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映画評論家町山智浩アメリカ日記

町山智浩の映画解説リストです。
現在約800本の映画が50音順に整理され、解説へのリンクが貼られています。
お探しの映画解説はたいていここで見つかると思います。


週刊文春の連載「言霊USA」はオンラインで読めます。


町山智浩のWOWOW映画塾、YouTubeで観られます!

町山智浩の映画塾2(101〜200)

町山智浩の映画塾3(201〜)


TBSラジオ『たまむすび』に毎週火曜日午後3時から出演中です。


過去のたまむすび

「キラ☆キラ」はYouTubeに残ってます

ロフトプラスワンでタランティーノと公開飲み会(無修正)

2004-04-30 バットマン対ジョーカー対エイリアン対プレデター

TomoMachi2004-04-30

サンフランシスコで「ワンダーコン」というコミック・コンベンションが開かれた。

明日、ここでハーヴェイ・ピーカーにインタビューするので下見に行く。


ブースではさっそくDVD漁り。

香港製の海賊DVDがいっぱい出ているが、「テッカマン」全話99ドルや「ガッチャマン」全話99ドルといったところで、品揃えはここ一年ほど変わっていない。「ゴワッパー5」を探してるんだが。


手ぶらで帰るのももったいないので、「バットマン・デッドエンド」を12ドルで買う。

これは去年のサンディエゴのコミコンで公開された非商業用短編。

要するにDaiconオープニング・フィルム のようなものだ。

内容は、バットマンVSジョーカーVSエイリアンVSプレデター

「怪獣対超獣対宇宙人」のようだが、メトロン星人ジュニアのようにチープなパチモンではない。

監督のサンデー・カローラ(なんて名前だ)はスタン・ウィンストンのところで本当にプレデターを作っていた男なので、エイリアンやプレデターの造型はすごい、というか本物。

たった8分間だが、製作費は300万円とのこと。

カローラのプロモーション・フィルムですな。

http://www.theforce.net/theater/shortfilms/batman_deadend/

2004-04-29

読売新聞の夕刊のために柳下と『キル・ビル2』について漫才した.

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/special/sp04043001.htm

読売側が最初に難色を示したのは「梅本洋一」を名指しで揶揄しているのはマズい、ということだった。

でも、向こうもオイラを名指しで揶揄してるんだよ、と説得してなんとか掲載してもらった。

2004-04-28 あなたのおっぱい見せてください

TomoMachi2004-04-28

たまに原稿を書かせてもらってるので、『週刊プレイボーイ』が送られてくる。

それは、まあ、ありがたいのだが、時々、封筒が破られて中身がチェックされているのだ。

「アメリカの税関で内容を確認しました」というメモがついている。


これはどういうことかというと、幼児ポルノはアメリカではFBIまで乗り出す重罪だからだ。

たとえば、「ガールズ・ゴーン・ワイルド」というビデオがある。

http://shop.girlsgonewild.com/

これは海水浴場などで遊んでる女の子に「あなたのおっぱい見せてください」と声かけて撮り集めたビデオで、

一回おっぱい見せて50ドルなので製作費はタダみたいなものなのだが、ムチャクチャ売れて、

これを作っているジョー・フランシスという兄ちゃんは、わずか27歳で豪邸三つに自家用飛行機二台、スーパーカーは数知れずという資産を保有する億万長者になってしまった。

これが売れた理由の一つには、未成年ギリギリの女の子のオッパイという非合法の匂いがある。

ところが最近、女の子のうち何人かが年齢を詐称しており、実際は18歳未満だったことがバレた。

もし裁判でフランシスが「未成年ポルノ」を販売していたとされると、懲役30年くらうことになる。

このビデオはオッパイだけしか見せてないのに、アメリカではこれくらい罪が重いのだ。


週刊プレイボーイ」は開封されてはいるが今のところ没収されたりしてはいない。

しかし小倉優子なんて、アメリカ人の目から見たら中学生に見えるんじゃないの?

