山田済斉編 「西郷南州遺訓−附・手抄言志録及遺文」

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)

  • 昔から興味があってネットで拾い読みなどしていたところ、深く刺さるフレーズもあり、手元に置いておきたくなり購入。
  • 東北戦争後の寛大な処置に感謝した旧出羽庄内藩の関係者が鹿児島を訪問し、西郷隆盛から聞いた話をまとめたものが「遺訓」。いわば本編。
  • 「孤島の南州」「南洲翁謫所逸話」という2冊の本と編者・山田済斎が聞いた話をまとめたのが「遺教」。鹿児島県人竹下鶴外編纂の西郷隆盛詩集から抜粋したのが「遺篇」。西郷隆盛の手紙を抄写したのが「遺牘」。編者・山田済斎の聞いたエピソードをまとめたのが「逸話」。
  • メモ
    • 人材を採用するに、君子小人の弁酷に過ぐる時は却て害を引き起すもの也。其の故は、開闢以来世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、其の長所を取り之れを小職に用ゐ、其の材芸を尽さしむる也。
    • 道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己れに克つの極功は「毋意毋必毋固毋我」と云へり。総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。
    • 人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。
    • 己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐り驕謾の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。
    • 過ちを改むるに、自ら過つたとさへ思ひ付かば、夫れにて善し、其の事をば棄て顧みず、直に一歩踏み出す可し。過を悔しく思ひ、取り繕はんとて心配するは、譬へば茶碗を割り、其の欠けを集め合せ見るも同にて、詮もなきこと也。
    • 道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有るより、自然心を動す人も有れども、人は道を行ふものゆゑ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只管ら道を行ひ道を楽み、若し艱難に逢ふて之れを凌がんとならば、弥弥道を行ひ道を楽む可し。
    • 道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。司馬温公は閨中にて語りし言も、人に対して言ふべからざる事無しと申されたり。独を慎むの学推て知る可し。人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の事なり、戒む可し。
    • 聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、迚も企て及ばぬと云ふ様なる心ならば、戦に臨みて逃るより猶ほ卑怯なり。
    • 世人の唱ふる機会とは、多くは僥倖の仕当てたるを言ふ。真の機会は、理を尽して行ひ、勢を審かにして動くと云ふに在り。平日国天下を憂ふる誠心厚からずして、只時のはづみに乗じて成し得たる事業は、決して永続せぬものぞ。
    • 身を修し己れを正して、君子の体を具ふるとも、処分の出来ぬ人ならば、木偶人も同然なり。
    • 事に当り思慮の乏しきを憂ふること勿れ。凡そ思慮は平生黙坐靜思の際に於てすべし。有事の時に至り、十に八九は履行せらるるものなり。事に当り卒爾に思慮することは、譬へば臥床夢寐の中、奇策妙案を得るが如きも、明朝起床の時に至れば、無用の妄想に類すること多し。
    • 猶豫狐疑は第一毒病にて、害をなす事甚多し、何ぞ憂國志情の厚薄に關からんや。義を以て事を斷ずれば、其宜にかなふべし、何ぞ狐疑を容るゝに暇あらんや。狐疑猶豫は義心の不足より發るものなり。
  • ウィキソースか何かで遺訓だけ読んでおけばおおむね用は足りるのですが、岩波文庫の古色を湛えた活字で読む満足感はあると思います。