十年一昔

 朝のニュースの第一報にたまげる。国松元長官狙撃事件の犯人逮捕。へー、何で今ごろ。週刊新潮が「こいつが犯人だ!」と再三指摘していた中村某東大中退(1930年生)なのかしらと思って見てたら、違った。というか、オウム人脈はよく把握できてないんだよな。読むかどうかわからないけど、一冊の本としてまとまっていたら何かと便利かもしれない。
 そんな中で注目したのが、当時、ということは9年前か、付近の住人の目撃談、に使われた際の映像。きれいな顔をした主婦が子供を抱いて出ている。「ええ、パンパンと数回音がして」みたいなことを喋る。喋るのはいいのだけれど、驚いたのはその化粧の古さ。まだ9年前だよ。いや、もう9年前、が正しいのか。眉毛が違う、とか、そういうディテールにまでは目が行かなかったのだが、ただずまいとして、歴然と古い。きれいな顔立ちをしているだけにその古さも(あくまで化粧が、ですよ)逆に際立つという仕組み。いやー、ほんと驚いた。タイムスリップした気分。たぶん男性の顔を見てもこうした驚きはないんじゃないか。例えば件の国松元長官。年代超越してるよね。あの抱かれてた子も今では立派に学校に包丁を抱えていける年になってるのでしょうか。
 以上、国松元長官狙撃犯逮捕にまつわるどうでもいい感想。

勝手に厳粛

 ここに来てようやく世間も「サンワリ君」休載に注目しはじめたようだ。来てる、来てるよ、「サンワリ君」「休載」の検索語で。といいつつ、7月2日の休載以来新情報は入手していない。何があったのだろう。っておそらく体調不良に因があるのではと踏んでいるのだが。特に6月、サンワリ君の顔が幼くなってたり、同僚の女性が微妙に人間離れしてたから、ペンを持つのも大変なのかな、と心密かに同情していた。もうお年だしね。休ませてあげればいいのに。でもこの仕事が心の張りとなってるのだろうか。てなところにこの連日の休載。そりゃ体のことにも思いを馳せようというもの。
 鈴木義司というと、当然のように「ラーメン食べてる小池さん」のイメージが浮かび、ということはつまり、藤子キャラの一種としてどうしても悪く思えないのだ。あ、あと「トキワ荘」メンバーか。BSマンガ夜話「マンガ道」見とけば良かったな。*1少なくとも、下品ではないよね。絵も話も、そしてそこから察せられる人柄も。お笑いマンガ道場(古いなあ)でも、富永一郎(懐かしいなあ)と比べて、特にキャラが立ってるわけでもない、でも「けっこういいひと」的たたずまいで毎回お茶の間を和ませてたような。
 ああ、なんか勝手に厳粛な気持ちになってしまう。・・・付言ながら、他人をバカにして笑いを取るのは、才能のあるひと限定にしてほしい。「サンワリ君」および鈴木義司をバカにして、それで笑いを取るのって、かなり僭越な行為だと思う。(←暴走してるな。)

*1:すいません。この時点では「鈴木義司」と「鈴木伸一」の区別が付いていませんでした。「鈴木義司」氏はトキワ荘とは関係ありません。

束ねる言

 池田晶子は前回の長崎女子児童殺傷事件を「言葉による殺人」と表し、ここにきてまた「言葉による殺人(未遂)」か。クラスメートを「キチガイ」と評して快活と見なされる男子児童、ね。ふーむ。共通の的の前に結束する人間の習性、ってお約束のことばがここでも浮かぶ。この「異分子を排除する」傾向って別に日本独自のものじゃないよね。いや、別に包丁男子が異分子だった、と断じたいわけでなく、異分子を作り上げるという政治的手腕を発した小六男子に多大なる感慨を抱いただけっす。買い被り過ぎ、単なる生理的悪口か?
 彼曰く「悪口を言って僕も悪かった」。この発言が本当だったしても、いや本当なんだろうけど、それをそのまま載せる意図ってどうなんだろう。民衆を束ねようとする新聞にちょっと鼻白み。森下愛子石原さとみに「言葉は選んで言いなさないよ」と諭す時代ではあるんだけどな(inWB2)。意味が違うか。