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この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ

森見登美彦日誌RSS

2018年04月17日

[] 今日マチ子さんの10周年


 

センネン画報 +10 years

センネン画報 +10 years


 今日マチ子さんが10周年を迎えたそうである。

 じつは森見登美彦氏はデビュー作の帯にコメントを書いた。

 新刊の特設ページにも言葉を寄せた。

 http://www.ohtabooks.com/sp/sennen/


 一足先に10周年(実質3年間の)を通過した人間として、

 働き者にちがいない今日マチ子さんのことを心配し、

 「ほどよく怠けましょう」

 と書いたものの、

 もちろん登美彦氏ほど怠ける必要はないのである。

 「なんだか全方位的にゴメンナサイ」

 あいかわらず登美彦氏は暗礁に乗り上げてヲリマス。

2018年04月04日

[] 日本ファンタジーノベル大賞太陽の塔


 

隣のずこずこ

隣のずこずこ


 日本ファンタジーノベル大賞が復活した。

 その記念すべき最初の受賞作がこちらである。

 「火炎を噴く巨大な信楽焼きの狸を連れた女性が山奥の町を滅ぼしにやってくる」という冒頭はワケのわからないものであり、登美彦氏は選考委員として応募原稿を読み始めたとき「これは本当に面白くなるのだろうか?」と不安に思ったのであるが、読み進めるうちにそんな不安は生駒山の彼方へ飛んでいった。

 ワケのわからぬ話がワケのわからぬままにリアルに感じられてきて、読み終えたあとは切ないような哀しいような不気味なような、なんともいえない気持ちになってしまう。選考委員全員一致で決まった受賞作である。どうか読んでいただきたい。

 そして日本ファンタジーノベル大賞を今後もよろしく。

 「今年も作品をお待ちしております」


 日本ファンタジーノベル大賞2018

 http://www.shinchosha.co.jp/prizes/fantasy/


 


 あの岡本太郎の「太陽の塔」についての大百科。インタビューや写真、製作過程など盛りだくさんの内容である。森見登美彦氏のエッセイ「太陽の塔は『宇宙遺産』」が再録されている。

 太陽の塔が地上へ降り立ってから約半世紀。

 内部公開の一般予約も始まったようである。

 http://taiyounotou-expo70.jp/


 ついでに。

 太陽の塔が「なんとなく好きだ」という理由だけで、勝手に京都へ持ってきた登美彦氏の第十五回日本ファンタジーノベル大賞受賞作も読んでいただければ幸い(京都太陽の塔はありません)。

 

 

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

 

2018年03月03日

[] 「ペンギン・ハイウェイ」劇場アニメになる

 

 ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)


 公式サイト http://penguin-highway.com/


 森見登美彦氏の『ペンギン・ハイウェイ』が劇場アニメになる。

 この小説が刊行されたのは2010年のことで、気がつけばもう八年前である。『ペンギン・ハイウェイ』を書いたとき登美彦氏は三〇代になったばかりだったというのに、すでに不惑が迫っている。「四畳半神話大系」「有頂天家族」「夜は短し歩けよ乙女」に続いて四作品目のアニメ化ということで、それはもうたいへんありがたいことである。振り返れば迷走だらけであった三十代、これら初期作品の映像化によって登美彦氏は支えられてきた。

 2010年はちょうどアニメ四畳半神話大系」が放送された年だった。偏屈四畳半的世界が意外に注目されているという絶好のタイミングに、わざわざ『ペンギン・ハイウェイ』という毛色のちがう作品を出版して世の戸惑いを招いたことは、登美彦氏の経営的才覚のなさを示す。しかしその『ペンギン・ハイウェイ』が八年も経ってから映画になるのだから不思議と帳尻が合っている。ということは、登美彦氏はあんがい「デキる男」かもしれないのである。

 ともあれ、この映画化をきっかけにして『ペンギン・ハイウェイ』が新たな読者を獲得することを登美彦氏は祈っている。


 石田祐康監督とは二年前の春、ヨーロッパ企画の「ヨーロッパハウス」で初めて顔合わせをした。先日三月一日の記者会見で石田監督と久しぶりに会ったら、なんだかもう別人のように顔が変わっていた。丸い顔が長い顔になっていた。しかも髭モジャであった。

 「知らない間に監督が入れ替わった?」

 登美彦氏は一瞬疑った。しかしすぐに理解した。

 この二年間というもの、石田監督は雨の日も風の日も映画「ペンギン・ハイウェイ」実現のために苦闘してきた。ごつごつの岩が荒波に揉まれてすべすべの石になるように、二年間の苦闘が石田監督の顔を削りとってしまったのであろう。それはあたかも厳しい修行の旅から戻ってきた旧友と再会したような驚きだった。「丸い顔が長い顔になるほどの」努力を重ねて、監督は「ペンギン・ハイウェイ」に挑んでいるわけである。

