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映画評論家町山智浩アメリカ日記

町山智浩の映画解説リストです。
現在約800本の映画が50音順に整理され、解説へのリンクが貼られています。
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ロフトプラスワンでタランティーノと公開飲み会(無修正)

2008-09-22 「知っている」それ自体にはもはや何の価値もない

先日、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」の皮肉がわからない映画ライターを批判したが

もっとヒドイ存在があるよー。

コピペ盗作王、唐沢俊一だ!

唐沢俊一検証BLOGより

唐沢俊一著『薬局通』P.224の引用

 スッキリは便秘薬、ハッキリは頭痛薬である。なぜか知らないが、このふたつのクスリにはこのテのネーミングが多い。頭痛の方だと古くからあるのがケロリン。それからノーシンというのは脳を鎮める、から脳鎮である。

エ、知りませんでした?

知るわけないっての!

だって、「鎮」という漢字の読み仮名は「しん」じゃなくて、「ちん」じゃん!

(追記:メールで、「鎮」の中国伝来の読み方は「しん」であるという指摘をいただきました。でも、唐沢がそれを意図していたと思いますか? 特にこの場合、唐沢が言いたいのは「鎮痛(ちんつう)」の意味だし)


正しいノーシンの語源は「脳」だそうです。

へー、勉強になりました。


唐沢俊一検証BLOGでは、唐沢俊一の本に書いてあることのほとんどがウソか間違い、珍しく正しい場合は盗作である事実を検証しています。

これを見ると、唐沢俊一がトンデモ本のデパートだってことがよーくわかる。

(この『薬局通』という本の間違いの量も凄い。マーキュロクロムとヨードチンキを混同してたりする。どこが通なんだ?)

こんな人とどうして山本弘さんやと学会はいつまでもつきあってるんですか?


と学会はインチキ本を笑いのめすグループじゃなかったの?

空想科学読本よりもパクリが多いぶん悪質でしょ

山本弘さん、身内にはどうしてOKなんですか? 

そのへん、いちど説明して欲しいものです。


それはさておき、唐沢の文章を読んでいていちばんムカつくのは、オイラが全然知らない難しい言い回しや四文字熟語がやたらと出てくることだ。

でも、唐沢はおそらく「覚えておきたい四文字熟語」みたいな本、もしくはネットを使って、自分を物知りに見せるために無理やり難しい言葉を使っているんだろう。

というのも、彼は言葉の使い方を間違えているとよく指摘されているからだ。

人間の怖いところは、さっきまで知らなかったことでも、そうして知った途端に前から知っていたような気持ちになり、自分が偉いような気になるところだ。


オイラはものをあまりよく知らない

昔はそれを恥ずかしく思っていたし、よくバカにされてきた。


でも、今はなんとも思わない。


なぜなら、ネットの時代、知識は誰でも簡単に拾えるようになったので、知識そのものに価値がなくなったからだ。

いや、それは言い方が違うな。

本当に物知りなのか、ネットで拾っただけの知識なのか見分けることが困難になったからだ。ちょこちょこっと検索して、それを散りばめれば物知りに見える文章は作れる。

偉そうに何か書いていても、ついさっき検索して拾っただけかもしれない。

そんなことで得意になるのって、本当にくだらねえと思うよ。


押井守の『イノセンス』では、近未来、すべての人間が脳からネットに直接アクセスできるようになっており、日常会話にも古今東西の文献からの引用が散りばめられる。

人類の情報データがすべて、すべての人間の外部記憶として共有されているわけだ。

その状況では、物知りという価値そのものが消滅してしまう。

ネットでかき集めた文章をそのまま切り貼りして売文し続ける唐沢は、まさにそんな「知識量の無価値化」を象徴する存在だと考えられる。


たとえば、実際に小説を読んでなくても、映画を見てなくても、ストーリーのダイジェストはネット上のあちこちに転がっているから、それを読んで読んだフリができる。自分もいつの間にか読んだ気になる。


そういった時代に「知っている」それ自体は何の価値も持たなくなる。

問題はその知識をどう使っているか、だろう。

広く浅い断片的な情報をパラパラと並べるだけなら誰でもできる。

それらの情報を体系づけて自分の論を構築したり、独自の創造物へと発展しないとね。


「体験によって習得した技術」もネットや知識では得られないものだね。

たとえ「マトリックス」のように体験記憶を脳にダウンロードするテクノロジーができたとしても、体はついていかない。

経験を繰り返すことによって体が覚えた技術の価値はとりあえず落ちないだろう。

工業化社会というものは、徒弟制度と熟練によって継承できた職人技というものを、マニュアル化、機械化することで、非熟練工を使って大量生産することができるようにした社会だけど、それでも、その最初期の段階で、型を作るにはやっぱり職人技がどうしても必要だから。


テクノロジーによって消滅した人間の価値は過去にもいろいろあるよ。

たとえば「力持ち」であることは、大昔は生産について重要だったけど、機械化によって社会的にはほとんど無価値になったでしょ。


このネット時代でも価値を持ち続けるものには、「才能」「センス」「根気」「創造力」「勇気」「共感する力」などいろいろ考えられるけど、とにかく、だ、「(体験によらない)知識自慢」の価値はすでに地に落ちたよ。

ざまあカンカン!

唐沢俊一によると、雑学とは「役に立たない知識」だそうだが、役に立たない知識ばかり(しかも間違いだらけ)持ってるだけってことは、やっぱり何の役にも立たない人間だってことじゃん!