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映画評論家町山智浩アメリカ日記

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2010-12-04 根本敬「人生解毒波止場」文庫版解説by町山智浩

人生解毒波止場 (幻冬舎文庫)

人生解毒波止場 (幻冬舎文庫)

根本敬先生の「人生解毒波止場」が12月6日に幻冬舎から文庫として発売されるので、巻末に解説を書かせてもらいました。

根本敬『人生解毒波止場』解説 町山智浩

『人生解毒波止場』は95年に洋泉社から出た単行本で、「月刊宝島30」という雑誌の連載をまとめたものだ。

 僕はその連載と単行本の編集を担当した。

 1984年に月刊宝島の編集部に入った私が最初に担当についた書き手がみうらじゅんさんと根本敬さんだった。二人の間で本当にいろいろ学んだ。その経験は物書きになった今も二本の背骨となって自分を支えている。二人は自分にとってビートルズローリング・ストーンズだ。

 みうらさんはポップだった。どんなに暗くダサく下品なものでも、みうらさんにかかると明るく楽しく能天気になってしまう。なにしろ仏像まで流行らせてしまった人だ。

 根本さんはブルースだ。ブルースの「黒っぽさ」を表現するために「ダーティ」という言葉が使われるが、その意味でダーティ。

 93年、『宝島30』に連載を始める時、根本さんはこんなことを言った。

「今の日本は気取った、綺麗な物ばっかりになっちゃったでしょ」

 80年代のバブル経済は日本からダーティなものを一掃していた。みんなオシャレで明るくなった。

「でも、それってかえって毒が溜まるんだよね」根本さんは言った。「それを解毒するような連載にしたい。毒をもって毒を制するみたいな」こうして連載タイトルは「人生解毒波止場」になった。

「解毒」と並ぶもうひとつのキーワードは「無駄ゴミの中の宝がある」だった。勝新太郎の言葉だという。「勝新原理主義者」を自認する根本さんは「無駄」に「ゴミ」とルビをふる。の座右の銘だ。

 ゴミ御殿は洗足の駅の近く、立派なお屋敷の立ち並ぶなかにあった。家から路上にあふれ出したゴミを整理(?)しながら、お婆さんは「大切な物を探している」と言った。

「大切な物って何ですか?」僕らが尋ねると、お婆さんは、「それは私にしかわかりません」と答えた。たぶん、もう自分にもわからなくなっているのだろう。

「人生解毒波止場」もまた、ゴミの中に大切な物を探す連載だった。

 連載ページをストーンズの『ベガーズ・バンケット』のオリジナル・ジャケットのようにしたかったので、毎回、根本さんに欄外に落書きをしてもらった。たとえば「ゴミの大物の巻」の欄外に、根本さんはこんな言葉を手書きした。

「以前、湯浅学(音楽評論家・廃盤解放同盟の盟友)がブーツィ・コリンズにインタビューした際、『なんで、あんなに大きな音を出すんですか?』と尋ねたところ、『うん。それは寂しいからだよ』と答えたそうだ」

 ブーツィはパーラメントファンカデリックのベーシスト。スパンコールをちりばめたギンギラギンの衣装とベース、それに星型のサングラスが有名だ。ゴミを集める人たちは英語でホーダーズと呼ばれ、強迫神経症の一種だと言われている。しかし、そんな精神病用語よりもブーツィの言葉は優しく悲しく的確だい。

 根本さんは欄外の落書きに「ブーツィ・コリンズのしゃべり方は川西杏さんによく似ている」とも書いた。川西さんの話し方は優しい。千歳烏山駅前で川西さんが経営する不動産屋を訪ねた時、根本さんが僕に「川西さんはこないだ韓国に行って買ったチョゴリを自分で着たんだよ。お姫さまみたいに」と言った。川西さんは「だって、綺麗なんだもの」と照れて可愛かった。