熊田曜子は問題ないだろうが。

しかし、ひとたび「未成年」と判断されたら没収だけでは済まない。

FBIの危険人物リストに載せられてしまうだろう。

だから、やっぱり送本しないでいいですよ、ね。

2004-04-23

TomoMachi2004-04-23

音楽雑誌BLENDERの選んだ「史上最低ソング・ワースト50」が発表された。


50位はいきなりセリーヌ・ディオンの「タイタニックのテーマ」。

ドスの聞いた声で永遠の愛を誓われても怖いだけだから、という理由。

まあ、独断と偏見のワースト50なので、異論もあるわけで、

たとえばサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が42位(若造に人生を説教されるような歌だから)、ドアーズの「ジ・エンド」が26位(大袈裟で芸術ぶってるから)など名曲も入ってる。


BLENDERのワーストには以下のような傾向がある。

1  大袈裟で自己満足的な歌

ミート・ローフ「地獄のロック・ライダー」44位

ホイットニー・ヒューストン「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」30位

2  頭カラッポの能天気で陽気な歌

ビートルズ「オブラディオブラダ」48位

REM「シャイニー・ハッピー・ピープル」35位

ボビー・マクファーレン「ドン・ウォーリー・ビー・ハッピー」7位

ワンチャン「エヴリバディ・ハヴ・ファン・トゥナイト」3位

3 偽善的な歌

ポール・マッカートニースティービー・ワンダー「エボニー&アイボリー」10位

パフ・ダディ「アイル・ビー・ミッシング・ユー」25位

4 意味のないリフレインを何度も繰り返すだけの歌

リッキー・マーティン「シー・バングス」39位

マスターP「メイクエム・セイ・ウー」36位

クラッシュ・テスト・ダミーズ「ムムムムム…」31位

ヨーロッパ「ファイナル・カウントダウン」27位

エディ・マーフィー「パーティ・オールナイト」8位

リンプビスキット「ローリン」4位

ローリンローリンローリンローリン…

要するに「許せない歌」ということなのだが、


そして問題の第1位は……。

スターシップの「ウィ・ビルト・ザ・シティ」でした。

しかし、なんでマイケル・ジャクソンが一曲も入ってないのかね?


さて、皆さんが最低の日本の歌を選んだらどうなるかな?


日本歌謡史上に残る最低の歌は大事マンブラザーズの「それが大事」ですね。あとアラジンの「完全無欠のロックンローラー」、さだまさしの「防人の歌」、このへんが古典かな。

2004-04-22 『パッション』は聖書の映画化ではない。

TomoMachi2004-04-22

http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20040422150000/6333.html

映画批評家前田有一氏はこう言う。『この映画はキリスト教の信者か、聖書の知識がある人でなければ見ても内容がよくわかりません。そもそも聖書に関する知識がなければ“解釈”をめぐって論争になりようがありませんからね。かなり高いレベルの教養を求められる作品です』」


……つまり、「私にはわかりませんでした」という意味ですね……。


実際は、『パッション』は、「聖書」を忠実に映画したものでも、キリストの「真実」を歴史的事実により忠実に描こうとした作品でもない。

歴史的間違いを指摘されたメル・ギブソンは「聖書に勝る歴史書はない」と反論し、聖書に忠実な映画だと主張した。

しかし、『TVブロス』に既に書いたように、これがまたウソっぱちなのだ。


なぜなら『パッション』には聖書にない描写が合計二十箇所以上もあるからだ。

それはどれも、プロテスタントの教会では教えられないディテールなので、実際、アメリカのプロテスタントは劇場で戸惑った。

たとえばキリストが蛇を踏み潰したり、聖女ベロニカがキリストの顔を拭いたり、というシーンだ。

その多くはカトリック独特の教義のなかにあるディテールなのだが、

具体的に、メル・ギブソンがそれをどこから仕入れたかといえば、実は『我らが主イエス・キリストの悲惨な受難』という本である。

これはアンネ・カテリーネ・エメリッヒという18世紀ドイツの修道女がキリスト処刑を「幻視」した記録だ。

幻視というのは、まあ、妄想ですな。

エメリッヒは「聖痕」者でもある。両手のひら、脇腹など磔刑時のキリストの傷と同じ箇所から出血した。

この絵で額に包帯してるのは茨の冠の傷だろうか?


