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映画評論家町山智浩アメリカ日記


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2013-04-24 レッチリ「アンダー・ザ・ブリッジ」はどこの橋か?

この原稿は拙著『本当はこんな歌』に収録するために書かれましたが、歌詞の版権の問題で掲載できなかったものです。

本当はこんな歌

本当はこんな歌

『荒川アンダー・ザ・ブリッジ』という漫画があるが、「アンダー・ザ・ブリッジ」といえば思い出すのは橋下知事じゃなくて、レッド・ホット・チリペッパーズの1991年の大ヒット曲だ。

D

 レッチリはアンソニー・キーディスのラップ調ボーカル、フリーのファンクなベース、ヒレル・スロヴァクのパンクなギターで、いつも上半身裸で跳ねる騒がしいバンド、というイメージだったので、バラード「アンダー・ザ・ブリッジ」は意外だった。

 哀愁のアルペジオで始まり、ローリング・ストーンズの『無情の世界』を思わせる聖歌隊風コーラスで盛り上がる。歌詞だけ聞くと、たんに彼らの住むロサンジェルス賛歌なのかと思うが、2006年にアンソニーが出版した自伝『スカー・ティッシュ』で明らかにされた歌の成り立ちは、痛みに満ちたものだった。

俺には友達なんかいない

そう感じる時がある

俺の唯一の友は

俺の住むこの街だけだと

天使の街は

俺が孤独な時

一緒に泣いてくれる


車で街を飛ばす

彼女(この街)は俺の友達だから

歩いて丘に上がる

彼女は俺を知ってるから

彼女は俺の善

彼女は風でキスしてくれる

俺は怖くないよ

それは嘘だけど


もう二度と

あの日みたいな思いはしたくない

愛する場所に連れてってくれ

あそこまで連れてってくれ


信じられないけど

周りに誰もいない

信じられないや

俺はひとりぼっち

それでも彼女の愛はある

俺を愛してくれる街

俺が孤独な時

一緒に泣いてくれる


ダウンタウンの橋の下で

俺は血を流した

橋の下で

いくらでも求めた

橋の下で

愛を忘れた

橋の下で

人生を捨てた


いや

俺はここにいるんだ


 91年、アルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』録音中のアンソニーはどん底だった。高校からの親友ヒレルはレッチリを脱退した後、88年にドラッグで死んだ。今、もう一人の親友フリーが新ギタリストのジョン・フルシアンテと仲良くなりすぎてスタジオに自分の居場所がない。

 寂しい気持ちでスタジオから家に帰る車を運転していたアンソニーは、ふとハリウッド・ヒルを登った。頬を涙に濡らして。丘の上から見下ろす街は彼を温かく包んでくれるようだった。「俺の友達は、このロス・アンジェルス(スペイン語で天使の街)だけだ」と感じた彼は、それを詩にした。

「筋肉モリモリの男が女々しすぎる」と笑わないように。アンソニー自身もヘロインとコカインの常習者で(父親もそうだった)、ヒレルが死んでから麻薬を断ってはいたが、ちょっとしたことでまた依存しそうな不安定な精神状態だったのだ。

 歌の中でロサンジェルスをShe(彼女)と呼んでいる。街は女性名詞だからだが、元恋人アイオン・スカイと入り混じっている。アンソニーの麻薬が原因で二人は別れた。


 タイトルの「橋の下」とは、アンソニーがギャングから麻薬を買っていた場所だ。

 ――この孤独を癒すため、またあの橋の下に行ってしまいそうだ。

 でも、あんな日々は二度とごめんだ。

 もう二度とあの橋には行かない。僕はここにいる――そう麻薬への決別を宣言して詩は終わる。


 アンソニーがノートに書き留めた詩を見たプロデューサーのリック・ルービンは歌にすることを勧めた。これは個人的な詩で発表する気はないのに、とアンソニーが渋々、ちょっと節をつけて朗読し始めると、フリーとジョンは無言でそれぞれの楽器を手に取って曲をつけ始めたという。仲間はここにいるよ、と。泣かせる話だ。

「アンダー・ザ・ブリッジ」はバンド最大のヒットになり、彼らは世界的大スターになった。しかしジョンは、こういう大衆受けする歌で名声を得てしまったことが嫌だった。この歌の演奏時にはデタラメにギターを弾いてアンソニーを困らせるようになり、ジャパン・ツアー中にとうとう脱退した。ありゃりゃ。

 99年、ジョンが復帰したレッチリはアルバム『カリフォルニアケイション』を発表したが、それについてはまた。

 ちなみに、アンソニーが麻薬を買っていた橋はどこなのか? ファンは今もあれこれ詮索しているが、アンソニーは特定していない。