「町山さんもお父さん、韓国の人なんでしょ?」

「ええ、でも父には30年ぐらい会ってません」

「亡くなる死ぬ前に会っておかなくちゃダメだよ」

 韓国のものはチョゴリの色に代表されるように色遣いがピンクや青や黄色や、とにかく派手だが、川西さんもそんな色遣いが大好きだ。部屋の中は派手な色と、綺麗なもの、可愛いもであふれている。空色の恐竜やウサちゃん、サル、その他いろんなファンシーなぬいぐるみが並んでいて、まるでヤンキー夫婦の自動車の後部ウィンドーのようだ。人によってはガラクタにしか思えないだろうが、川西さんにとっては宝の山なのだ。

 川西さんの不動産屋の入り口もブーツィの衣装並ににぎやかで、お得な物件のチラシが所狭しと貼られていた。みんな川西さん自身が書いたものだ。中目黒駅前商店街の電波喫茶の入り口もそうだった。

「電波は有害」「私は義憤にかられて正しい電波人体工学理論を書いた」「殺す為にビームの放射をすれば、癌と全く同じ症状起こす」などと手書きされたビラが店の正面のすべてを覆い尽くしていた。

 ちょっと話は変わるが、その頃、『宝島30』編集部は銃撃された直後だった。

 きっかけは宮内庁守旧派の匿名手記だった。そこには美智子皇后の新しく自由なやり方に対する反感や不満がぶちまけられていた。『宝島30』はそれに論評を加えることなく掲載した。保守的な読者は手記に共感し、進歩的な読者は宮内庁保守派の頑迷さを笑う。どのように感じるかは読者次第、という態度だった。

 宝島30は部数も少なく、宣伝もしていなかったので、最初は話題にならなかったが、週刊文春が尻馬に乗って保守派の皇室評論家を使って皇后批判をやり始めた。これをテレビが取り上げ、国民的な話題になった。

 ところが、批判にさらされた皇后は文字通り言葉を失った。つまりストレスによる失語症に陥り、皇居の奥お国に引きこもってしまったのだ。この天の岩戸状態に国民は困惑した。誰のせいだ? 皇后陛下を批判したメディアのせいだ! 風向きが変わったのを察したテレビや雑誌はそれまでの皇后バッシングから一転して同情的な論調へ転換。すべての責任を「不敬な」雑誌『宝島30』に押しつけた。

 そして右翼が宝島社に銃弾を撃ち込んだ。弾丸はシャッターを撃ち抜いて一階のエレベーターホールに入った。社内では多くの編集者が仕事中だった。

 そんなゴタゴタの最中に僕は根本さんと一緒に電波喫茶の取材に来た。ただ、マスコミで話題の非国民雑誌の取材だと言うのも面倒なので、フリの客としてドアを開けた。内ポケットにマイクロカセットレコーダーを隠して。

 電波ママの話は長かった。トイレに入ってテープをひっくり返す。

「美智子さんが倒れたのも電波だよ」ママさんの話は続いていた。

「『宝島30』も電波出してる奴らの仲間だよ」

 思わず、まずいコーヒーを吹き出しそうになった。根本さんは突っ込んだ。

「で、その電波出してる奴って、いったい誰なんですか?」

「……誰にも言っちゃダメよ。……韓国人よ。電波で日本人を殺そうとしてるのよ」

 根本さんがこっちを見たような気がした。

「ねえ、あなた、さっきからコソコソこそこそしてない?」

 テープレコーダーが入ったポケットをジロジロ見ながらママが問い詰める。

「もしかして何か機械持って電波飛ばしてるんじゃないの?」

 どうやって店を出たか思い出せないが、手書きのチラシで覆われた電波喫茶は、『ゆきゆきて神軍』の奥崎健三のバッテリー店の看板や湊昌子さんのチラシやゴミ御殿と通じ合っている。郵便配達夫シュバルの理想宮、ウィンチェスター・ハウス、ワッツ・タワーもそうだ。どれも「大切な何か」を守る要塞なのだろう。