しかし、この聖痕は、インチキである。

なぜなら、キリストが掌を釘打たれたというのはカソリックの教会美術が犯した間違いだ。

手のひらに釘を打っても抜けてしまうので、実際の磔刑では、手首を釘打たれた。

ところが、聖痕者はたいてい掌から出血する。

で、時に、聖痕者に「本当は手首ですよ」と教えると翌日から手首から血が流れ出すこともあったという。

要するに自分で傷つけているだけなのだ。

よくオカルトの本に「聖痕には傷跡がない」とか書かれているが、それもウソで、実際は傷が確認されている。まあ、要するに自己暗示による自傷行為なんですな。

そんな狂信女がキリストが処刑される現場を妄想した本があって、酒乱でリハビリしていたメルギブはそれを図書館で偶然見て、『パッション』の映画化を思いついたと本人が言っている。

そんな映画のどこが「真実」なんだ? え?

それだったらメルギブの個人的解釈を加えたほうがまだよかった。

『パッション』はただひたすら忠実に隅から隅まで、この修道女の本をなぞるだけに終わっているのだ。


この修道女はバチカンから「聖女」の称号をもらっているが、

どうもただの狂信女じゃなくてなにやら政治的な匂いがする。

この女は「あの世」も幻視していて、そこで見たものがプロテスタントの主張と全然違っていたと言っている。

要するにカソリックは正しくてプロテスタントは間違っていると言いたいわけ。

挙句の果てはプロテスタントはあの世で責め苦にあうなどと書いている。

『パッション』の原作になった『我らが主イエス・キリストの悲惨な受難』も、反ユダヤ的な描写が執拗で、

実際にその本はユダヤ弾圧に利用された。

どうも単なる妄想というより「プロトコル」みたいな政治的偽書の類なのだ。

2004-04-21 長らく更新できず失礼しました

はてなダイアラー映画百選『少年ジャックと魔法使い』



この映画は、筆者が映画を「観る」のではなく、人生として体験した最初の映画でした。

映画とは、テレビと違って、観客を楽しませるだけでなく、傷つけもするし、映画の中だけでは解決しない何かを残すやっかいなもの。つまり人生の体験と同じ――。

そういうことを初めて教えてくれたのは幼稚園の時に丸の内東映の「こどもまつり」で観た『少年ジャックと魔法使い』(67年)でした。

これは当時の筆者が大好きだったTVアニメ『宇宙パトロール・ホッパ』の薮下泰司監督の長編アニメです。

しかし『少年ジャックと魔法使い』は、『ホッパ』のような楽しいものではありませんでした。

後に、シナリオが『キングコングゴジラ』の巨匠関沢新一さん(お亡くなりになる直前に会うことができました)と『吸血鬼ゴケミドロ』の高久進さんという、当時の日本では数少ない「SFとファンタジーが本当にわかってる脚本家」の共作だったと知りました。

北欧神話をベースにしたらしい悪夢のような異世界を舞台に、少年ジャックを悪魔にしようと誘惑する悪魔少女キキーの物語です。でもキキーもまた悪魔にされてしまった少女なのです。残酷にジャックを翻弄するキキー。その彼女がふと見せる優しさ。その彼女にまた裏切られる痛み。ジャックを裏切る痛みに苦しむキキー。好きなのに優しくできない辛さ。