 たいへんありがたく思いながらも、「どうかお身体を大事にしてください」と登美彦氏は監督に繰り返し伝えた。

 映画の完成まではまだ厳しい道のりが続くのだろう。


 記者会見が終わったあと。

 「大丈夫かなあ。無事に完成するかなあ」

 登美彦氏は有楽町を歩きながら言った。

 かたわらの編集者は微妙な顔つきをした。

 つまりそれは「あなたにはもっと危ぶむべきことがあるでしょう!」ということである。たしかに登美彦氏には他人の作品の完成を危ぶむ資格はない。『夜行』が出版されてからずいぶん経つ。その間、テレビアニメ有頂天家族2」や劇場アニメ夜は短し歩けよ乙女」、その他のイベントやエッセイ集『太陽と乙女』の出版によって、「なんとなく活躍している」ように見せかけて世間を欺いてきたが、小説家というものは新作を書かねばしょうがないものである。しかし石田監督のごとく「丸い顔が長い顔になるほどの」努力をしたら登美彦氏はおそらく成仏する。だから成仏しない程度の足取りで、次作『熱帯』完成へと通じる最後の坂を登っている。

 「あとちょっとなんですよ」

 登美彦氏は言い訳するように呟いた。

 『熱帯』の世界から生還したいと願っているのは、誰よりも登美彦氏本人である。 

2017年11月23日

[] エッセイ集『太陽と乙女』発売されました。


 太陽と乙女


 新刊『太陽と乙女』が書店にならび始めた。

 夜眠る前にでも、ぽつぽつ読んでいただければ幸い。

 以下はこの本の「まえがき」である。


 ひとつ考えてみていただきたい。

 眠る前に読むのはどんな本がふさわしいだろうか。

 たとえば「ムツカシイ哲学書を読めば眠くなる」という意見がある。しかしこれを毎晩の習慣にするのはどう考えても無理がある。たとえばアンリベルクソンの『意識に直接与えられているものについての試論』がここにあるとして、こんなものは脳天が五月の青空のごとくクリアな千載一遇の好機を掴み、机に向かって修行僧のように読まなければ一頁たりとも理解できない。そんな凄まじい本を毎晩寝る前に読むのは苦行以外のなにものでもなく、すぐに放りだすのは明らかである。

 それならば面白い小説はどうだろう。しかしこれは誰にでも経験があると思うが、ひとたび面白い小説を読みだしたら中断するのが難しい。推理小説などは特にそうである。明日は早く起きなければならないのに犯人が気になって止められず、それなのに夜更かしの背徳感がいよいよ読書の楽しさに拍車をかけるから、もう止められない止まらない。

 それなら面白くない小説ならいいのかといえば、そんな本を読むのはやっぱり苦痛だから、先ほどの哲学書と同じ結論になる。

 そういうふうに考えていくと、これは意外に厄介な問題なのだ。

 私が枕元に置く本は長い歳月の間に移り変わってきた。高校生ぐらいの頃は星新一のエッセイ集『進化した猿たち』の文庫本全三巻が長く君臨していた。ここ数年の例を挙げるなら、岡本綺堂『半七捕物帳』やコナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』、柴田宵曲編『奇談異聞辞典』、薄田泣菫『茶話』、吉田健一『私の食物誌』、興津要編『古典落語』……。しかし心にピッタリ合う本が思いつかない場合、寝床へ行く前に本棚の前でシロクマみたいにうろうろする。

 「眠る前に読むべき本」

 そんな本を一度作ってみたいとつねづね思ってきた。

 哲学書のように難しすぎず、小説のようにワクワクしない。面白くないわけではないが、読むのが止められないほど面白いわけでもない。実益のあることは書いていないが、読むのがムナしくなるほど無益でもない。とはいえ毒にも薬にもならないことだけは間違いない。どこから読んでもよいし、読みたいものだけ読めばいい。長いもの、短いもの、濃いもの、薄いもの、ふざけたもの、それなりにマジメなもの、いろいろな文章がならんでいて、そのファジーな揺らぎは南洋の島の浜辺に寄せては返す波のごとく、やがて読者をやすらかな眠りの国へと誘うであろう。

 あなたがいま手に取っているのはそういう本である。


2017年11月17日

[] サイン会的なもののお知らせ


 

太陽と乙女

太陽と乙女


 11月22日、エッセイ集『太陽と乙女』が刊行される。

 それにあわせて森見登美彦氏のサイン会的なものが開かれるという。詳細については下記をご参照ください。

 

 三省堂書店

 http://ikebukuro.books-sanseido.co.jp/events/2886


 大垣書店

 http://www.books-ogaki.co.jp/