 今、人はそれをアウトサイダー・アートと呼ぶ。根本さんがクリムト新世界こと其風画白の展覧会を開いた時、まだその言葉は日本では知られていなかったが、今なら画白は誰に恥じることもないアウトサイダー・アーティストである。場所は銀座8丁目のウォーター・タワーの一階だった。行ってみると、周りは高級クラブばかり。ウォーター・タワーの名の通り人口の滝が流れているが、本当は水商売の「お水の塔」という意味だそうだ。出勤前のホステスやママさんが高級な匂いを振りまきながら通り過ぎるバブル最後のあがきのような場所に其風画白の無意味に金ピカの絵は似合いすぎだった。

 其風画白は銀座についた翌日には行方不明になってしまった。根本さんたちは画白を探して夜の銀座を走りまわるうちに占い師インターナショナル遠藤と遭遇するのだが、それはさておき、たしかその頃、検死解剖に誘われた。

 経緯は言えないが、医学生のふりをして変死体の解剖に立ち会えるという。さらに、そこには引き取り手の不明な死体もしばらく保存されているという。当然、根本さんにも声をかけた。

「行くよー。其風画白が見つかるかもしれないし」

 解剖室の壁には何体もの身元不明の死体が収められていた。だいたいが行き倒れや路上生活者とのことなので、全部見せてもらった。顔中にびっしりとカビが生えて髭のようになった仏さんもいたが、其風画白はいなかった。

 解剖された遺体は立ち小便をしようとして崖から滑落し、浅い川に落ちて溺死した42歳の男性だった。解剖の後、脳みそを取り出して空になった頭がい骨に、先生はなんでクシャクシャに丸めた新聞紙を突っ込んだのだろう? 42年間の記憶の代わりにゴミを頭に突っ込まれた彼よりも、いつの間にか、自分は長く生きてしまった。

 ゴミといえば、村崎百郎だ。根本さんから「鬼畜のゴミ漁り」として紹介されたのは、前から知り合いだった編集者・黒田一郎さんだった。

「今夜は朝までゴミ・ハントをコーチしますよ」

 深夜の早稲田、僕と根本さんは村崎百郎のガイドで路上のゴミを見て回った。といっても片っ端からゴミ袋を開けるわけじゃない。

「袋を見ただけで、だいたい中身はわかりますよ」

 村崎百郎の言葉は本当だった。彼が「これだ」と言う袋にはお宝、つまり日記やノートや写真が入っていた。

 明け方のファミレスでその戦果を確認しながら、村崎百郎の鬼畜哲学をうかがった。

「僕は根本さんと一緒に、この日本を下品のどん底に突き落としてやりたいんですよ!」

 その後、村崎百郎は「鬼畜系作家」として活躍することになる。

 あれから16年。その間に父が死んだ。ガンだった。死の一カ月前、父の現在の奥さんから連絡があった。父が一目会いたがっているので、来てくれないかと。30年ぶりの再会だった。父の家は千歳烏山にあった。駅を出て、川西さんの店を見た時、因果鉄道の汽笛が聞こえた。

 そして2010年7月23日、黒田一郎さんが自宅を訪ねて来た32歳の男に刺殺された。犯人は統合失調症と判断され不起訴、精神病院に措置入院となった。

「あの後、練馬警察から電話があったんだよ」根本さんは言う。

「犯人は最初、俺んちに来たんだって」

 警察によると、犯人は根本さんの自宅の近くのとあるアパートを根本さんの仕事場だと決めつけて訪れた。だが、それは間違いで、根本さんはそのアパートを借りていなかった。そこで犯人は黒田さんの自宅に向かったのだというのだ。

「本当は俺がやられるはずだったんだ」

 根本さんは決めた。そのアパートを借りることを。

「これは説明のしようのない衝動なんだ」

 それにしても、いつまた退院してくるかもしれない犯人が知っている場所に自分から飛び込むなんて。

「うん。でも、この気持ちには一切曇りが無い。それにこれは村崎さんへの自分にできるいちばんの供養だと思うんだ」

 でも、やるんだよ、と自ら因果鉄道のレールに横たわる人をいくら「無茶ですよ」と説得しても、天から「お前は黙ってろ!」と怒鳴られるだけだ。彼の決意を聞いて、根本さんが「勝新原理主義」なら僕は「根本根本(こんぽん)主義」であり続けよう、そう思った。