なんだ、このマンガは。ちっとも楽しくないよ。つらくて観ていられないよ。観ている間はただただ悪夢にうなされているような気分が続きました。

でも、観終わった後、よくわからないけれど、それまでの自分とは違う感じ、何か大事なことを知って半歩くらい成長した気分でした。

人は誰も、見かけどおりの人など一人もいない。しゃべっている言葉、表向きの態度がその人の本当の姿とは限らない。その人の今置かれている状況でその人を判断することはできない。心の底から本当に悪い人など一人もない。それでも人は傷つけあってしまう。憎みあってしまう。そんな悲しい人生の真実を垣間見たような気がした記憶があります。

だからいまだに悪役顔の人が悪いたくらみを口に出して言ったり、善良な市民が善良のままだったりする映画を観るとイライラします。

その後、『空飛ぶゆうれい船』『ゴジラ対へドラ』を経て、TVの洋画劇場を通して暗澹たるアメリカン・ニューシネマの世界に魅了されていくのですが、それらはすべて『少年ジャックと魔法使い』から始まっているような気がします。

実は幼稚園の時に見て以来、35年以上、いちどもこの映画を観直していないのでディテールは書けません。もしかしたら上記の説明は間違っているかもしれませんので悪しからず。

ビデオも出ていますが、もったいないので観直したくないのです。

でも、娘が幼稚園に行く頃には一緒に観たいと思っています。


帰国で仕事が溜まったのと家庭の事情でしばらく更新できませんでした。

その間にカウンターが一回りしてた。50万ヒット突破、ありがとうございます。


次はid:Jadeさんにふってみます。

2004-04-14

成田からサンフランシスコに帰る。

娘は泣きもせずによく耐えた。

時差ボケなのにすぐに自宅に着くとすぐにTVブロスの原稿書き。

2004-04-13

今回の帰国はビザの更新が目的だったのだが、まだ発行されないので帰れない。

年金を払ってから、娘と松戸のバンダイ・ミュージアムに行くがあいにく閉館日。ああ、次に来られるのはいつだろう。

帰ってみると、やっとビザが届いていたのでアメリカに帰る準備をする。

帰るのが遅れたので、14日に予定されていたILMでの「ヴァン・ヘルシング」のSFXパートの取材には行けなかった。スカイウォーカー・ランチに行きたかったのに!

