちます。また強い酸性を示すものもあり、一般に熱などにも安定ですから、これらは触媒としてぴったりの性質といえます。
 水野研究室では、このPOMの構造を精密に制御し、優れた触媒を創製する研究を行っています。例えばケイ素とタングステンから成るPOMの一部だけを酸化触媒として働きうる鉄に置き換え、エポキシ化反応の触媒を創り出しています(下図の水色が鉄部分)。こうしたFe-O-Feというユニット(二核錯体)は天然の酵素には存在していますが、人工の触媒に組み込んでいる例はほとんどありません。2つの金属原子の協働は、思いもかけぬほどの効果をもたらします。
たとえばこの触媒は分子状酸素を活性化し、単純なオレフィンを酸化することができます。危険・高価な酸化剤を使わず、応用範囲の広い官能基であるエポキシドを合成でき、繰り返し使用も可能であるため、非常に有用な触媒です(Angew. Chem. Int. Ed. 2001, 40, 3639)。


エポキシ化触媒SiW10[Fe3(OH2)]2O386-。紫の正八面体はWO6、水色はFeO6構造を表す。


 POM触媒は独特の反応性を持ち、通常の化合物では実現できないような反応を可能とします。また極めて安定であるため反応に用いても壊れにくく、回収して再使用できるので、廃棄物やコストを削減でき、環境への負担が少ない「グリーンな」触媒であるといえます。

 ・「分子ふるい」としてのPOM
 POMは、さらに複雑な網目状のネットワークを組むことができます。今回の研究では、クロムを基本としたPOMと、タングステンをベースとしたPOMを組み合わせ、図のような構造を持った結晶を作成しました。これを何に使うかといえば、この網目を「分子のふるい」として利用しよう、というのです。


網目状POM結晶

 こちらが結晶の現物の写真。

 この網目は、完全に一定のサイズの隙間を持ち、堅く形の決まった繰り返し構造です。このため一定のサイズの分子しか通り抜けられず、例えば水・エタン・エタノール・プロパンなどは網目をすり抜けられますが、ブタン・1,2-ジクロロプロパンなどは通過できません。つまりこの結晶は、分子をサイズ別により分ける「ふるい」として働くわけです。
 これまでにもこうした「分子ふるい」はいくつか知られてはいますが、この結晶の識別能力は際だって高く、小分子を極めて切れ味よく分離することが可能です。


青:炭素、緑:酸素、赤:塩素、白:水素

 こうした研究は、例えば有害物質の分離などに使える可能性があります。また網の目の隙間を変えてやれば、例えばバイオエタノールの製造の際に、水からエタノールだけを分離する方法などに応用できる可能性もあります。蒸留などによる物質の分離は時として精度が悪く、加熱などに大きなエネルギーを要しますが、水野教授の方法はこうした問題の少ないグリーンな分離手段になりえます。
 
こうした環境に配慮した化学合成の方法(グリーンケミストリー)は、これからますます重要度を増してくる技術と考えられます。POMは環境問題を乗り越える手段として、極めて大きな可能性を秘めた化合物群であるといえそうです。

 ・水野研探訪
 ということで、水野研に潜入させていただきました。水野研は工学部5号館、5階と地下に実験室を持っています。


今回の研究を行った内田さやか助教

 通常の化学の実験室にあるような器具の他、X線結晶解析装置、今回の研究で測定に用いたガスクロマトなど様々なものがありますが、かなり自分たちで改良しているものがあるそうです。このあたりさすが工学部。

かなりの部分を自作しています。

 水野研究室からはさらに多くの興味深い論文が次々と送り出されています。有機と無機の両面に強みを持つ研究室ならではの展開といえるでしょう。今後の論文がさらに期待されます。