遺伝子の暗号を改造する 〜菅研究室〜

 昨年4月より、当グローバルCOEは新しい推進者を迎えています。理学系研究科化学専攻に東大先端科学技術センターより移籍された、菅裕明(すが ひろあき)教授です。この春より研究室全体が本郷に転居し、本格的に始動することになっています。
 菅教授の専門分野はケミカルバイオロジー、すなわち有機化学などの手法を武器として生物学へ切り込んでゆくという、比較的新興の分野です。特に最近力を入れているのが、生命の持つ物質合成システムを「進化」させ、天然には存在しない高機能物質を新しく作らせてしまうという、ちょっと驚くような技術です。多くの分野に大きな影響を与えそうな手法ですが、一体どうすればそのようなことが可能になるのか、お話を伺いました。


菅 裕明教授

 ・新たなタンパク質を創る
 生命のシステムを支えている物質がタンパク質(ペプチド)であることは、今さらいうまでもないと思います。タンパク質は基本的に20種類のアミノ酸が一列につながっただけの分子で、構成そのものは極めて単純です。しかし水素結合や疎水結合で様々に周囲の分子と「コミュニケーション」することができ、生命現象という複雑なシステムを担うに足る能力を、本質的に持っているといえます。
 この20種のアミノ酸に代えて、人工的に別種のアミノ酸を組み込むことができれば、さらにいろいろな機能を持たせることが可能になるはずです。化学的手法でこうした特殊なポリペプチドを合成することは一応可能ですが、数十アミノ酸をつなぐだけでもコストと手間がかかりすぎ、数百ともなるとお手上げになってしまいます。機能を持った物質を探索するには、多数の化合物を効率よく作り出す技術が不可欠ですが、現在の化学合成の手法ではそれに十分応えきれません。


53アミノ酸から成るインスリン。この程度でも人工合成では非常に難しい。

 一方で生命は、DNAにコードされた情報を元に、多様なタンパク質を易々と合成してのけます。このシステムを借りて一部を改変し、天然にはないアミノ酸を持ったタンパク質を組み上げることができればベストでしょう。もちろんこれは単純なことではなく、いくつかのグループがこれを部分的に実現していたに過ぎません。しかし菅研究室では極めて適用範囲が広く、オリジナリティの高い手法を編み出しています。

 タンパク質を構成している20種類のアミノ酸は、DNAの核酸塩基の3つ組み(コドン)によってコードされています。この並びがまずmRNAに転写され、これを鋳型としてリボソームアミノ酸をつなぎ合わせ、タンパク質を合成する――というのが有名な「セントラルドグマ」の流れです。この時、正しいアミノ酸を運んでくるのがtRNAですので、これをうまく作り替えてやれば好きなアミノ酸を持ち込めることになるはずです。


タンパク質合成のイメージ(Wikipediaより)

 と言うのは簡単でも、RNAを作り替えて好きな機能を持たせるなどということができるのか?「進化分子工学」という手法によって、これは可能になります。通常のtRNAに「余分」のランダム配列RNA鎖を取り付け、望みの機能に近いものを選び出します。その構造をさらに変化させたものをたくさん作り、優れたものを選び……という過程を繰り返すことにより、好きなアミノ酸を連結させる機能を持ったtRNAを、人工的に「進化」させて作り出すことができるのです。
 さらに菅教授のグループでは、ちょっと一工夫でtRNAを「だます」ことにより、広い範囲のアミノ酸に対応できる人工RNAの創出に成功しました(詳しくは、こちらの村上裕博士による解説をご覧下さい。PDFファイル、14ページより)。これは「フレキシブルに多くのアミノ酸を連結できる人工RNA酵素(リボザイム)」という意味を込め、「フレキシザイム」と名付けられています。これにより、今までより遥かに多様なポリペプチドを、自在に創り出せる基礎が固まったといえます(論文)。


フレキシザイムとtRNA

 ・ペプチド創薬
 これだけでも凄いことですが、菅研究室ではさらにこのフレキシザイム技術を足場に、新たなジャンルの医薬創出技法を編み出すという試みに取り組んでいます。