2004-04-12

代々木の幻冬舎に挨拶に行く。

アメリカの新聞漫画「BOONDOCKS」の翻訳本を出してもらうからだ。

すでに全部翻訳は終わっているが、デザインなどを検討したいとのこと。


担当者の穂原さんと、幻冬舎に入ったばかりの額田さんと一緒に昼食をご馳走になる。

額田さんは、あの「フィギュア王」の創刊編集長の額田さんである。

いわゆるヘッドハンティングというやつだ。

でも40過ぎた妻子持ちが三人集まると、話題はまったくオタ気のない、

地に足のついたわびしい話しか出ない。

2004-04-11

妹夫婦に千葉の動物公園に連れてってもらう。

娘は大はしゃぎで、帰りの車のなかでも眠らずにずっと謎の歌を歌い続けていた。

2004-04-10

新宿ロフトプラスワンで昼から柳下とトークショー。

土曜日の昼だというのに満員になった。ありがとう。

今回はいつもより短い3時間だったので後半焦ってハチャメチャになってしまってすみません。

でも応援に駆けつけてくれた高橋ヨシキくん、中野貴雄監督のおかげで助かった。

高橋ヨシキくんはプロディジーの曲に合わせて『宇宙からのメッセージ』を編集したビデオがすごかった。

中野さんはいつものようにニセGOGO夕張の修道院美季ちゃんと一緒に来てくれた。

http://shinjuku.cool.ne.jp/mtcompany/

美季ちゃん見てると今度の「キルビル2」にいちばん足りないのは鉄球女子高生だとつくづく思うね。

で、サープライズ・ゲストはハプニング・バーで本番してパクられたキャットファイター、リングネーム稲妻サンダー。

檻から出てきて最初のステージだとのこと。

客がほとんど私服刑事で、入れた瞬間に警察手帳出してステージになだれ込んできたとのこと。警察もヒマだねえ。

やっぱり「御用だ」とか「大人しくお縄を頂戴しろ」と言ったのか?てな話で盛り上がる。


終わってから近くの焼肉屋で打ち上げ。遅れてきた平山夢明デルモンテの兄貴が相変わらず狂ったように飛ばし、ヨシキは美人妻(巨乳)マキちゃんの膝で眠ってしまった。

驚いたことにスタジオ・ハードの高橋社長が来ていた。

スタジオ・ハード・デラックスという新会社で頑張っているとのこと。しぶといね。

2004-04-09

浅草キッド水道橋博士のお宅に妹夫婦と一緒にお呼ばれして晩御飯をご馳走になる。

博士とお弟子さんのアル北郷さんがオイラの本を愛読してくれているということで、博士は映画秘宝の連載のコピーまで集めて読んでくれていた。ありがたやありがたや。

博士は大変なDVDコレクターで、「町山さんが誉めてたから」という理由で「ルールズ・オブ・アトラクション」まで買ってくれたという。

字幕をやった「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」買ってくれたかどうか聞くの忘れた。

博士が「生涯のお勧め映画を教えて欲しい」と言って、メモを取る用意で待ち構えたので、こっちはあがってしまい、思わず「『ロッキー』と『ファイトクラブ』」と実に知能指数の低い答えをしてしまう。

あまり頭のよさそうなことを言えなくて恥ずかしかった。

でもとにかく息子さんが可愛いね。博士をそのままガシャポンのキャラクターにしたような赤ちゃんで、始終ニコニコ大喜びだった。

その後、ダチョウ倶楽部の寺門ジモンさんのビデオを見せてもらう。

ジモンさんは世界最強の男なので(自称)銃と格闘術を日々鍛えているということで、

ヒマになると山篭りしている。

毎回山篭りのテーマを決めるのだが、先日は匍匐前進がテーマだった。

博士が「どのくらいやるんですか? 百メートル?」とか尋ねると、

「メートルとかじゃねえよ。オレの匍匐前進は。山だよ。一山、ふた山越えちゃうんだもん」

ジモンがひけた後、舞台に上がった江頭2:50が「あんなもん公共の場でしゃべらせちゃダメだよ。あいつ精神病じゃん」とシラフで言ってた。

2004-04-08

文藝春秋に担当の目崎さんに謝りに行く。

翻訳本がもう3年越しで遅れているのだ。

ラフな訳はできてるんだけど仕上げに手こずっているのだ。

その後、TBSで「ストリーム!」に生出演。

ディズニーのマイケル・アイズナーのことを話すが、

オチまで到達できなかった。時間の配分が難しい。

控え室にピーター・バラカンがいた。

「AMで僕の選曲をかけてくれるなんて信じられない」と言っていた。

2004-04-07

朝からずっと温泉プールで娘と遊ぶ。

初めて浮き輪を使ってもう、うれしくてしょうがないのだ。

2004-04-06

週刊文春立花隆の記事を読んであきれた。

例の田中家長女の離婚についての記事の出版差し止めの件で、過去に同じ命令を受けた、ある私立学校の理事長をめぐる本を「ブラック・ジャーナリズム」と決め付け、そっちは差し止められて当然だ、と書いているのだ。


オイラはその本の「ブラック・ジャーナリズム」本の担当者の一人である。


「ブラック・ジャーナリズム」とは、スキャンダルを書く、ないしは書くぞ、と脅して、口止め料その他の裏金を受け取ることである。

しかし、該当の本はまったく違う。

これは、名誉毀損である。

立花の記事は完全に事実無根であり、裁判をしたら確実にこちらが勝つ。


その本は、ある私立学校の理事長による学校の私物化について関係者の一人が内部告発した手記を、別冊宝島編集部が出版したものである。


しかも、告発された理事長からいわゆる右翼を通じて宝島社に対して「出版を中止してくれたら金を出す」という申し出があったが、宝島社は当然拒否しているのだ。


出版差し止めの件は、文中に理事長の愛人問題に関する記述がわずか2、3行あり、愛人問題と学校私物化の因果関係が曖昧なので、公共性が証明できないから該当部分のみ削除するよう判決があっただけで、削除後すぐに出版された。


