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2006-04-14 『悪魔とダニエル・ジョンストン』

TomoMachi2006-04-14

『悪魔とダニエル・ジョンストン』を観る。


ダニエル・ジョンストンは、2003年には来日公演もしているシンガー&ソングライター。

ダニエルが最初に世間に広く知られたのは、ニルヴァーナカート・コバーンがダニエルの描いたヘンテコなカエルの絵(右)のTシャツを着てテレビなどによく出たのがきっかけだ。

そのカエルはダニエルのファースト・カセット「ハイ、ハウ・アー・ユー」のジャケットに彼が描いた絵だ。

それからダニエルはミュージシャンズ・ミュージシャンとなり、ベックやトム・ウェイツが参加したトリビュート盤が日本でも発売されている。

アニメとラモーンズおたくのパンクバンド、オーサカ・ポップスターズhttp://www.osakapopstar.com/もダニエルの曲をカバーした。


ダニエル・ジョンストンは「テキサスのブライアン・ウィルソン」と言われている。

つまり、精神病患者なのである。

双極性障害(以前は躁鬱病と呼んだ)という病気である。

『悪魔とダニエル・ジョンストン』は彼の狂気を描いたドキュメンタリーだ。

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映画は、8ミリを構えた十二歳くらいの少年が鏡の中の自分を撮影している古いフィルムで始まる。

「僕はダニエル・ジョンストン

そして現在、際限なく太り、白髪になった四十二歳(撮影当時)のダニエル・ジョンストンが登場する。

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ジョン・レノン・スタイルでピアノの弾き語りをする。

しかし、その声は十二歳の頃と変わらぬボーイ・ソプラノだ。

彼が話すと、その言葉はたどたどしく、やはり十二歳くらいの子どもがしゃべっているようにしか聞こえない。


1961年、ダニエルはヴァージニアの田舎に生まれた。

父は軽飛行機のパイロットで、母はキリスト教原理主義者だった。

ダニエルは小学校の頃はつねに成績はトップで、特に音楽と絵に才能を示した。

なかでもビートルズとコミックブックが大好きだったが、母親は彼の趣味をまったく理解しないばかりか、いつもこう怒鳴った。

「そんな悪魔のような漫画を読んで音楽を聴いてると地獄に行くわよ」

ダニエルは母親の説教をこっそり録音していた。

ダニエルは8ミリ・カメラで映画を撮り、自分で母親を演じたが、母親の説教をそのままアフレコに使った。

ダニエルはテープレコーダーや8ミリで何でも記録する癖があった。

その日にあったことを日記みたいに語ったり、友達との会話や口論も片っ端から録音し、それを全部保存している。この映画は、その豊富な素材を存分に利用している。


ダニエルの好きなロックンロールとコミックを「罪」と決め付ける母親によって、思春期のダニエルは引き裂かれ、地下室に引きこもりがちになった。

当時の地下室の8ミリ映像。ビートルズのレコード、「おばけのキャスパー」と「キャプテン・アメリカ」のコミックブック。

彼の音楽はビートルズ、特に『ジョンの魂』や『イマジン』の頃のジョン・レノンの影響が強く、歌詞や絵には「キャスパー」や「キャプテン・アメリカ」が今も登場する。

彼の歌にはセックスも社会もまったく出てこない。心の年齢は十二歳で止まっている。


なんとか高校を卒業したダニエルを親は無理やりクリスチャン大学に入れたが、ダニエルはついに精神が崩壊し、最初の入院をした。

躁鬱病と診断された。

それでも、親は好きなことをさせればなんとかなるだろうと地元のアートスクールに転入させた。

そのアートスクールで彼は初恋の人、ローリーに出会う。

ダニエルは8ミリ・カメラでローリーを追いかけ、彼女の声を録音し、ローリーを歌い、ローリーを描いた。

ダニエルの中では、ローリーは運命の女性で、二人は永遠に愛し合うはずだった。

しかし、彼女には別の男と結婚してしまう。その青年は葬儀屋だった。

ダニエルの中では、ローリーは「死」と結び付けられた。

その時から今まで、ダニエルはローリーの歌を何曲も何曲も作り続けている(葬儀屋の歌も)。

というか、彼はほとんどローリーのことばかりを歌い続けているのだ。二十年間も。

ローリーの後、もう一人だけ、彼が恋した女性がいる(もちろん勝手な片思い)。

しかし、彼女のことを歌った歌も「君はローリーじゃない」という題名なのだ!