 前述したように、アミノ酸が連結してできたペプチドは、体内で様々な機能を持って多様な活躍をしています。病気に関連する体の機能をうまく操るペプチドを創り出せれば、それは新たな医薬の候補になりえます。例えば血圧を上げるホルモンに結合してその働きを抑えるペプチドは、高血圧治療に使える可能性があります。
 ただしペプチドは、医薬としては大きな宿命的弱点を抱えています。口から飲み込んで摂取すると、肉や卵のタンパク質同様に消化管で分解されてしまい、生理活性を持った形で患部に届かないのです。

 しかし、経口摂取薬として実際に用いられているペプチド化合物もあります。代表的なのはシクロスポリンで、大きな環になった構造をとる上、D-アミノ酸・N-メチルアミノ酸・異常アミノ酸などを多数含みます。この構造は、医薬品として重要なメリットがあります。
人体が持っている消化酵素は通常のアミノ酸が直線的に並んだタンパク質を見つけて切断するようにできていますから、シクロスポリンのような特殊な構造はここにフィットしにくく、消化管での分解を受けにくい傾向があります。また環になって形が決まることで、標的タンパク質に強く結合しやすくなること、細胞膜を透過して患部に届きやすくなることなども期待できます。つまりシクロスポリンの構造は、ペプチド医薬の優れたモデルとなります。こうした構造を人工的に多数作り出し、その中から強力な作用を持つものを選び出すのは、医薬品の候補化合物創成の近道と考えられるのです。


シクロスポリン。青字はN-メチルアミノ酸のメチル基、黄緑枠内はD-アミノ酸

 菅研究室では、この大環状ペプチドを多数、効率的に造り出す手法を編み出しました。先述したように、フレキシザイムは様々なアミノ酸及びそれ以外のカルボン酸類を連結することができます。これを利用し、メルカプト基(-SH)を持ったシステインと、メルカプト基と結合しやすいユニットを持ったカルボン酸(N-クロロアセチルフェニルアラニン)を組み込んでやるのです。合成の途中で両者は自然に反応し、環状になったペプチドがきれいに得られてきます。これにより、様々な操作手法が確立されたDNAから、医薬候補品となりうる環状ペプチドまでを一気通貫で作り上げる態勢が構築できたことになります。

また先に述べた「進化」に似た方法で、活性の高い化合物を創り出す手法も確立しています。ひとつひとつ化学者が手作業で化合物を合成していく現状の手法より、遥かにシステマティックなやり方といえます。この手法は「Random Peptide Integrated Discovery」の頭文字を取り、「RaPID」システムという、まさに「名は体を表す」ネーミングがなされています。これにより、理論上1013ものバリエーションの中から最適な化合物を選択することが可能ということですから、驚く他はありません。


ペプチド環化のイメージ図。一つ一つの丸は各種アミノ酸を表す。

 ・大学発の創薬技術
 このRaPIDシステムによる新薬創出は、単なる可能性や遠い将来の夢物語ではありません。菅教授は自ら設立に参画したベンチャー企業ペプチドリーム」でこのシステムによる化合物探索を進め、内外の製薬企業との共同研究を行っています。抗ウイルス剤など、いくつかの分野で有望な化合物がすでに見つかっており、日本発、大学発のオリジナル技術による医薬創出が、十分視野に入るところまで来ています。
 菅研究室の研究は、最先端を走っていながら浮世離れしたものでなく、直接に人を救いうる医薬を生み出そうとしているところに大きな特徴があります。さらにベンチャー企業を自ら運営し、新たな産業までを創造しようとしているわけで、理学部にも新しい時代が来ていることを感じずにいられません。

 研究室のみなさんにも話を伺いましたが、非常に風通しがよく、新しいものが生まれそうな雰囲気に満ちていると感じました。どのような成果がここから生まれてくるか、今後大いに期待したいと思います。



※特殊ペプチド創薬に関しては、次の日本語レビューが出ています。
「擬天然物特殊ペプチドのプログラム翻訳合成と応用」菅裕明・樋口岳
有機合成化学協会誌 vol.68 No.3 217-227(2010)

「特殊ペプチドの翻訳合成から天然物化学、創薬へ」 鳥飼浩平・菅裕明
ファルマシア Vol.45 No.2(2009)