しかし立花の記述を見ると、以上のような事実をまるで知らないようだ。

当時、新聞でも報道されたし、裁判記録を見れば、以上の事実はすぐにわかるはずなのに。

立花氏は自分と類似のケースであるにもかかわらず、この件について調べなかったようだ。


そればかりか立花は、あっちはブラックだがと勝手に悪党呼ばわりし、田中真紀子娘の記事は出版される価値があると言うのである。

逆だろ、逆。

私立学校理事長の愛人問題は、学校私物化の金銭的疑惑と関係する可能性があり、田中真紀子の娘の私生活よりはるかに公共性があるよ。

実際、この本が出版された後、理事長は批判を受けて学校の経営は幾分改善された。多少なりとも社会の役に立ったのだ。

いっぽう田中真紀子の娘の私生活暴きが社会の何か役に立ったか?


オイラは今回の文春の「出版差し止め」はやりすぎだと思うが、それは該当記事に価値があったからではなく、この程度のどーでもいー記事のために、言論の自由が抑圧される前例ができてはならないと思うからである。

しかし立花は逆で、文春の記事は価値があるから出版差し止めするな、でも、オイラの担当した告発本のようなものは差し止めてもかまわない、と書いたのだ。


あんたがいちばん言論の敵だよ。




始発で妻の実家に帰って、数時間仮眠を取り、

その後、上野から新幹線で那須に。

家族サービスの温泉一泊旅行だ。

子供連れ専門といっていい温泉ホテルで、

何十種類もある温泉プールで娘は大はしゃぎ。

二時間以上、温泉で一緒に遊んでゆだる。

食事は食堂で浴衣を着て和食バイキングだが、

なぜか出稼ぎのイタリア人のオペラとスイス人のヨーデルの生歌つき。

2004-04-05

映画秘宝で原稿書き。

夕方、柳下が訪ねて来て、喫茶店で連載の対談。

キャシャーン」の試写には入れなくて正解だった。

その後、朝まで編集部で原稿書き。死にそう。

2004-04-04

妹が娘と遊びに来る。

娘はものすごく妹を慕っていて「ひろみ、ひろみ」と呼び捨て。

日本とアメリカの距離感がわからないので

なんでひろみはしょっちゅう遊びに来てくれないのかわからなくて恨みに思っている。

妹を見送って、ネットカフェで朝まで原稿書き。

2004-04-03

朝の9時から国際電話でサム・ライミにインタビュー。

以前「フォー・ラブ・オブ・ザ・ゲーム」の編集現場を訪問したので覚えていてくれた。

スパイダーマン2」のインタビューだが、二つのことを確かめる。

前作「スパイダーマン」のエンディングが「ダークマン」とそっくりだったのは?

答え:意図的。「ダークマン」は「スパイダーマン」のプロトタイプとも言えなくもないとのこと。

スパイダーウェブが初めて出るようになって、朝から晩まで糸で遊ぶシーンは精通のメタファーに見えるが?

答え:もちろん。これは思春期の男の話で、そもそもウェブに精通を象徴させるアイデアはジェームズ・キャメロンのトリートメントから引き継がれている。



午後から、妻の実家の近く、常盤平の桜まつりを観に行く。

なんか、日本中のテキヤが集まったのではないかと思うくらいものすごい露店の数。

うちの娘は日本の祭りが初めてなので大喜び。

でも娘があこがれていた水ヨーヨーだけは売ってなかった。

セルロイドのお面が700円もするので驚いた。

2004-04-02 押井守「イノセンス」についてのメモ

40万ヒットしました。


キャシャーン」の試写で松竹に行ったら前の試写のトラブルなのか満員なのか、人の群れで入れず、しかたがなく千代田劇場に行って「イノセンス」観た。で、いろいろ考えた。


プロットは話に聞いていたように、「ブレードランナー」のプリスだった。

プリスはセクサロイドとして作られたが、自分の惨めな役割を嘆き、

人形ではなく人間として生きるために反乱を起こし、自分を狩る刑事にアクロバチックな肉弾戦を挑む。

そのほかにも類似点が多い。レプリカントの人格は誰か実在の人間の記憶をコピーすることで形成されるし、プリスはベルメールの人形のマネもちゃんとするし、人形マニアの家に隠れたりもする。