大学を中退したダニエルは、テキサスに住む兄の家に同居し、マクドナルドで働き始める。

彼は料理も皿洗いもまったくできなかったので、客のテーブル掃除だけをやらされた。

昼間は黙々と働いて、夜はギター一本で歌を作った。それをカセット・テープに録音し、地元の新聞オースティン・クロニクルの音楽評担当者に渡した。それを聴いた担当者は「ボブ・ディランの最初の三枚のアルバムに匹敵する」と驚いて、絶賛する評を書いた。

さらにMTVが全米各地を回って地元のミュージシャンを紹介する番組にダニエルは出演した。

テープの注文が殺到した。ダニエルは注文の数だけ何度も何度も演奏してテープを一本ずつ録音した。

彼は「ダビング」というものを知らなかったのだ!


ダニエルは少しずつ、音楽マニアの間で知られるようになったが、精神病は悪化していった。

ジョン・レノンが「ホワイトアルバム」で作ったミュージック・コンクレート「リボリューションNo.9」の「ナンバー9、ナンバー9、ナンバー9」というリフレインに「とりつかれ」、「7は神で、6は悪魔、僕は9だ」と思い込み、家族のクリスマスツリーに「9」の札を飾りつけ、それをヘンだと言った家族に襲いかかった。

気分は常に不安定で、突発的な暴力を振るい、警察沙汰と入院を繰り返した。

バットホール・サーファーズやハーフ・ジャパニーズとのコラボも行ったが、マリファナやLSDも教えられ、症状を悪化させた。

早朝にゴミ缶を叩いて暴れていたダニエルに窓から「うるさい!」と怒鳴った女性の家に上がり込んだ。

恐怖した女性が窓から落ちて重傷を負い、ダニエルは逮捕された。精神病院に送られた。

「彼女を窓から投げたのは悪魔だよ」

ダニエルはすべては悪魔のせいだと思うようになった。絵の中に悪魔が登場し、ダニエルを苦しめた。

精神病院ではマウンテン・デューの味に「とりつかれ」、マウンテン・デューを賛美する歌を作ってペプシに送ったがCMソングに採用してくれなかった。

カート・コバーンのおかげで有名になったダニエルは巨大な会場で満員の聴衆を前にライブを行った。

「僕のことを好きかい?」と歌うダニエルに観客は歓声で応えた。

大成功のコンサートからの帰り、父の操縦する飛行機に乗せられたダニエルは自分がキャスパーになった気になった。キャスパーが飛行機を操縦するマンガを再現しようとした。止めようとした父親ともみ合いになり、ダニエルは飛行機のイグニッション・キーを引き抜いて窓から捨ててしまった。飛行機のプロペラは止まり、墜落した。




飛行機が落ちた所には運良く大きな木があって枝に引っかかったので、二人は奇跡的に死なずにすんだ。

ダニエルはすごい冒険をした気になって得意満面だった。


ダニエルは今も、両親の家の地下室に住んでいる。

十二歳の頃の家はヴァージニアで、今はテキサスの家だが、部屋の中身は何も変わっていない。

ビートルズのレコード、「おばけのキャスパー」「キャプテン・アメリカ」。

彼の心は永遠に汚れない。


I am a baby in my universe.

僕の宇宙では僕は赤ちゃん

I'll live forever.

僕は永遠に生きる

−−−I am a baby in my universe by Daniel Johnston