まあ、「イノセンス」はオープニング・カットがはっきりと「ブレラン」へのオマージュだから、プリスのことは単なる前提なのだろうが。


それよりも「イノセンス」で驚いたのは、バトーが最後に「人形に悪いと思わなかったのか!」とか言って怒る場面だ。バトー(つまり監督の代弁者)は人間なんかどうでもいいわけだ。



ブレードランナー」のテーマは、「人とアンドロイド(人形)を分けるのは、どのように生きたか、という意思だ。たとえアンドロイドでも自分の意思で必死に生きれば、それは人間だし、たとえ人間でも自由意志を失って惰性で生きる者は人形も同じだ」というきわめてオーソドックスで実存主義的な話だ。これは非常に普通でわかりやすい。


ところが「イノセンス」は逆だ。

あの人形のユーザーは、ただの人形ではダメで、本物の少女の「心」を陵辱したいと思っている。

ところがキムの言葉にもあるように、バトーは(いや押井監督は)人間には「心」というか「自意識」があるから醜くて、人形にはそれがないから美しいと考えている(だからフォルムが完璧で魂のない「死体」こそが究極になる)。

自意識のない人形を「イノセンス(汚れなき者)」と呼び、バトーはそれを人の心で汚したことに怒るのだ。


この感覚は、作中の会話でも出てくるように、もう「死にたい」「生きる意思がわかない」状態なんじゃないの? 大丈夫かね、この監督。

オイラは勉強不足で知らないんだけど、押井監督って結婚して子供とかいるの?

この映画、女性からの視点がゼロ、というか、「女なんていらね、女に人格なんていらね、子供もいらね、女なんか形だけでいい。できれば人形や死体のほうがいい」という人でなしな心が作った映画なのだ。


少女を別にすると、この映画で唯一人格を持った女性の登場人物は「結婚もしてないし子供もいない」という鑑識の女性で、バトーと同じく監督のペルソナなのは明らかだが、彼女は「子造りは人造人間を作りたいという願望の代替物だ」と言う。

しかし、普通の感覚では、鉄腕アトムやピノキオやコッペリアみたいに人造人間のほうが子造りの代替物なのだ。

ところが押井監督の感覚では、子供は人造人間の代替物で、本末転倒している。

これはシミュレーション社会の感覚である。


シミュレーション社会というのは、オイラ流に説明すると…。

本当のSEXはAVの中にしかない。

すべての人間は現実のセックスのとき、いかにAVに近づけるか努力する。

AVのようにできないと、そのセックスは不完全だと感じる。

理想の女性(男性)はアニメや漫画、CG、人形にしかいない。

すべての現実の女性は代替物である。

だからいつも不完全さを感じる。

完全な恋愛は小説やドラマや映画のなかにしかない。

現実の恋愛でもそれをなぞってそれに近づこうとする。

でも、それは決して完璧に再現できない。

常に恋愛は不完全だ。

本当の人生は映画やアニメやドラマや小説の中にしかない。

ドラマチックでエキサイティングで感動的な人生は。

現実はそれに近づこうとしても…。


現実を写した模倣であったはずの、小説やドラマや漫画や映画やアニメやAVの中の異性や恋愛やセックスや、いや、人生は、

いつのまにか現実よりも優位に立ち、現実は常にそれに勝てない。

シミュレーションが現実を圧倒し、

これはもう逆転しそうにない。


普通の、というか、ピノキオやアトム時代の感覚では人形は永遠に人間になれない、人間のマネゴトだったが、

シミュレーション社会と押井監督の感覚では、人形は人間の模倣ではなく、人間の理想像であり、

人間はどんなに頑張っても人形みたいに完璧にはなれない。

現実のモデルを持たない人形やアニメは、いわゆる「シミュラークル(原型を持たないシミュレーション)」で、

それゆえに完璧な理想であり、「イノセンス」だが、現実は絶対にそれに到達できない。

だから現実に絶望する。


イノセンス」の中に再三登場する「人形」「鏡」に関する問答はそういう倒錯した絶望を感じさせる。


バトーがそれほど絶望して、トグサのように家庭や子孫を残すことによるアイデンティティにも依拠できないのは、少佐という彼にとって理想の異性がネットを通じて世界に遍在する、意思だけの存在になってしまっているからだ(前作)。

あ、さっき「イノセンス」には人格を持った女性は鑑識医しか出てないと書いたけど、草薙もそうだな。ていうか人格だけの存在か。

でも、草薙はすでにバトーにとって異性や他者ではなく、

「神」であり、彼を取り巻く世界の母性であって、

生きる意志のないバトーの唯一の支えになっている。


最初に原作で少佐がネットの海に消える場面を読んだ時、筒井康隆の「エディプスの恋人」を思い出した。

「エディプスの恋人」は「神」についての物語で、「神」は交代制で、何千年だかに一回、誰か人間が一人選ばれて「神」になる。神というのはこの世界に遍在する意思として描かれている。そして筒井は、70年代終わりに「神」は女性に交代した、と書いた。 だから世界は80年代から母性的になり、男は幼稚になるだろう。「エディプスの恋人」はキャンディーズのコンサートに熱狂する少年たちの姿で幕を閉じるが、あれは80年代以降の社会のオタク化を見事に予言していた。

本当の異性は決して触れることのできない象徴的存在であり、代わりに偶像への空しい愛を注ぎ続けるしかない。

その一方でネットという母性的環境に常に包まれてぬくぬくと現実と直面せずに生きるのだ。


しかし、オイラはつくづく常識人だ。だって完全に妻と娘によって現実を認識してるトグサなんだもん。


ちなみに鈴木プロデューサーは「千と千尋」に続いてまた少女売春の話か。

両方に金出したディズニーはわかってんのか?


あ、『イノセンス』でネタになってる『ゴーレム』、ロフトプラスワンで見せます。どうしてかと言うと、これが実に、トンデモない映画で…。


あと、ちょっと気持ち悪いのは、「人形とは空っぽな理想形だ」とか言いつつ誰の理想かというと恋人ではなくて自分なんだよね。

押井監督のノートなどを見るとそれが自覚的なんだけど。

つまり美しく無垢な少女人形は「こうありたい自分」なんだ。四谷シモンさんなんかモロだけど。

つまり人形は自分の写し絵であって他者ではないわけだ。



でも、押井監督の場合、やはりバトーが監督のオルターエゴなのでまあ健全なのだけど、原作の士郎正宗の場合、作者のオルターエゴはいつも美少女なんだよな。非常に大人の哲学に基づいた彼の作品世界の中で唯一奇怪なのが、ヒーロー、つまり理想の自分が美少女ということなんだ。美少女なのは形だけで、考え方はまるっきり作者自身。

彼の作品には女性型の義体に入った男性が出てくるけど、実は全身義体草薙素子だって、本当は女性だったのか怪しいもんだ。もし義体が可能になったら士郎正宗自身はやっぱりああいう美女義体を選ぶだろう。

しかし全身を人工物に変えることが可能になったらみんな美女になるんじゃないの?

ヤクザもハゲ親父もオバハンもみーんな美女の体を選びそうだなあ。

なんでバトーとか、老いた体や不細工な外見を選んでる人たちが結構いるの? 誰か教えてください。

2004-04-01

この日も確か映画秘宝で原稿書きだったような気がする。

日本に帰ってから飲みにも行ってないし、

本屋にも映画にも行ってない。

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